魏書巻48 高允

高允1  渤海高氏の名望

高允こういん、字は伯恭はくきょう勃海ぼっかい人である。祖父は高泰こうたい、叔父の高湖こうこ伝にて紹介した。父は高韜こうとう、幼い頃よりその英明さにて高名を博し、少同郡の封懿ふういと親しみ、慕い合った。慕容垂ぼようすいのもとで太尉たいい從事中郎じゅうじちゅうろうとなった。

拓跋珪たくばつけい中山ちゅうざんを落としたとき、高韜は丞相じょうしょう參軍さんぐんとなるも、間もなくして死亡した。


高允は早くに父を亡くしてからと言うもの早い段階で成熟し、その風格は図抜けていた。崔宏さいこうもひと目見るなり目を見張り、嘆息しながら言っている。


「高様の心持ちは実に芳醇でおられる。その美しき明察によって外部を照らし出されよう。必や一代の偉器たりえるであろうが、私はその姿を拝せずに終わろうな」


10 歳過ぎの頃、祖父の葬儀にあたり渤海郡に戻り、ふたりの弟ともに僧侶となり、法淨ほうじょうとなのる。ただし、間もなくして還俗した。


文学を愛好し、どこに出向くにせよ書物を背負い出掛け、勤務に精を出した。經・史・天文・術數に広く通じるも、中でも春秋公羊伝しゅんじゅうこうようでんを愛好した。渤海郡は功曹こうそうとして高允を招いた。




高允,字伯恭,勃海人也。祖泰,在叔父湖傳。父韜,少以英朗知名,同郡封懿雅相敬慕。為慕容垂太尉從事中郎。太祖平中山,以韜為丞相參軍。早卒。允少孤夙成,有奇度,清河崔玄伯見而異之,歎曰:「高子黃中內潤,文明外照,必為一代偉器,但恐吾不見耳。」年十餘,奉祖父喪還本郡,推財與二弟而為沙門,名法淨。未久而罷。性好文學,擔笈負書,千里就業。博通經史天文術數,尤好春秋公羊。郡召功曹。


(魏書48-1)




高允は拓跋嗣末年くらいからの人です、が、ここからの扱いが大きくなります。なぜかって? めっちゃ崔浩さいこうさんと絡んでるからさ! 崔浩のためならレギュレーション違反なんかへでもねえぜ!

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