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ここはどこだろう、と私は思った。視界はいまだほの暗く、ただ周囲の咳払いとA4の摩擦、そしてボールペンの押される音だけが虫の声のように四方を満たしている。
私は頭を軽く揺すった。いや、理性ではここがどこだか分かっているのだ。ここは市役所内の貸会議室であり、私たちIPTU社員はこれから外部講師の講演を受けることになっているのである。しかし、ここが本当に貸会議室なのだろうか? その部屋は会議室というより半世紀前のミニシアターのような造りをしていた。客席は前方から後方へとせり上がり、照明は社員一同の頭頂部に胎内のような赤みがかった薄明かりを投じている。肘掛けの先にドリンクを置く穴さえつければ完璧に映画館と化すだろう。まずいと私は思った。注意を働かせないと簡単に気持ちがオフになってしまう。寝てはいけない。姿勢を乱してもいけない。今この瞬間にも給与は発生し続けているのだということを再確認し、私はしずかに自らの頬を叩いた。
私の右隣には明石が座っている。前方に目を向けているが、心なしかその視線は演壇よりも遠くを見据えているように感じる。講演に興味を持っていないのだろう。彼女はこれが終われば三連休なのである。今日はこの講演だけの半ドン、明日は金曜、賢い有休の使い方だと私は思った。本来ならそのしわ寄せは私たちに来るのだが、あまり忙しい時期ではないので恨まれもしない。日向さんに嫌味を言われる心配もない。賢いなあ、と私は改めて思った。
そのとき鞄の中でスマートフォンの通知音が鳴った。あわてて画面を見る。液晶には小島からのメッセージが表示されている。私は明石がこちらを見ていないことを確認すると、ため息をついて電源をオフにした。
ヤルタ以来、小島は頻繁に私にメッセージを送ってくるようになった。はじめのうち私は小島の話を興味深く聞いていた。今まで明かされていなかった横光に関する事実を彼女の口から聞くことに、私はたいへんな面白味を感じていたのだ。好奇心を同情の色で覆い、私は小島の相手をし続けた。しかし徐々に私はそのような関係に疲労を覚えるようになっていった。驚くべき事実はすべて暴露し尽くしたにもかかわらず、なおも小島は私に相談という名の愚痴を吐き続けたのだ。小島は一回の出来事から百回の苦痛を覚え、十回の暴力に千回さいなまされた。罵声を飛ばす横光の姿を夢に見て深夜に飛び起き、震えながら私に電話をかけることもあった。道で男性を見かけるだけで横光を思い出してしまうから家に来てほしい、そして外出を手伝ってほしいと私に頼むこともあった。むろん私は小島の境遇に深く同情していた。深く同情していたが、それほど嫌な記憶ならなぜ忘れようとしないのだろう、とついつい苛立ちを覚えてしまう自分にも気付いていた。だめだ。私以外のほとんどの女性は忘れたいと思っても忘れることが出来ないのだ。不可能を他人に求めるのは理不尽だろう。いや、しかし、その記憶を忘れさえすれば本人も私も幸福になるのだ。どうか忘れてくれないだろうか、そのようなことを考えていると壇上に一人の男性が登った。
男はIPTUの役員だ。筋肉質に肥えた頸部を冗談のような蝶ネクタイで縛っている。たしかCMOという肩書だったはずだ。CMOが何の略かは分からないが。
「皆さん! これから菊池先生という著名な心理学者の方が登壇されまあす! 私たちの事業にも深く関係する話を仰っていただけると思うので、社員一同、心からの拍手でお迎えしましょー!」
男は企業の役員よりも文化祭の実行委員に似つかわしい口調で皆に拍手を促した。私たちは笑みを浮かべて一様に手を叩いた。拍手? 社会人になって以来はじめて講演なるものに参加したが、このような時に手を叩くのは通例のことなのだろうか。そのとき私の脳裏に斜め上方から私自身を眺めている視線のイメージが浮かび上がった。口角を上げて手を叩き続ける私の格好は、どこか高度な訓練を受けた類人猿に似ていた。
そうしているうちに袖から菊池先生なる者が姿を現した。その姿をひと目見た瞬間、これはどういう人物なのだろうと私は奇異の念を抱いた。まず私にはその人物が男なのか女なのか判別がつかなかった。どちらにも見えるが、どちらでもないようにも見える。いわゆるトランスジェンダーや異性装者とも異なるように感じられる。この方はコウノトリの時点で男女の区分から逃れ去っていたのではないか。他人の性別を好奇の目で見ることに若干の罪悪感を抱きつつも、私は菊池先生の身体的特徴からそのような印象を抱いた。
菊池先生は身体的特徴ばかりでなく、その装いにも際だった特徴を有していた。菊池先生はややサイズの大きいスーツを着用していたのだが、足には靴はおろかソックスすら履いていなかったのだ。彼は白く大きな扁平足をあらわにして壇上を歩いた。そして彼は中央に到着すると、
「ご紹介に預かりました、キクチです」
と布袋尊のような笑みを浮かべて一言挨拶を述べた。外見だけでなく声もまた男女双方の特徴から等しくかけ離れている。
「今回はこのような会場を用意してくださりありがとうございます。普段だとこのように客席がせり上がっていない一般的な会議室で講演することが多いのですが、それだと一言一言話すたびに受講者の皆様の表情の変化がありありと窺えるんですね。今回は客席が暗くなっているので、あまり怯えることなく話せそうです」
そう菊池先生が言うと客席からはささやかな笑い声が沸いた。
「ただ、照明が暗くとも受講者の皆様がどういった思いで今この講演を受けているのかというのは、不思議なことに話せば分かるものでして。ありがたいことに近年こうして講演させていただく機会が増えているのですが、私は先に話す内容を決めないようにしております。他の講師の方はあらかじめ講演内容を決めている人がほとんどなのですが、私はまったくのアドリブ、前と共通する部分があったとしても全体の構成はまったくのアドリブなんですね。これには理由がありまして、いかなる場合であれ話をする側と話を聞く側のあいだには一種のインタラクティブな、双方向的な関係があるべきなんじゃないか、というのが講演をする上での私のポリシーなんです。先ほどの方は私を先生と仰いましたが、こと統計学に関しては皆様の方が私の先生な訳でして」
菊池先生がそう言うとIPTUの社員たちは満足そうに笑った。自尊心をくすぐられたのだろう。
「さて、このとおり私は統計学に関してはずぶの素人なのですが、統計学と私どものやっている心理学の間にはなにか繋がる点があるのではないか、とも思っておるわけです。無論、心理学の仮説が妥当か否か検定するために統計学を用いる、というのも繋がりの一つではあるのですが、もっと本質的、根源的なところで両者の道には共通する部分があるのではないか、と」
ここまで菊池先生の話が進んだとき、私は周囲の人間がみなボールペンを走らせていることに気付いた。当初と同じような格好で講演を受けているのは私のみだったのだ。私は慌てて前傾姿勢になると、メモ帳を開いてボールペンを握った。
統計学と心理学の結びつき、それは方法論のような枝葉の部分だけでなく、より根っこの部分、統計学という学問の目的といったところにまで及んでいるのです。さて、統計学の目的とはなにか。統計学という学問がどれほどの広がりを持っているのかについては私も把握し切れていないことが多いのですが、統計学という学問が何を目的としているのかについては私も一応の見当を掴んでおります。統計学という学問の目的は、まさしくデータから情報を、情報から判断力を取り出すことなのではないでしょうか。(社員笑う)
より乱暴な言い方をしましょう。すなわち、統計学とは本来「わからない」ものであったデータを「わかる」ようにするための学問である、と。こう言うと平たくはなりますが、次のような反論が出るかもしれません。「わからない」を「わかる」に変えようとするのは統計学に限らずあらゆる学問に言えることじゃないか、とね。それはもちろんそうなんです。しかし統計学とそれ以外の学問のあいだには大きな違いがあります。生物学は生物を「わかる」ための学問です。歴史学は歴史を「わかる」ための学問です。私どものやっている心理学もまた、心理を「わかる」ための学問です。それらの学問は「わかる」という行為の対象や内容によって区分されているのです。一方、統計学は「わかる」という行為自体の形式を対象としています。だからこそ統計学は理系の中でも自然科学ではなく形式科学に分類されているのだろう、と私は門外漢ながら理解しております。
統計学は「わからない」を「わかる」に変えるための学問である。こう統計学を捉えると、ここに心理学との接点も見えてまいります。心理学の対象領域には、「わかる」とは何か、人間はいかにして物事を「わかる」、認知するのか、という問いも含まれているからです。「わかる」とはどういった事態なのか。それが分からなければ、「わかる」ことを目的とする統計学も、ましてやクライアントを「わからせる」ための統計商品の構築も、等しく宙に浮いてしまうことでしょう。本当の意味で物事を「わかる」ためには、まず「わかる」を「わかる」ことが必要となるのです。(このとき蝶ネクタイ頷く)
では「わかる」とは何か。結論を先に言ってしまうと、私は、「わかる」とは「すでにわかっているものをわかりなおす」行為である、と考えています。これがどのような意味であるかを説明する前に、まずは今までの心理学が「わかる」という行為をいかに説明していたか、歴史を紐解いていきましょう。
心理学という学問はいつ始まったか。人間の心理を探究するという意味での広義の心理学ははるか昔から世界のあらゆる地域に存在していたかと思われますが、狭義の心理学、現在の大学に繋がる近代的な心理学がいつどこで始まったかという問いにははっきりとした定説がございます。近代心理学は一八七九年、ドイツのライプツィヒ大学にいたヴィルヘルム・ヴントという学者によって創始されました。多くの前史はありますが、ヴントによって心理学の実験室が設立されたこの年を私たち心理学者はいわば心理学元年として記念しているのです。
この頃の心理学者は「わかる」という事態をどのように理解していたのでしょうか。一般的にヴントの考え方は「要素心理学」や「統覚心理学」などと呼ばれています。「要素」に比べて「統覚」はあまり馴染みのない語彙ですが、実はこの二つの言葉は同じことを反対の側面から言い表しているにすぎません。まずヴントは、人間の認識する世界は単純な要素の集積によって成り立っている、と考えました。ここに林檎がありますが……(そう言って菊池先生はどこからともなく林檎を取り出した)私たちは林檎そのものではなく、林檎の赤さ、丸さ、(林檎を軽く放っては掴み)重さ、甘さなどを認識しています。これらの要素が私たちの脳内で一つに結ばれることによって、はじめて私たちは林檎を林檎だと把握するのです。こうしたバラバラの要素を一つの概念へと結び合わせる人間の心の仕組みのことをヴントは「統覚」と呼びました。この言葉はイマヌエル・カントという十八世紀の哲学者に由来しています。今なお心理学と哲学は密接な関係にありますが、この頃の心理学は今よりもずっと哲学に近しかったのです。(手をおろすと林檎は消えている)
先ほど挙げた色や重さなどの要素は私たちの五感に由来しています。視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚などの器官を通してでなければ私たちは林檎を知り得ないのです。これらの器官を通して私たちの元に入ってくる感覚の諸要素を専門的にはセンスデータと呼びます。私たちの知覚は単純なセンスデータの集積によって成り立っているというヴントの考え方は、もちろんカントにも見られるのですが遡っていくとジョン・ロックという十七世紀のイギリスの哲学者に由来しています。複雑な世界を単純な要素に分解して捉えようという考え方はなにもヴントの専売特許ではなく、むしろ近代西洋文明においては主流の思想だったのです。近代西洋的な考え方においては、単純でバラバラな要素を一つの概念へと結び合わせることこそが「わかる」という行為の内実だったのです。
ここまで私は十九世紀の心理学、ヴントの心理学を解説してきました。とにもかくにも彼によって心理学の歴史は偉大な一歩を踏み出したわけです。ところが二十世紀になりますと彼の理論に疑問を覚える人が出てくる。弟子の反抗が始まるわけです。分野を問わず、反抗的な弟子によって発展していくのが学問の常なのですが……とにかくさまざまな立場からヴントの心理学への疑義が突きつけられたと。そのような新しい心理学の中でも代表的な潮流が三つあります。一つは行動主義、これはアメリカで生まれた潮流なのですが、彼らはヴントが主観的な方法で心理学をやっていたことに反発しました。ヴントは内観法と言いまして、自らの意識を内省するところから心理学を研究していたのですが、そうではなくもっと客観的に、観察可能な行動の変化から人間心理を研究しなければ心理学は科学たり得ないだろうと彼らは主張したわけです。極端な一派は「心理学において主観的意識の問題は何ら重要ではない」などと論じていまして、まあ良くも悪くもアメリカ的な、ドライな学派と言えるかと思います。二つ目は精神分析、これはかの有名なフロイトによって創始された学派ですね。ヴントを含むそれまでの心理学は人間の意識を研究してきたが、人間には無意識という領域もある、その無意識の動きを分析しなければ心の病気を治すことはできない、と彼は主張したわけです。夢にピストルが出てきたらそれは男性器の象徴だ、などという彼の学説については知っている方も多いのではないでしょうか。(男性社員笑う)
三つ目の潮流にゲシュタルト心理学というものがあります。私が研究している分野は三つの中だとこれに最も近いのですが、他の二つに比べるとそこまで一般的には知られていないように思われます。ゲシュタルトとはドイツ語で「形態」という意味なのですが、「形態心理学」と訳してもやはり何のことだかいまいちピンとこない。しかし、実はこの三つ目のゲシュタルト心理学こそが十九世紀的な、ヴント的な、近代西洋的な心理に対する考え方を根本から揺さぶるものだったのです。
ゲシュタルト心理学の考え方を説明するために、これから私は皆さんにある音を聴いてもらいます。どうぞ。(菊池先生の背後に五線譜が映写される。緩やかな速度でオルゴールによる「きらきら星」の演奏が流れる)皆さんはこの曲をご存知でしょうか。(やや笑いが漏れる。誰かが「きらきら星!」と答える)そうです、「きらきら星」です。楽譜を見れば分かるとおり、このメロディーは十四個の音符によって構成されています。私たちは、十四個のセンスデータの統覚によって「きらきら星」を知覚しているのです。
それでは次に別の音を聴いてもらいます。どうぞ。(菊池先生の背後に別の五線譜が映写される。先ほどよりも速く、若干高い音でオルゴールによる「きらきら星」の演奏が流れる)先ほどの曲は「きらきら星」でしたが、今度の曲はご存知でしょうか。(またもや社員笑う)冗談はほどほどにしましょう。今回のメロディーも先ほどと同じ「きらきら星」ですね。しかし、なぜ私たちは今回の音と前回の音を同じメロディーとして認識したのでしょうか。楽譜を見ればわかるとおり、前回のメロディーと今回のメロディーの間に共通する音は一つもありません。ドだった音はソに、ソだった音はレになっています。音楽用語を用いるなら、今回の「きらきら星」は前回に比べてちょうど五度移調しているのです。またテンポも先ほどより若干速くなっております。前回のセンスデータと今回のセンスデータの間には、共通する部分が全くないのです。
ゲシュタルト心理学は以上の事実から次のような結論を導き出します。すなわち、私たちの知覚は単純な部分から複雑な全体が構成されるように出来ているのではなく、はじめから全体の構造、すなわちゲシュタルトを掴み取っているのだ、と。私たちが聴いているのは十四個のセンスデータの集積ではありません。私たちは一個のメロディーの流れとしてオルゴールを聴いているのです。そう捉えなければ、音符を全て移調してもメロディーが同じものとして認識されることを説明できません。またそう捉えなければ、知覚されたメロディーから芸術的な「意味」を汲み取ることも出来なくなってしまうのです。
私たちの「わかる」という行為において、「意味」の存在は一般に考えられている以上に重要です。先ほどの林檎を取り出しましょう。(再びどこからともなく林檎が現れる)ロック、カント、ヴントなどの近代西洋的な思想家たちは、林檎は色彩や重量などといったセンスデータの集積として立ち現れると考えました。しかしそのようなセンスデータの集積からはどこまでいっても「林檎」という果実の有する意味を取り出すことなどできません。そして、意味がなければそこに意味はないのです。(社員笑う)砂漠を何日も放浪している人の前に天から林檎が降ってきたとしましょう。その人は林檎をセンスデータの集積として知覚するでしょうか? そのようなまだるっこしい経路を取る前に、彼は飢えと渇きを満たすための糧として林檎を知覚するのではないでしょうか?(社員感嘆)
このような理論により、私たちは人間と機械がどう違うかを理解できるようになります。カメラの目を持つロボットに対して林檎は色彩というセンスデータの集積として立ち現れます。どれだけ解像度を上げても、ロボットにとって林檎がセンスデータの集積でしかないことに変わりはありません。それに対し、人間は林檎をまず林檎そのものとして総体的に捉えます。林檎の色彩や重量が問題となるのは人間が自らの認識を分析して以降のことでしかありません。もっとも素朴な段階において、人間は林檎を林檎そのままに「わかって」いるのです。
中学生だった頃、私は学校で「yet」という英単語を習いました。この単語はとても面白い機能を有しています。この単語は否定文においては「いまだ」という意味を持ちますが、肯定文においては「すでに」という意味を持つのです。私はこの「yet」という単語を、「わかる」という事象のあり方によく似ていると考えています。ロボットによる認識と人間による認識のあいだにある差は量的なものではありません。その差が質的なものである以上、ロボットの認識と人間の認識が一致することはないのです。ロボットの認識がいくら精緻な段階へ前進したとしても「いまだ」そこに林檎はなく、反対に人間の認識がいくら素朴な段階へ後退したとしても「すでに」そこに林檎はあるのです。(社員感嘆、蝶ネクタイ大きく頷く)
さて、冒頭にて私は「わかる」とは「すでにわかっているものをわかりなおす」行為であると述べました。ここまでの説明で「すでにわかっているものを」という前段についてはおおよそ理解していただけたかと思います。人間は部分から全体を理解するのではなく前もって全体を理解しているのだ、と。それでは……(ここで会場に着信音が鳴り響いた。横光の携帯だ。横光は立ち上がると「すみませんすみません」と言いながら小走りで会場の外へ駆けていった。蝶ネクタイがその背中を目で追っている)……えー、それでは後段の「わかりなおす」とはどのようなことなのでしょうか。私は、ここにこそ統計学の、あるいは学問一般の意義が存在すると考えています。
先ほどから申し上げているとおり、私たち人間は分からない分からないと言いながらも実はあらゆるものを「すでにわかった」上で生活しています。ある一般的な人間の朝について考えましょう。その女性は朝起きてすぐ洗面台へ向かい、顔を洗うことを習慣としています。彼女は洗面台の水がどこから来るのかを知りません。彼女は最寄りの浄水場の住所も、そこと彼女の家とを繋ぐ配水管の経路も知らないのです。それどころか彼女は水道水なる液体が具体的にどのような成分で出来ているのかすらはっきりとは理解していません。さすがに彼女もそれが純粋なH2Oでないことくらいは知っています。しかし、いかなる成分がいかなる割合でH2Oに混入しているか、という段階になると彼女の知識には途端に霧が立ちこめてしまいます。その洗面台を流れる水道水について彼女は非常に乏しい知識しか持っていないのです。しかし彼女はためらいもなくその水で顔を洗います。水道水について精緻な知識を有していないにもかかわらず、彼女はすでに「その水は私が顔を洗うためのものだ」ということを「わかって」いるのです。その後、彼女はキッチンにて朝食の目玉焼きを作ります。水道水と同じく、ガスについても彼女はそれがどこからやってきているのかを知りません。またそのガスがいかなる化学的構造を有しているのかも知りません。ただ彼女はそのガスを玉子を焼くためのものとして「わかって」おり、また焼かれた玉子のことも食べるためのものとして「わかって」います。水道水の専門家、ガスの専門家、玉子の専門家と比較すれば彼女のそれらについての知識は無いも同然ですが、そのことは彼女の生活にとって何ら問題ではありません。彼女はすでにそれらを「わかって」いるのです。そして目玉焼きを食べ終えた彼女は、庭に置かれた自転車にまたがって外へと繰り出します。
しかしそのような素朴な「わかり方」はそういつまでも持続するものではありません。もし庭の自転車が壊れていたら、彼女はどう思うでしょうか? もはやその自転車は「私が乗るためのもの」としては機能しません。今までのような「わかり方」では対応しきれない現実があらわになるのです。彼女は今までの素朴な認識を改め、自転車についてより精緻な把握をしなければならなくなります。そのとき、彼女は自分が今まで自転車のことを全く「わかって」いなかったことに気付くのです。
彼女は工具一式と自転車の取扱説明書を取り出し、故障の原因を調べ始めます。その作業を進めるうちに、彼女は自転車という乗り物がいくつもの部品によって成立していることを知ります。そのとき自転車は「ただ跨がって漕げば走るもの」ではなく、複雑に構成された一個の機構として彼女の前に立ち現れるのです。そして彼女は故障の原因をつきとめ、「わからない」ものと化していた自転車を再度「わかりなおす」ことに成功します。
これが学です。ものを学ぶとは、「すでにわかっているもの」が実は「わからない」ものであるということに気付いたあとで、それを再び「わかりなおす」という営みなのです。
この営みについて統計学者と哲学者は共通の見解を有しています。通常、人間は「すでにわかっているもの」が実は「わからない」ものであるということに気付こうとしません。人間には前もって有している「わかり方」にしがみつこうとする性向があるのです。この性向を統計学では「第一種過誤」と呼び、哲学では「独断論」と呼びます。
いっぽう、生きている中で人間にはそのような独断のまどろみから幸か不幸か脱してしまう瞬間が訪れます。その瞬間、今まで「わかっている」と思われていたものは突如「わからない」ものとして私たちの前に立ち現れるようになります。時としてこの体験には強烈な苦痛と不安が伴います。その体験によって人は今まで自分が有していた認識のあり方を捨て去らなければならなくなるからです。そして一部の人間は、そのような強烈な体験のせいで新たな「わかり方」を身につけることに躊躇を覚えるようになってしまいます。世界とは本来「わからない」ものなのだ、それを「わかる」と言い張る者は誰であれみな独断的なのだ……このような思考を統計学では「第二種過誤」と呼び、哲学では「懐疑論」と呼びます。先ほどの林檎の例に戻るなら、「私たちに林檎そのものの実在を理解することはできない、ただ私たちは林檎のセンスデータを知覚しているだけだ」という主張が懐疑論的だと言えるでしょうね。
ただしそこにとどまってはいけません。私たちは懐疑からさらに一歩進み、より高次の段階において「わかる」という実感を取り戻さなければならないのです。しかしそのためには何が必要なのでしょうか。釈迦に説法かもしれませんが、統計学において第一種過誤の回避と第二種過誤の回避はトレードオフ、一方を通せば他方が引っ込む関係にあると言われています。そして統計学者も哲学者も、その二つのうちであれば第一種過誤の回避をより優先せよと論じています。しかしその主張を第二種過誤への擁護、懐疑論への擁護と受け取ってはなりません。むしろ統計学者や哲学者は、真理は第一種過誤と第二種過誤の中間、独断論と懐疑論の中間にこそあると論じているのです。古今東西の賢人が述べているとおり、真理は常に中道にあります。二つの過誤の中間においてこそ、「すでにわかっているものをわかりなおす」という行為は成立するのです。(社員感嘆)
さて。ここまで私は、「わかる」とはいかなる事態か、ということを皆さんと一緒に考えてまいりました。「わかる」とは「すでにわかっているものをわかりなおす」行為なのだということ、私たちの生活世界は「すでにわかっているもの」によって成り立っているのだということ、学とは「すでにわかっているもの」を「わかりなおす」ことによって「わかる」という実感をより高次の段階にて取り戻す行為なのだということ等、ご理解いただけたかと思います。それでは、「わかる」という行為を以上のように捉え直すことによって現実社会での生き方はいかに変わってくるのでしょうか。「わかる」という行為を「わかる」ことは私たちの生活に、ビジネスに、そして社会にどのような影響を及ぼすのでしょうか。
私は現代社会を、「わかる」ということの実感が失われた社会であると考えております。先ほど述べたとおり、本来私たちの生活世界は「すでにわかっているもの」によって覆われていました。もともと私たちは「すでにわかっているもの」によって編み上げられた天球の中を生活していたのです。懐疑論によって編み目がほつれることも度々ありますが、それはより強い理解の糸によって修復されるのが常でした。しかし今や私たちの住む世界からは認識の編み目が失われています。懐疑によって編み目がほつれるのは大いに結構ですが、現代の人類はそのほつれた編み目を修復しなくなってしまっているのです。
かつて世界は私たちの生をすっぽりと覆い尽くしていました。帽子とシャツとズボンの靴は、それぞれ互いを含むより大きな全体性のために存在していたのです。しかし今やそれらは互いとの連関、全体性との連関を失っています。私たちは、世界を統一的に「わかる」可能性を喪失してしまったのかもしれません。
この傾向は学問において最も顕著に現れています。帽子とシャツとズボンと靴が私たちの全身を覆っているように、学問もまたいくつもの領域に分かれながら私たちの生の全体を覆っています。文系対理系のような諸学問の分裂は最終的な統一、私たちの生に関する総体的な理解の構築のためのものだったのです。しかし現状、学問はそのような統一へ向かおうとしていません。学者たちはただ自らの専門分野を深めさえすればそれで事足りると考えているのです。同業者ながら、志が低いと言わざるを得ません。
IPTUは官民の双方に対して事業を行なっていると伺いました。学問だけでなく、官僚機構やビジネスもまた全体性を喪失しているように私には感じられます。先ほど学問について述べたのと同じように、官僚機構も、そしてビジネスも、それぞれ異なるあり方で私たちの生の全体を覆っています。それらの事業はみな私たちの生とのあいだに連関を持ってこそ意味を有するのです。特定の学問領域が、特定の官僚機構が、そして特定のビジネスが、それぞれ生の全体性の中でいかなる意味を担っているか。そのことを当事者が自覚しなくなったとき、その事業は必ず窒息します。その事業は新たな価値を生まなくなるのです。私たちの生にとって意味を持たない事業から一体どのような価値が生まれるのでしょうか? 「人間の生のため」という意識を持たない企業、「人間の生を守るため」という意識を持たない軍隊、そのような組織が一体どのような価値を生むというのでしょうか? 私たち人間の生の全体性こそがあらゆる事業の根ざすべき大地です。その大地からみずみずしい「意味」を汲み取らなくなった事業は、必然的に自らの存在意義を見失ってしまうのです。(社員感嘆、蝶ネクタイ大きく頷く)
(菊池先生、時計に目をやり)随分と長くなってしまいましたね。これ以上話してもなんなので、このあたりで結論を述べさせてもらいます。以上述べたとおり、現代世界は「わかる」という実感を喪失しています。学問、官庁、民間、それら全てが専門化・細分化されてしまったせいで、統一的な生の全体性を掴み取ることが誰にも出来なくなってしまっているのです。しかし人々は未だ「わかる」という実感を欲しています。かつて彼らは「すでにわかっていた」のですから、その実感を取り戻したいと願うのは当然のことでしょう。そして私は、今IPTUが社会から求められているのはそのような「わかる」という実感の提供なのではないか、と考えています。
IPTUは官庁や民間に対して「統計商品」なるものを販売していると伺っております。これは要するに、統計学を用いてクライアントに自身の事業を「わかりなおさせる」というサービスなのではないでしょうか。先ほど申し上げたとおり、「わかりなおす」という行為には常に痛みが伴います。IPTUで働く皆さんはクライアントに痛みを与えることを仕事としており、またクライアントの方々は痛みを被りたいと願って皆さんに依頼をしているのです。なんとサドマゾヒスティックな関係なのでしょう。(社員笑う)無論、私が話しているのは理想的な状況に過ぎません。実際のクライアントにはただただお墨付きを得たいと思っているだけの方も多いでしょうけど、(社員笑う)それでも皆さんは時としてクライアントに痛みを与えなければならないわけです。そしてその痛みから新たな「わかり方」を導きだし、新たな「判断力」をクライアントに提供しなければならない、と。さぞかし難しい仕事だろうなと敬服します。
しかし、全体性から外れた雑多なデータの束に埋め尽くされている現代だからこそ、人々は「データを情報に、情報を判断力に」変えてくれる者を待望しているのです。そしてIPTUで働く優秀な社員の皆様にはそのような役割を果たすだけのポテンシャルがあるのではないでしょうか……という巨大かつ無責任な無茶ぶりを残し、今日はここで講演を終えたいと思います。ご静聴ありがとうございました。(社員一同拍手喝采)
かくして菊池先生は壇上から去った。拍手は数分間に渡って鳴り響き続けた。しばらく私は椅子から腰を浮かせられずにいた。足が痺れていたのではない。菊池先生が懇切丁寧に説いた言葉の数々が、飛蝗のように私の脳裏をめまぐるしく飛び交っていたのだ。正しさに圧倒されたわけではない。むしろ理解が追いつかなかったからこそ、私の思考は深層に潜んでいるであろう体系知を求めて古式捕鯨の舟のように奔走していたのである。脳のあちらこちらで「わかった!」という火花が閃いては、すぐさま「いやそれは先生の言葉に反する」という批判の声によってかき消された。そしてそのような分かっているのか分かっていないのか定かでない状態自体、先生の講演に対して何らかの関係を持っているのではないかという気分にすらなった。早い話、私は混乱と興奮のさなかにあったのである。
思考の渦巻く頭を制御しようと左右に揺らしたとき、右隣にいた明石の姿が私の目に映った。そういえば明石は講演のあいだ私よりも活発に笑ったりメモを取ったりしていた。それに明石は私よりも頭がいい。彼女に感想を聞けば、私は現在のような訳のわからない状態から脱出できるのではないか。そう考えた私は、
「どうだった」
と小声で隣の明石に声をかけた。
「なにが」
明石はやや張りつめた表情でそう私に聞き返した。
「何って、講演」
「ああ」
そう相槌を打つと明石は周囲の人影を確認し、私の耳元に口を寄せ、声を潜めて
「クソの役にも立たない」
と私に返答した。
「え?」
私が眉を上げると明石はさらに言葉を連ねた。
「あんな長話クソの役にも立たないよ。いっけん深いことを語ってるように聞こえるけど実は言葉を定義してないだけ。具象的な話は知識不足、抽象的な話はただの擬似問題だし、文明批判に至ってはあの人自身の専門知識の乏しさを正当化してるだけ。ほんと、あんなのに役員がハマってるのかと思うと嫌になるよこの会社」
そう吐き捨てると明石はじゃあねと言って鞄を握り、足早に会場の出口へと向かっていった。出来るかぎり余暇を伸ばしたいのだろう。今日はこのまま現地解散なのだ。
明石の口から放たれたあまり品の良くない批評の数々を私は何度も反芻した。そのうちに、先ほどまで私の思考を満たしていた混乱と興奮の潮は段々と引いていってしまった。きっと私は雰囲気に飲まれていたのだろう。そう思いながら私は大きく息を吸い、背中を伸ばして席を立った。会場の外から自然光が差し込んでいる。私も明石と同じように家へ帰ろう、そのときの私はそう思いながら市役所の施設を立ち去った。
しばらく歩いたとき、私はスマートフォンの電源がオフになっていたことを思い出した。そういえば小島からの連絡が入っていたはずだ。今のうちに消化してしまおう、そう思いつつ電源を入れると、小島からのメッセージより上の欄に横光からのメッセージが表示されていた。横光? 私は上司からの突然の連絡に不審を抱きながらも、彼からのメッセージを軽やかにタップした。
「須磨さん 至急オフィスに来てください
大規模な修正作業を行う必要があります
ぼくは既にオフィスに着きました 横光」
大規模な修正作業。その文字列を見た瞬間、私は蒼穹を仰いで声なき咆哮を上げた。かくして私の午後はつぶされた。
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