定規
田村早瀬
定規
祖父が亡くなってから、すぐるは生前にもらった定規を来る日も来る日も大切に持ち歩いていた。
「すぐるちゃん、何をしてるの。」
加奈子が子供部屋を覗くと、必ずと言っていいほど定規で長さを測ったりして遊んでいた。
加奈子はそんな息子を少し気味が悪くい思ったが、母としてどう対処してら良いか分からずにいた。
すぐるは小学校で算数の授業がない日にも持って行った。
それを見たクラスのガキ大将は定規とばかり会話しているすぐるを面白がって、
定規を取り上げてしまった。
「返してくれよ。」
「やなこった。悔しかったら取り返してみろよ。」
細身のすぐるは体格の良い大将に敵うはずがない。
放課後も返してもらえずに大将について回ることしかできなかった。
帰り道、大将は手下の子供数人とともに、いつもは直進する道を折れた。
すぐるはその後ろをとぼとぼついていく。その先には谷があった。
谷底の渓流が見渡せる場所で立ち止まると、
大将はポケットから定規を取り出した。
「返してくれ。」
すぐるは大きな声で叫んだ。大将と手下はゲラゲラと笑い出した。
嫌な予感がした。すぐるは必死に食らいつこうとするが、手下に突き飛ばされて地面に尻込みする。その時だ。太陽の下、大将は手に持ったものを誇らしげにかざしたと思うと、それを谷に目掛けて思いっきり投げ捨てた。
すぐるは叫び声をあげた。そして、黒々と光りながら谷底に落ちていく影を見て、その場に崩れ落ちた。大将と手下はそれをにやにやと見ながら去っていった。
気づくと夕暮れ時になるまでその場で泣いていた。
「すぐるちゃーん。すぐるちゃーん。」
どこからか話を聞きつけた母がすぐるを探しに来て、
谷の前で泣き崩れているすぐるを発見した。
「すぐるちゃん。定規のことは諦めてお家に帰りましょ。」
「いやだ。」
「新しい定規を買ってあげるわ。」
「いやだ。」
「おじいちゃんから買ってもらった大切なものなのは分かるわ。けど、もう戻らないのよ。」
「いやだ。」
そう言うと、すぐるは谷に向かって身を乗り出した。
母は必死ですぐるの身を支える。
「お願いだからそんなことはやめて。」
すぐるは渾身の力で母の手を振り払おうとする。
腕一本で谷底に落ちるのを防いでいる状態だった。
「お母さんの方を見て。」
母は最後の力をふり絞りながら語りかける。
「命を粗末にしてはダメ。」
谷底を凝視していたすぐるの視点が次第に自分の顔に向けられてくるのを母は感じた。
すぐるを胸に抱きよせる。谷底は遠ざかっていった。
「お母さん」
すぐるの落ち着いた声に安心して顔を見た。
それは母親を心配する息子の顔だった。
翌朝、すぐるが学校に着くと、大将が決まりが悪そうに席までやって来た。
「返してやるよ。」
大将が差し出したのは昨日谷に投げたはずのすぐるの定規だった。
「ちょっとからかっただけだ。定規は投げてねえ。大切なものなんだろ。」
大将は顔をそむけながら小さな声で「すまなかった」と言った。
「ありがとう。」
定規を受け取ったすぐるはきょとんとしていた。
もう戻らないと思っていた定規が戻って来た嬉しさはもちろんあったが、
定規を手にしても以前ほどの魅力を感じなくなっていたからだ。
すぐるは定規を教室の明かりにかざしてみた。
それはただの定規になっていた。
何か大切なものを失った気持ちになった。
しかしそれが何なのか自分ではわからなかったが、口の中で「さようなら」と呟いた。
「みんな、おはよう。」
朝礼のチャイムとともに、先生が入って来た。
すぐるは定規を道具箱に押し込んだ。
すぐるにとって何か新しい生活が始まろうとしていた。
完
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定規 田村早瀬 @hayase_tamura
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