最終話 皇帝陛下の毒見役
突然の勝峰が自白に、朱里は「へ?」と間の抜けた顔をする。
(勝峰さん? いったいどうしたんでしょうか)
酒杯を一気飲みしてから
(え!? え、え? 何でしょう、これは……)
衝撃的だったのは、十年前に処刑された侍医が勝峰の命令で憂炎を毒殺しようとしたという自白だった。
(そうだったのですか!?)
しかも五年前に青蝶が美玉にあげた化粧品に、蟲毒や砒素を混ぜるよう勝峰が宇辰に命じていたらしい。
てっきり朱里は皇太后が親友を害するはずがないから、何かの間違いで多量に混ざっていたのだろうと思っていたのだが。
美玉の白粉を帯に隠していたのは、こっそり舐めるためである。
(本当は不純物の混ざらない蟲毒を食べたいのですが、なかなか手に入りませんし……貴重で美味しい蟲毒を捨てるわけにはいきません)
それを勝峰に知られてしまったかと思って恥ずかしかったのだが、よく考えたら彼も同じ毒食仲間なのでは? と思い直した。毒が好きなら蟲毒も好きかもしれないと思って雑談をしていたのだが、あれやあれやと勝峰が罪を白状するので朱里は呆然となった。
「話は聞かせてもらった」
宦官の恰好をして控えていた憂炎が朱里達の前に出てくる。
「陛下!?」
勝峰は仰天し、その場に口叩した。朱里と明明も頭を垂れる。
「……まさかお前が母上に毒を盛っていたとはな。連れて行け」
憂炎の命令でひっそりと木々の陰に控えていた兵士が勝峰を拘束して連れて行った。勝峰は暴れる様子もなく大人しかった。
「朱里、よくやってくれたな。お前のおかげであの男を捕縛できた。礼を言う」
「え……」
憂炎は優しく微笑む。
「お前がどうしても俺に聞かせたいことがある、勝峰が沈浩宇の秘密を話すから、そばで見守っていてくれと言われて驚いたが。宦官に扮して付いてきた甲斐があったな」
そう言いながら憂炎は変装のために腹に詰めていた綿を服の上から撫でる。
「いえ、その……」
朱里が憂炎に宦官の恰好をさせたわけではない。憂炎が面白がって自ら変装を始めたのだ。
(こ、こんなはずでは……)
勝峰に宇辰の潔白を話してもらうつもりが、藪をつついたら蛇が出てきてしまった。
「しかし、罪は罪として償わなければいけませんし……」
朱里はぶつぶつとつぶやく。
何とかして恩人の宇辰を助けたかったが、勝峰の言い分だと彼の命令で宇辰が悪事を行っていたらしい。だとしたら、これ以上は朱里にできることはない。
──だけど。
朱里はその場で身を屈めた。
「陛下、今日は中元節です。元々は道教の祭日として、犯した罪を償うために火を焚く伝統がありました。全て水に流すことはできなくとも、どうか温情を賜りたく願います」
皇帝への反意や美玉への殺意を考えると、九族皆殺し──つまり一人が罪を犯すと九親等の親族まで連帯責任で罪をかぶることになってしまう。
憂炎は嘆息した。
「やはり朱里は優しいな。しかし罪は罪。彼らを罰しなければ秩序は保たれない……とはいえ確かに今日は中元節か。考慮しよう。……それに俺も母上の親友である皇太后を罰して恨まれたくはないからな」
最後の辺りは小声だったが、朱里はその言葉に安堵した。
その二日後、青蝶の宮である紫玉宮に朱里と小鈴は招かれた。
青蝶の謹慎処分は解かれたものの、弟が捕まって気落ちしているかと思いきや、存外に元気そうだった。
朱里はお茶を口にしながら、窓から見える庭園の光景に見入る。そこでは青蝶と美玉が池のそばで抱き合って笑っている。
「青蝶様は、残酷な弟君に脅されていたんですって。ご両親も恐ろしくて言いなりだったとか」
隣にいた小鈴が朱里に耳打ちする。
両親はさすがに身分を剥奪されて平民落ちにされてしまったようだが、青蝶の待遇は変わらなかった。ただ、本人は皇太后の任は降りると宣言している。
「お二人で、どんな話をしているのかしらね?」
青蝶と美玉を見ながら、小鈴が言う。朱里は「どうでしょうね」と首を傾げたが、耳の良い朱里には本当は聞こえていた。
青蝶と美玉は長きにわたる誤解が解け、関係が改善している。
美玉は懇意にしている侍医から親友から贈られた化粧品に砒素が入れられていたことを知り、とっさに自殺未遂を装った。青蝶を信じていたからだ。だが、友の本音を確認するのが怖かった。元々は青蝶の方が先に妃になったのに、先帝は美玉に会うなり恋に落ちて青蝶をないがしろにしたのだ。それでも二人の友情は続いていたが、美玉は流産してしまった時にほんの少し親友の気持ちを疑ってしまった。
青蝶も弟のしでかした罪の重さを知り、とても美玉に顔向けできないと考えたらしい。そのまま、ずるずると時は流れてしまった。
風が吹いて青蝶と美玉のそばにある池の蓮の花々が揺れると、すがすがしい香りが室内まで漂ってくる。
朱里は小鈴と視線を合わせて、穏やかな午後のひと時に笑みをこぼした。
徐家で
「聞いた? 後宮に去勢していない宦官が忍び込んで罰せられたんですって」
「聞いた聞いた。宇辰っていう男が恥知らずにも文朱里様を襲おうとしたんでしょう? 皇帝陛下がカンカンにお怒りになって処刑を命じたけれど、お優しい朱里様が情けをかけられて男は投獄されたのですって」
蘭玲はぞうきんを持ったままピタリと動きを止める。
怒りに震えながら使用人達が通り過ぎるのを待った。
「宇辰が失敗したのね……」
唇を噛み締める。
「本当に無能だわ、あの男……っ! 死ねば良いのに!」
蘭玲はぞうきんを床に叩きつけて憤る。一人でぶつぶつと文句を言っているところを従妹に見られているとも知らずに。
「誰が無能ですって?」
その声に振り向けば、背後には冷たい眼差しの可馨が立っていた。
蘭玲は慌ててぞうきんを拾い上げて「何でもないわ」と取り繕ったが、そんなことで流される従妹ではなかった。
「あなた、まだあの宇辰とかいう道士のこと利用しようとしていたのね。また朱里お姉様を害そうと目論んだの? 呆れた。本当に性根が腐っているのね」
そうため息混じりに罵倒されて、蘭玲は怒りで目の前が真っ赤になる。
「そ、そんな……そんなことないわよ! あの女が悪いの! 私から全てを奪ったんだから! 皇帝陛下も、お義兄様も、両親の愛情も! お義姉様さえいなければ全部私のものだったのに……ッ!」
そうわめく蘭玲を冷淡に見おろして、可馨が嘆息する。
「たとえ朱里お姉様がいなかったとしても、あなたが欲しいものは手に入らないわ。だって蘭玲には朱里お姉様が持っていらっしゃる美徳が一つもないもの。目が見えなくても他人を気遣い、悪意を持つ妹さえかばう。そんな朱里お姉様だから私も伯父様も天祐お兄様も、陛下も大好きなのよ」
従妹から姉を賞賛する言葉が投げられて、蘭玲はうな垂れる。どこに行っても朱里をほめたたえる言葉ばかり。自分との差に泣けてくる。
そして後日、可馨が父親に告げ口をしたらしく、蘭玲の元に一通の手紙が届いた。それは父親からの絶縁状だった。しばらく暮らせる生活費も渡された。
『お前が反省する姿を見せたら、いずれ文家に戻すつもりだった。だが太宗やお前の従妹からくる報告はろくなものではない。もう私には蘭玲という娘はいない。二度と文家の敷居をまたぐな。即刻、徐家から出て行くように』
その言葉に大泣きしたが、従妹達は無情にも蘭玲を家から放り出した。
可馨は己の髪を梳かす侍女に話を聞かせていた。
「……まあ、女一人で家も職もなく生きていくのは大変でしょうからね。伯父様からお願いされて、お父様が陰で蘭玲に仕事を融通してあげたみたい。本当に甘いわよねぇ。今は蘭玲は商家で住み込みをしながら真面目に下働きをしているらしいわ」
さらに過酷な環境に追いやって反省させたのが功を奏したのか、それとも一時の反省なのかは分からないが。
「なかなか性格は変えられませんからね。かなり努力しなければ」
侍女の言葉に可馨はうなずく。
「そうね」
可馨は『これからも蘭玲が悪さができないように私が目を光らせておかなければ』と心に決めるのだった。
翌年、猛勉強した朱里は無事に科挙に合格した。
「これで私も立派な毒見役ですよね!?」
朱里が合格証を持って憂炎に見せると、彼は我が事のように嬉しそうに笑う。
「良くやったな、朱里」
そう言って抱きしめられて、朱里は満足げに微笑む。
「これで憂炎の負担を軽くできますね」
朱里の言葉に憂炎は瞠目して──花が咲くように嬉しそうに笑った。
「……本当に、お前には負けるよ」
そう言って憂炎の唇が近付いてきそうになったが、朱里はそれに気付かず立ち上がる。
「もっと、たくさんの毒がこの世界にあるはずですから……! 私はそれを知りたいのです。見て、味わいたい」
「しゅ、朱里……?」
口付け寸前で自然にかわされた憂炎は呆然としている。
しかし憂炎の言葉を聞いていない朱里は拳を握りしめ、宙を仰いだ。
「至高の毒を見つけるまで、私は諦めません!」
皇帝陛下の毒見役として、朱里はこれから新たなる一歩を踏み出すのだった。
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皇帝陛下の毒見役 暴食の妃は後宮の毒グルメを堪能します 高八木レイナ @liee
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