許彦他 盧玄伝に沸く崔浩
魏書 46 巻から、二名紹介する。
魏書 47 巻からは、一名。
なお
「盧玄くんと向かい合っていると、古の良き時代への想いがますます募るのだ。」
盧玄はいにしえの偉人たちにも引けを取らない、というわけだ。
崔浩は北魏宮廷内に盛大に漢人盛族をねじ込みたい、と考えていた。このため盧玄は崔浩に語っている。
「そうした大幅な改革は、行うにしても時宜が求められましょう。いま、どれほどの方がその改革を喜ぶのでしょうか? どうか重ねての熟慮をお願いいたします」
崔浩はこの言葉にまともな返答も出来なかったのだが、結局は受け入れることもなかった。崔浩の処断は、この企図もまた大いに関与していたという。
盧玄は後に
北魏に帰還後、病を得て死亡した。
許彦,字道謨,小字嘉屯,高陽新城人也。祖茂,慕容氏高陽太守。彥少孤貧,好讀書,後從沙門法叡受易。世祖初,被徵,以卜筮頻驗,遂在左右,參與謀議。真君二年,卒。諡曰宣公。
李訢,字元盛,小名真奴,范陽人也。曾袓產,產子績,二世知名於慕容氏。父崇,馮跋吏部尚書、石城太守。延和初,車駕至和龍,崇率十餘郡歸降。世袓甚禮之,呼曰「李公」,以崇為平西將軍、北幽州刺史、固安侯。卒。
(魏書46-1)
盧玄,字子真,范陽涿人也。曾袓諶,晉司空劉琨從事中郎。袓偃,父邈,並仕慕容氏為郡太守,皆以儒雅稱。神䴥四年,辟召儒儁,以玄為首,授中書博士。司徒崔浩,玄之外兄,每與玄言,輒歎曰:「對子真,使我懷古之情更深。」浩大欲齊整人倫,分明姓族。玄勸之曰:「夫創制立事,各有其時,樂為此者,詎幾人也?宜其三思。」浩當時雖無異言,竟不納,浩敗頗亦由此。後轉寧朔將軍、兼散騎常侍,使劉義隆。義隆見之,與語良久,歎曰:「中郎,卿曾袓也。」既還,病卒。
(魏書47-1)
許彦たちはおまけ扱いにならざるを得ないんだ……ごめんよぉ……なら盧玄単品にしろって話だけど、それにしたって文字数少なすぎるから一緒くたにせざるを得ないわけでさぁ……。
というわけで、盧玄ですよ。面白い存在感の人ですね。この作品が崔浩を「おまけ扱いのメイン」でなく「メイン」とするなら、間違いなく彼も重く扱われます。けどそうはならなかった。ならなかったんだよロック。
劉義隆による「中郎,卿曾袓也。」は、それだけ盧諶の文才が劉宋でも轟いていた、ということなのでしょう。世説新語マン的には「オメーの父ちゃん(
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885035476
なんですが。
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