藤蔓を切る

濱口 佳和

藤蔓を切る

 藤の生命力には、ほとほとうんざりした。


 北関東にある親の住居は、三年以上放置され、荒れ果てていた。

 膝丈まで伸びた草を踏みつけ、ようやく玄関から入り、黴臭いなかで雨戸を開けて見渡すと、至る所に虫の死骸が散らばって、スリッパに足を通したのさえ後悔したほどだった。

 死骸の始末は母に任せ、どうにか床掃除を終えると、高台に建つその家は、見晴らしと日当たり以上に、吹き抜ける風の心地よさを思い出した。

 その住居は、仕事の都合で転居した両親が建てたものだ。父にとっては、道楽に没頭できる念願の空間でもあった。彼のにとって、東京の家は手狭すぎたのからだ。

 しかし、果たされた念願だったが、不思議なことには手遊びになり、身内からみても光を失った。

 逆境と刺激、つまり限られた時間は、凡人がおのれを突き詰め追い込むために不可欠なのだろうと思う。

 結局は、二十代からの素人離れした道楽を捨て、父は新たに彫塑に没頭した。これは彼の気性に合っていたようで、瞬く間に光を産み出し始めた。


 しかし母にとって、は住みたくない家だった。正確には、住みたいと彼女から望んだわけではなく、しかし、彼女にとって選択肢はひとつしかなかった。彼女にとって失われた時間は、やがて病となって返ってきた。幸い、早期の処置でことなきを得たのだが、おそらくそういうことなのだろうと、家族間では無言の同意を共有している。


 二十年後、父は病に倒れ、いまは別のクニで暮らしている。そうして世の中は未知の病に閉ざされ、あの家も門を閉じた。


 三年も経つと、母が丹精した庭は栄枯盛衰弱肉強食を繰り返し、目も当てられない様になっていた。

 竹が蔓延り、松は実り過ぎて、キーウィは連れ合いを無くして花ばかりがつき、芝は喰い尽くされて一面のスギナが生い茂る。足を取られそうになると、藤蔓だった。特に南面の藤は家の基礎にまで食い込んで、壁を這い上がり初めている。蔓先を切って、力任せに引っ張ろうとするがびくともしない。諦めてスギナを払いながら辿っていくと、さらに庭木を誑し込んで、高い枝先で蔓が風に靡いていた。柚子や西陽に映えて美しかったイロハ紅葉、山法師までも取り込まれ、なにやら嫌らたらしい景色となっていた。

 だが、不思議なことに花をつけなくなった。

 母が毎年切り込み整えていた頃は、たわわに房をつけた。白っぽい紫の花が下がった。

 精力を撓めることは、花の開花に繋がるらしい。


 今日はピラカンサスを切った。根本から一本だけ残し、母の指図のもと、株分かれした幹をすべて落とした。棘を避けながら、意味もなくごめんごめんと謝りつつ鋸を引き、自らに絡み付いた枝を引き折ってスギナの上へ放り投げる。枯れるに任せ、私と母は帰るのだ。


 あと三年もしたら、もう、誰もこの家を振り返らないのだろうか。


 キーウィ棚の下には、眉間に穴を空けた出来損ないの彫塑たちが転がっている。立体となった棟方志功の版画は、気味悪く勝手口に居座っている。


 かつて、四季ごとに花が咲き乱れていた。嬉しそうにいっぱいの芍薬を東京へ持ち帰った母だったが、最後の夏、ことのほかトマトと苺が豊作だったことを思い出す。


 あと三年したら。


 今日の宅配便には、懐かしい着物たちと、見つけた妹の臍の緒を入れた。

 母は背広と言ったが、懐中時計と螺鈿細工を入れようと言った。いずれ父と共に旅立てるように。

 その方が相応しいと思った。

 次は兜と内裏雛を持ち帰りたいと、母が言った。













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藤蔓を切る 濱口 佳和 @hamakawa

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