7-7

 妖精や幻獣たちとの親交が再開された瞬間、シュネーガイスト領の状況は大きく変わった。

 死んだように静まり返っていた土地には、一人また一人と妖精や幻獣たちの姿が戻り、多くの妖精や幻獣たちの気配を感じられる土地へ生まれ変わった。

 フィアレッタがはじめてシュネーガイスト領にやってきた日はどこを見ても妖精や幻獣たちの気配を感じられず、生きているのに死んでいるかのようだったのが嘘のようだ。

 それに伴い、土地全体から失われていた活力も戻り、領地全体を襲っていた不作も終わりを告げた。


 長く厳しい季節外れの冬が終わった。

 シュネーガイストの領民たちはそう口を揃え、歓喜の声をあげていた。


「……よかった。ティムバーもすっかり安定したんですね」


 ティーカップを片手に、もう片方の手で報告書を持ち、フィアレッタは柔らかい声でそういった。

 執務室の窓から見える空は、今日も青く晴れ渡っている。綿飴を思わせる白い雲が青い空の合間に浮かんでおり、なんとも和やかな気持ちにさせてくれる。

 妖精や幻獣たちとの関係や不作といった大きな問題が解決したあとだからか、今日の青空はいつも以上に美しく見える。

 見せてもらった報告書をテーブルに置き、フィアレッタはティーカップを口元に運んだ。


「報告書にも記されているとおり、茶葉も作り始めた結果、小麦のみを作っていた頃よりも賑わっているそうだ。コルンムーメたちも村人たちと良い関係を築けているらしい。さすがにコルンムーメの女王は姿を見せる回数が減ったが、群れの何匹かは特定の家に居着いて見守っているそうだ」

「ふふ、それならティムバーはこの先安泰ですね。コルンムーメが居着いた村の畑は、外敵から守られますもの」


 そういって、目の前の席に座るジルニトラへ柔らかく微笑んでみせた。

 執務室の一角。ティータイムを過ごす際に座るソファーには、今日もフィアレッタとジルニトラが座っており、テーブルにはティーセットが広げられている。

 今日も執務室の中は時計の針の音がよく聞こえるほどに静まり返っているが、息が詰まりそうなほどの緊張感はなくなり、静かで落ち着く空間へと変わっていた。

 ……これも、ジルニトラがまとう空気がすっかり変わったからだ。


「ティムバーの茶葉も、ティムバー産のパンとともに他領へ売っているが、なかなか人気のようだ。あの力強い味わいに夢中になっている者も多いそうだ」

「ふふん、コルンムーメたちと一緒に育てたあの茶葉はとても美味しいですから」


 言いながら、フィアレッタは改めてジルニトラに視線を向けた。

 はじめて会った日のジルニトラには笑顔がなく、いつも張り詰めた空気をまとっていた。顔色も悪く、目の下にはメイクで隠しても目をこらせばうっすら見えるほどのクマがべったりと張りついており――とにかく不健康でとっつきにくい雰囲気の持ち主だった。


 だが、現在のジルニトラはそんな雰囲気から一変し、見せる表情も雰囲気も柔らかい。悪かった顔色も改善し、頬にも昔よりほんのりと血色が戻っている。まだ少し不健康そうな雰囲気は残っているが、以前よりも刺々しい雰囲気は少ない。

 適度に妖精茶を差し入れて強制的に休ませるようにしてよかった――と、心の底から思う。


「お兄様が手紙で教えてくれたのですが、レースディア家が妖精や幻獣たちと親交を再開したことは、ちらほらと他家門の方々の耳に届いているそうです。……これを機に、少しずつ他の家門の方々とも交流していけたらいいのですが……」

「そちらは長期戦になるだろうな。残念ながら、レースディア家に向けられている目はとても厳しいものだ。妖精や幻獣との親交を再開したとはいえ、それで過去の罪がなかったことになるわけではない」


 そういって、ジルニトラも自分の前に置かれていたティーカップを手に取り、口元へ運んだ。

 フィアレッタも同様に自分の分の妖精茶を飲み、ゆっくりと紅茶を舌の上で転がす。

 今日選んだのは、話題にもあがったティムバーの茶葉――ではなく、ベールクティーをベースにカモミールのキャンディスを加えた、最初に用意したものと同じ妖精茶だ。


 口にするのは少し久々だが、変わらず安らぎを覚える香りと味が心に落ち着きを与えてくれる。

 ほう――と軽く息をつき、フィアレッタの表情が柔らかく緩む。

 ジルニトラも少し安心したかのように口元を緩ませ、もう一口、妖精茶を口に運んだ。


「確かに、そこは長期戦になってしまいますよね……。こればかりはゆっくりと進めていくしかなさそうですね」


 と、いうわけで。

 一言だけ口にし、フィアレッタはティーカップをソーサーの上に置いた。

 そして、緩やかな動きで片手を持ち上げて――。


「というわけで、今日はもうお仕事終わりましょう! メイクでごまかそうとしても、わたしの目はごまかせませんからね!」

「うっ」


 ずびしっと音が聞こえそうな勢いでジルニトラを指差した。

 瞬間、ジルニトラがわずかに肩を揺らし、フィアレッタからわずかに目をそらす。

 一時期に比べると、ジルニトラの顔色は確かによくなった。

 まとう雰囲気も柔らかく、とっつきやすそうな人になった。

 が、目の下にはうっすらと――そう、うっすらと青黒いクマがある。以前の彼のような色濃いクマではないが、目をこらせば確かに見える。

 フィアレッタが知らないところで、ジルニトラが無理をしている確かな証拠だ。


「……使用人たちから一切指摘されないから、隠せているとばかり思っていたが……」

「よーく見れば気づきます。もう、妖精茶の効果でストレスや疲労はある程度癒せるとはいえ、完璧ではないんですからね」


 身体や心を安らがせる効果があるとはいえ、妖精茶は例えるならばサプリメントのようなもの。これを飲んでいるから無理をできるようなものではないのに。

 険しい顔をするフィアレッタの視線の先で、ジルニトラは気まずそうにあちらこちらへ視線を向けていた――が、やがて視線をこちらに戻すと苦笑いを浮かべた。

 両頬をかすかに朱に染めて、少しだけ照れくさそうな顔をしながら。


「……フィアレッタと今後も穏やかに暮らしていけると思ったら、こう……もっと暮らしやすいようにしたくて、つい……」

「んんっ」


 ――急にそんなことを言うのは反則でしょう!

 ぼっと両頬へ急激に熱が集まり、フィアレッタの顔が真っ赤に染まった。

 突然、そんなことを言ってくるだなんて卑怯だ。その場しのぎで適当なことを言っているのではないのが余計に卑怯だ。


 少し説教をするつもりでいたのに、そんなことを言われたらあまり強く言えなくなってしまう。

 数回ほど咳払いをし、フィアレッタは自分自身を落ち着かせる。

 そして、軽く息を吐いてから眉の両端を下げ、へにゃりと困ったように笑った。


「お願いですから休んでください、旦那様!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

休んでください旦那様! 神無月もなか @monaka_kannaduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ