韋閬他  京兆氏族

韋閬いりょう、字は友觀ゆうかん京兆郡けいちょうぐん杜陵県とりょうけんの人だ。京兆韋氏、すなわち代々三輔さんほ長安ちょうあんとその周辺で確かな勢力を保った豪族である。袓父の韋楷いかいしん建威將軍けんいしょうぐん長樂ちょうらく清河せいが二郡太守にぐんたいしゅとなった。父の韋逵いき慕容垂ぼようすいに仕え、吏部郎りぶろう大長秋卿だいちょうしゅうけいとなった。

韋閬は幼い頃よりその人器を認められていたが、慕容垂死後の内乱を嫌い、薊城しょうじょうに疎開した。拓跋燾たくばつとうの時代に抜擢を受け、咸陽太守かんようたいしゅから武都太守ぶとたいしゅに。杏城きょうじょう鎮將ちんしょう郝溫かくおん蓋吳がいごが謀反を起こしたとき、關中かんちゅうが乱れに乱れたが、韋閬は人々の慰撫に意を砕き、このため韋閬が治めていた地域は混乱を免れるのだった。16 年間の統治の末、任地で死んだ。


韋閬のひと世代上の親族、韋道福いどうふく。父は韋羆いひで、苻堅ふけん丞相じょうしょうであった王猛おうもうに重んぜられ、娘の王氏をめあわされた。前秦で東海太守とうかいたいしゅとなり、苻堅が滅ぶと。長江を渡った。劉裕りゅうゆうのもとで輔國將軍ほこくしょうぐん秦州刺史しんしゅうししとなった。

その後、韋道福はもろもろあって北魏に帰順、死亡すると征虜將軍せいりょしょうぐん兗州刺史えんしゅうししが追贈され、かんと諡された。


韋閬の一世代下の親族、韋崇いすう。字は洪基こうき。父は韋肅いしゅく、字は道壽どうじゅ。劉裕が後秦を滅ぼし、劉義真りゅうぎしんに關中を守らせた際、韋肅を主簿しゅぼに抜擢。劉義真とともに長江を渡ると、歷 魏郡ぎぐん弋陽かくよう二郡太守にぐんたいしゅ豫州刺史よしゅうししと歴任した。韋崇が 10 歲のとき韋肅が死亡、母の鄭氏ていしが北魏に帰順したため、あわせて河洛からくに寓居した。やがて華山太守かざんたいしゅに任じられ、死亡した。



杜銓とせん、字は士衡しこう京兆けいちょうの人だ。しん征南將軍せいなんしょうぐんである杜預とよの五代下の子孫である。祖父は杜冑とちゅう、苻堅の太尉長史たいいちょうしとなった。父は杜嶷とぎょう,慕容垂の祕書監ひしょかんとなって、趙郡ちょうぐんに移住した。

杜銓が死ぬと平南將軍へいなんしょうぐん相州刺史しょうしゅうしし魏縣侯ぎけんこうが追贈され、せんと諡された。




韋閬,字友觀,京兆杜陵人。世為三輔冠族。袓楷,晉建威將軍、長樂清河二郡太守。父逵,慕容垂吏部郎、大長秋卿。閬少有器望,值慕容氏政亂,避地於薊城。世祖徵拜咸陽太守,轉武都太守。屬杏城鎮將郝溫及蓋吳反,關中擾亂,閬盡心撫納,所部獨全。在郡十六年,卒。

閬從叔道福。父羆,為苻堅丞相王猛所器重,以女妻焉。為堅東海太守。堅滅,奔江左,仕劉裕為輔國將軍、秦州刺史。道福有志略。卒,贈征虜將軍、兗州刺史,諡曰簡。

閬從子崇,字洪基。父肅,字道壽。劉義真鎮關中,辟為主簿,仍隨義真度江,歷魏郡弋陽二郡太守、豫州刺史。崇年十歲,父卒,母鄭氏以入國,因寓居河洛。除華山太守,卒。

杜銓,字士衡,京兆人。晉征南將軍預五世孫也。祖冑,苻堅太尉長史。父嶷,慕容垂祕書監,仍僑居趙郡。銓卒,贈平南將軍、相州刺史,魏縣侯,諡曰宣。


(魏書45-1)




京兆韋氏&杜氏は、宋書でもややワンセットなんですよね。どちらにとっても「都から遠いところ」の盛族であったため扱いが不遇。拓跋宏たくばつこう孝文帝こうぶんていが即位した辺りの人士から存在感増すんじゃないでしょうかね? しらんけど。


まぁ、具体的なエピソードが残ってたらめちゃくちゃヤバい折衝の毎日だったろうなって思います。こういうところの人物のお話とかもっと読んでみたいもんです。

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