灰かぶりの夜

kumanomi

甘い夢

 灰色の空。遠く工業地帯に並ぶ煙突が、重い煙を空に向かって吐き出しているせいだろう。遠くにうすぼんやりと灯る光が太陽だ。それ程までに重くよどんだ空。そんな空を眺めながら仕事をして、家路に着く。それがここに暮らすおおよそほとんどにとっての人生になる。


 ひゅう。ひゅう

 呼吸が聞こえる。自分の目線のはるか下から。見ると自分と同じようなみすぼらしい見た目の中年のやせ細った男だった。凍った水たまりの上で寝転がっているのだった。少し離れて割れた酒瓶が破片を散らしていた。

「なあ、あんた。起きなよ」

 声をかけると男の目が少しだけこちらを見る。


 ひゅう。ひゅう

 しかし男は相変わらず呼吸だけだ。よく見ると寝転がった首の後ろが赤く滲んでいた。灰に濁った中に鈍く虹が輝く廃液の水たまり。それが凍った表面に、じわりと朱が混じっている。

 やおら腰をかがめ、浅く呼吸する男の首裏を眺める。すると男の首下には角材が枕のように置かれていた。しかしそれは枕の用途でもちいられている訳ではなかった。その証拠に角材に残った釘のむき出しの先端は男の首の内側に深々と突き刺さり、そこからとくとくと血が流れている。

 おそらく抜けば出血の勢いは増し、男は一気に失血死するだろう。

「あんた、『灰』は?」

 男から返事は無い。おそらくどこかで使い切ったんだろう。なら、できることはない。


「足下には気を付けなよ」

 目の前の男をただ寝ている男だと思うことにした。そうすればこの男の死と無関係でいられる。

 何度もこういう奴を見てきた。酔うと足下の注意が疎かになって、寒さで凍った廃液の上ですっころぶ。そして無造作に散らばった木材やら金属やらが肉を突き破って転んだ人間を殺す。そんなこと、何度この廃材まみれの街で起きただろう。

 そして、必ずそういう目に遭った浅い哀れな奴は「助けろ」と目で訴える。ひゅうひゅうと口から酒臭さにほんの少し血の香りがまざった息をこぼしながら。

 ごめんだね。寒かろうが酒なんか飲まず足下に注意して生きていくべきだ。自業自得だ。


 立ち上がり、まだ呼吸が続く男から視線を逸らし、背中のリュックを背負いなおす。がじゃりと中で音が鳴る。酔っ払いを殺した杭と角材と同じような廃材がリュックには詰まっていた。こいつを金に換えなければ今夜の宿代を払えない。廃材は目の前の男を殺したかもしれないが、一方では私の命を長らえさせてくれる。私は男に背を向けて再び歩を進めた。

 ……男の頭の下の廃材までは、集めようとは思えなかった。




 その後も何度も灰色の凍った廃液を目にしながら、建物の間の泥道を進む。目指す換金所はもうすぐだ。だからこそ少しここから気を引き締める。リュックがぺちゃんこか、何も背負ってない奴が現われないことを祈る。

 進む中で角を曲がり開けた道に出た。そこで同じような出で立ちの人影が目の前の別な通路の角から表れた。最初は警戒を強めたが、やがて息を整えた。目の前の人物は私と同じような出で立ちであり、荷物がつまったリュックを背負っている。


「やあやあ。ぱんぱんだな」

 目の前の同業者が声をかけてくる。廃材漁りは有毒ガスを吸って肺がいかれることもある。だから目の前の男もまた口にきつく覆いを巻いていた。

「ああ、あんたも」

 こちらのリュックもぱんぱんに膨らんでいることに安心しているようだ。

「お互い豊作だな」

「金になりそうな鉄クズがよく見つかったよ。。しかし、この辺りまで来ると毎度嫌な汗をかく」

「同じくだ。嫌な商売だな。行くか」

 

 男と並んで歩き始める。口調は穏やかだが、目配せは抜かりなかった。常に近くの建物の出入り口に視線を配りながら男は歩いていた。広い通りではあったが、廃屋や壁際に寄らず、道の中央を歩く。

「横取りが怖いのか?」

「ああ、怖いね」

 男は警戒を緩めずに返事をする。

「襲撃されたことあるのか?」

「一度だけね。でもコイツでぶっ殺してやった」

 男はそう言うとボロボロのコートを開き、内側のポケットを見せる。そこには鈍く光る金属製の道具が二つ収まっていた。

「銃だぜ、銃。都市の戦争をする奴らはこれで殺し合ってるんだ」

「そんな小っちゃい道具でか? 角材でぶん殴った方が早そうだ」

 男はへらへらと笑う。

「なにがおかしいんだ」

「いやいや、あんたコイツをよく知らないからそんなことが言えるんだ。コイツはなあ、ここの引き金を指で引くとドカンと爆発して、尖った鉛が矢より早く飛び出すんだぜ」

「……とんと想像がつかねえな」

「まじにすげえんだって。俺が鉛をぶち込んでやった奴はな。ぶち込まれて尻餅ついてやがったんだ。そしてうずくまってガタガタ震えながら『死んじまう』って」

「……それはすげえや。そいつにとって、リュックは死んでも欲しかっただろうに」

「そうともさ。俺らもリュックが空な時はそういう気分になりそうにもなるからな。その必死さは共感できるだろう」

「ああ。でもそんな気もどっか行っちまうくらい痛えのか、それ」

「ああ、痛えよ。商業区域や工業区域の奴らの武器さ」

「なんでそんなもん持ってんだ、あんた」

「拾ったのさ。廃材の山の中でな。商業区と壁一枚の区域に落ちてた。運が良い」

 男はコートを閉じる。

「なあ、あんたはまだ『灰』で身を守ってるのか?」

 男が私に問いかける。私は頷く。

「でも角材もある。それにナイフも」

「とはいえ最後は『灰』頼みだろ」

「そういうもんだろ私達は。じゃあなにか。あんたみたいに銃を持った方が良いのか?」

「ああ。あんたも分かってるだろ。『灰』だけじゃ生きて行くにはどうにもなんねえって。まじないや、魔法なんてくだらねえ。お伽噺に縋ってる場合じゃねえだろ。ほらあんたも持ってけ」

 男はコートの内の銃の一丁を私に渡した。両の手の平程の大きさの銃は見た目に反して重みを感じる。

 私は銃の男になにか言い返したかったが、言い返すことはできなかった。背負ったバッグに吊り下げてある小瓶。その中にある『灰』の現実味の薄さには自分も覚えがあったからだった。だから結局、その金属の塊を外套の内側に収めたのだった。銃の男は少し安心した様な表情だった。


 そんな話を銃の男としていると集積所に着く。商業区や工業区に続く大きな橋が見える。その根元に集積所は位置していた。大小様々な貨物トラックが雑多に停まっていた。かなりの立ち往生を食らっているようだ。その車列は小屋がいくつもあるようにすら感じる。

 トラックの所有者達は思い思いに過ごしていた。運転手は煙草を吹かして遠くを見つめており、同席していたであろう商人は集積所の役人と手続きを行っていた。中にはしびれを切らしたのか貨物の一部を売りさばくための露店を開いている者もあった。


「おい、ネズミ共」

 廃材集めの蔑称べっしょうが聞こえた。声のする方にはトラックの積み荷に寄りかかって煙草を吹かすキャップ帽の運転手がこちらを見ている。

「お前らが来るとこの辺りが臭うんだが。別な場所で商売をしてくんねえか」

「黙ってろ、運び屋共。嫌ならお役人にでもなれってんだ」

 銃の男が吐き捨てる。皮肉が混ざったのはさっきの意趣返しだろう。

「けっ。俺だってもうちょい学があれば、お前らドブネズミ共を全員廃棄してやってたぜ。俺のおつむの悪さに感謝しな」

 歩みも止めずその会話は運転手の言葉で終了した。集積所ではよくある会話だった。ここでは廃材集め以外は商売人と運転手と検問所の役員が主役だ。私達は端役も端役。異端もいいところだった。私達はここに施しを受けに来ているだけにすぎない立場ゆえだろう。廃材という商売道具はあるが、明らかに見下されている。しかしそれにも慣れっこだった。

 そう言えば。ある日、廃材集めが蔑称に腹を立てて、運転手達に食ってかかった。すると他の運転手達も集まり廃材集めはあっという間に取り囲まれてリンチされた。運転手の輪が散らばると、その床には痛みに震えてうずくまる廃材集めの姿があった。その頭蓋は踏みつけられて陥没しており目玉は飛び出してしまっていた。おそらく彼も『灰』は使い切ってしまったんだろう。自衛できなかったのだ。

 そんなものを見ると、少しは自分達の立場を弁えられる。


 集積所の外れの方。トラックの列の裏手に目的の換金所はあった。他にも数人の廃材集めがそこにいる。

「じゃあここらで」

 私がそう告げると、銃の男も軽く手を挙げて別れた。それぞれ列に並び、受付を待つ。

「リュックの中身をこちらに」

 全身をプロテクターやヘルメットで保護した役人が現われる。胸のプレートに刻まれたZONIAの文字が鈍く輝き、換金所の運営が何者によって成されているか示している。

 指示通りに廃材を近くのダストシュートに入れると、役人は近くの端末を眺めた。

「報酬だ」

 やがて端末が画面を変えると、計算機が報酬を計算し、近くのキャッシャーから弾き出す。紙幣を引き抜き、軽く数える。思わず顔がほころんだ。久々に口角が上がった気がする。手の平の中のくしゃくしゃの紙幣は今夜の宿代どころか数日分払えるほどだった。正に、生きてるって感じだ。


「早くどけ、次だ」

 役人の注意を受けて、意識が現実に帰る。次に慌てて順番を譲った。

 浮かれるのも無理は無い。今夜はストーブを遠慮無く回した宿で肉が詰まって丸々太ったウィンナーを頬張ることができるからだ。そしてウォッカを片手にベッドで前に泊まったときに読み切れなかった小説を読もう。ボロ布を纏い、廃液を垂れ流すボイラー機に寄り添ってまた外で眠るのは当分先だ。




 すっかり日は落ちて、わずかな街灯や、バラックの壁に繋がった電球の明かりを頼りに帰路を歩く。凍った廃液には十分に気を付けた。酔ってすら無い、金を手に入れて浮かれて転んで死ぬなんてごめんだ。

「知るかよ!!」

 突如、怒号が街路に響く。入り組んだ小道の奧。三叉路で男が叫んだのだ。そんなことはよくあることだ。しかし、妙に心がざわつくのは……。その声に聞き覚えがあったからだ。聞き間違いじゃなければ、換金所で行動を共にした銃の男の声だ。

 息を潜めて、そちらに近づき、物陰から様子をうかがう。やはり、あの男だ。口から血反吐を吐き、立っているのもやっとというほど痛めつけられていた。両脇を換金所にいたような武装した役人に取り押さえられ、膝立ちにさせられている。そして銃の男に対面するコート姿の人物。頭はフルフェイスの黒いヘルメットに覆われ、性別は伺えない。コートにはいくつも金の線が装飾されている。それらの線は複雑に交差し、いくつもの五角形の模様をコートに刻みつけている。そしてその紋様は男が背にベルトで固定した大剣にも刻まれていた。刀身は細いが、その長さは男の身長ほどだった。何を斬るための剣なのだろう。


「聞け、名無しのドブさらい。貴様の現在の禁則タブーは『ONION5』だ。5以下のタブーについては免責される」

「訳分かんねえことをベラベラ喋ってんじゃねえよお役人!」

「しかし、貴様は『ONION3』のタブー『銃の所持』を行っている! 3以上のタブーへの免責権は貴様にはない」

「……拾っただけだろうが」

「ならん。免責権以外の例外は有り得ない」

「あんた、よく見たら官憲隊ヤードじゃねえな。おい、いいのかよ? 治安協会様が黙ってねえぞ、お役人如きが官憲の真似事とはよお! クズ集めでもそれくらいは知ってんだぜ!?」

「問題ない」

「!?」

「我々は禁則処理協会。タブーハンター。他の協会も我々の活動を認めている。貴様のように己のタブーがこの都市のどこに位置するか理解もできぬ痴れ者しれものに、我々の技術をなんの対価も無く! 何の代償も無く! 使わせるわけがないだろう!?」

 タブーハンターと名乗った男は上半身をうねらせて、その勢いで大剣を引き抜く。その刀身が、男の顔に突きつけられた。

「命で償え」

「知らなかったんだよ!! 俺達はZONIA領でも外様も外様だぞ! 見ろよこの外郭を! バラック小屋とくそったれゴミ漁り共の住処だ! そんな場所に住む俺達が……凍土の中で『火』にすら当たれねえ俺達が……そんな都市のルールなんか知る訳ねえだろ!?」

 タブーハンターは男の言葉にしばし逡巡しているようだ。そして構えを解き、大剣を地面に杖のように突き刺す。

「ふむ。では貴様の価値を示せ」

「へ?」

「貴様のこの都市での価値だ。示せ。なんでもよい」

「……!」

 不意に役人が両脇を放し、銃の男は地面に投げ出される。しかし逃げ場は無い。漆黒のフルフェイスメットが男の目の前にあった。その内側を知ることはできない。しかし確信できるのは。視線だった。何もかもを見逃すまいとする執拗な視線をメット越しに男は感じていた。

「こ、これは!?」

「うん?」

「今日の換金でもらった分と……これまでの分全部だ! 金だよ! 大金だろ!? こんだけありゃ宿に数ヶ月は暮らせ……」

「キャラメルだ」

「へ?」

「キャラメルだよ。砂糖と牛乳を煮詰めた菓子だ。知らんか?」

「……知ってるとも。でもそれが何だ」

「都市の中心ではキャラメルと同じ値段だぞ、これは」

「そ、そんなわけ……」

「もっと教えてやろう。換金所の橋を越えてZONIA領の中心ではな、ホテルというものがある。地上数十階に及ぶ巨大な塔のような建物の中には宿部屋が無数にある。そこにはベッド、食い物や飲み物を冷やす冷蔵庫、電波に映像を乗せ遠く離れた場所の風景を写すTV、ホテルマンと呼ばれる給仕すらついてくる。それが我々の『宿』だ。お前の宿とやらは……ふっ! 馬小屋の様な代物だがなあ」

「馬……小屋?」

「そうだ、馬の寝るところだ。飯だけ出てきて粗末なベッドに寝るだけなど。金を払うのも惜しい。そんな場所の1泊の値は我々のキャラメル1欠片とイコールだ」

「あ……へ……?」

 のぞき見ているこちらまで、心臓を掴まれたような気持ちがする。なんとしても価値を見出さなければならない。

「お前はキャラメル1個で銃とその所持の免責を我々から買おうとしているのか……?」

「い、いや」


「うんざりだな」

 タブーハンターがかがみ、軽やかに地面から引き抜かれた大剣が横一文字に振り抜かれた。

「わっ、わっわっ……」

 数歩、後ろによろけた銃の男の上半身がそのままずるりと後ろにずれた。ずれた勢いは収まらず、やがて落ちる。腰を皿に見立てたならばその上に盛られたゼリーがこぼれ落ちるように。男の上半身は力なく、地面に、落ちていく。そして衝突と同時に賽の目に線が入り、細切れに男は地面にぶちまけられた。

 奇妙なことにその賽の目に切られた男の肉片は、ぶるぶると振動している。衝撃でそうなっているのではない。事実、数秒が経過してもなお振動し続けている。自発的に振動しているのだ。やがて肉片の山はひとりでに崩れた。肉片達が小さな足を生やして、一つ一つの生き物の様に街路の暗がりに向かって走り出したのだ。

 銃だけが細切れにならずに街路に残されていた。あの大剣は何を斬ってしまったのだろう。




「報告によればもう一丁、あるはずだ」

 役人がギョッとした顔をする。

「たかが拳銃一丁をまだ探すのですか!? もう夜も深い。この辺り――都市の外郭はまともにブリザードが吹き付けますよ」

「……協会の取り決めでタブーの違反への処罰は厳正にせねばならなくてね。大統領府――グラスハウスはこの手の処罰については絶対なのだよ。すまんが手伝ってもらいたい」

 男達が話しているのは間違いなく自分のことだった。男に受け取ったもう一丁の銃だ。

「……まあ、しかしそれほど時間はいらんよ。なあ?」

 タブーハンターの頭がこちらを振り向く。

「取り押さえてくれ。そこの物陰で不安そうにこちらを見ている奴だ」

 

 役人達がこちらに向かってくる。今まで生きた中で一番の恐怖が身体を巡る。早まった心臓の鼓動で鼓膜が揺れているようにすら感じた。私は本能的に気づけば受け取った銃を引き抜いて、物陰から身を乗り出し、迫り来る役人二人に引き金を引いた。

 閃光と破裂音がいくつか響く。爆発にすら感じる射撃音。鼓膜が吹き飛んだかと感じた。しかしそれよりも驚いたのはその射撃の結果だった。

「ぬ……ぐおおおおおお! くそったれ!」

 役人達は地面に転がって、のたうち回っていた。どうやら銃弾の数発は役人達の腹に着弾した様だった。銃の男が話していたように激痛に悶えている。あんな分厚い胴のプロテクターを貫通したのだろうか、この銃は。ならば……! ならばこの大剣野郎にも!

「……全く吐き気がするな。それは我々の道具だというのに」

「わっ!?」

 タブーハンターは気づけば目の前にいた。音も無く近寄ったのだ。優に10メートルほど離れた銃の男の死体からここまで跳躍したのだろうか?

「くたばれ!」

 再び銃を構えタブーハンターのメットに向けて引き金を引き続ける。黒く覆い被さるように目の前に立っていた長身は閃光が輝く度にのけぞり、後ろに数歩後退した。手応えを感じる。

「……やはりZONIAの製品はすばらしいな。企業間戦争を生き延び続けているだけはある」

「!?」

 メットは無傷では無かった。しかしそれは弾丸の衝撃でぐにゃりと陥没するのみだった。出血も無ければ、弾痕もついてはいない。

「弾は……?」

「?」

「ぶちこんだだろうがぁ!?」

 殺そうとしていた奴に質問するのはひどく滑稽に見えるだろう。しかし聞きたくて仕方なかった。理解ができない。

「……興がのった。叩き切る前に教えてやろう」

 メットに横一線に線が入ったかと思うと口のように縦に開く。しかしそれは比喩ではなかった。口だったのだ、それは。そこから大きく付きだした舌の先には硝煙をあげる銃弾が唾液に塗れて載せられていた。

 タブーハンターが拳でメットをコンコンと小突く。

「タブーのONION2――『生体装備』だ。イド調整を施された獣性特化型。物理衝撃は流体にて受け流し、攻撃時は硬化し牙や爪を生じる」

「……分からねえよ、なんにも」

「だろうな、貧乏人のクズ。……全くタブーの外にいる者は不憫だよ。よくも分からず生きて、ある日こうやってよくも分からず死ぬんだ」

「……タマネギの何がそんなに偉いんだ」

「……驚いたな、ONIONが何を意味するか理解している。クズ拾いにしては学があるんだな」

「ああ。それとお前の知らないものも見せてやる」

「ほう」

「そのクソONIONのどこにこいつは位置するか教えてくれや。物知り口裂け野郎」

 

 私はリュック横の小瓶を引き抜く。そしてその中身を上空に振りまいた。

「……灰か。綺麗だな」

 タブーハンターが月明かりに煌めく灰を見上げる。

「ああ。綺麗だ」



 

 やがて落ちてくる灰の一つ一つ。それはゆっくりと発火していく。それらはまるで自らが激しく燃えさかっていた頃を思い返すように。残り火を慈しむように。

 パチパチと火が弾ける音がする。こんな夜更けに。こんな寒さの外で。こんな誰も彼もに忘れ去られた都市の端で。




「なんだ。何の特異点だ、これは……」

 タブーハンターが初めて目の前の出来事への狼狽えを表した。思わず笑みがこぼれる。こんなくだらないまじないは外では有り得ないものだったようだ。

 

 がしゃり、がしゃり。

 タブーハンターが背後を振り返る。街路の影。暗がりの階段を何かが降りてくる。わずかにパチパチと何かが弾ける音もそこから響いてくる。

 がしゃり、がしゃり。

 暗がりが橙色に染まる。火花がこぼれたかと思うと、音の正体が姿を現した。それは煤塗れの騎士だった。炎が身を包み、今にも燃え落ちてしまいそうな姿だ。

「騎士? 灰と炎」

 現状を確かめるようにタブーハンターが呟く。そんな彼に無言で灰の騎士は飛びかかった。

「!?」

 鎧と同じく炎と灰に包まれた剣が、タブーハンターの頭に降り降ろされる。その一撃は大剣に阻まれ、衝撃と音が響く。

「おおおおおおお!」

 頭上から、自らを上回る膂力で押しつぶされそうになっている。加えて炎に燃える灰が騎士の鎧から風に乗り、タブーハンターのコートに群がっていく。そして静かに炎上し始めた。

「燃えないんだぞ、この装備は!? なんだこれは? なんだこの炎は!?」

「何も分からず死んでいけ若造。そこな、クズ拾いに貴様が教えたとおりだ。戦場は理不尽が支配する」

「おおおおおおおおお!」

 あっという間に燃え広がった炎がタブーハンターを包み込む。その激痛によって力が抜け始め、灰の騎士の燃える剣がタブーハンタ―の片口にゆっくりと差し込まれていく。……肉の焼ける音と匂いがし始めた。

「死ね。無意味に、無価値に。貴様も灰となって忘れ去られる」

 灰の騎士は剣を握る手はそのままに、もう片方の手でタブーハンターの頭を掴み、さらに下に押さえつける。タブーハンターは既に足は炭化し、上から潰されるように徐々に燃えて、崩されていっていた。生体装備と呼ばれていたメットからは獣の断末魔のような悲鳴が挙げられる。あれは本当に生きていたのかもしれない。




 悲鳴が途絶え、ぐしゃりと灰の騎士が燃えかすを踏みつける音が響いた。もはやタブーハンターの姿は灰の塊になっていたのだった。

「この灰を集めておけ。お前を助けることができる」

「嫌だ」

「……なぜだ」

「私を育てたクズ拾いは言っていた。『死の危険を感じたならば灰を被れ』と。そうすれば灰の騎士が生きる手段をくれると」

「如何にも」

「だから、なんなんだ?」

 思い出していた。転んだ酒飲みを、いつかの換金所でリンチされたクズ拾いを。……そしてそこで無残にぶちまけられた銃の男を。

「あんたが来て、生き延びて、だからなんなんだ? ZONIAのサービスを受けられないで、こんなブリザードがまともに吹き付ける外郭で生きて行けと? 役人やトラックの運転手共にリンチされる恐怖と屈辱に震えながらクズを拾って換金しろと? キャラメルにしかならないものをありがたがって生きて行けと?」

 灰の騎士は沈黙する。

「魔法とまじないじゃ腹は膨れない。生活は豊かになれない。ここは抜け出せない。また今日みたいに理不尽が襲いかかって、生きていくのか?」

「望みはなんだ」

「ZONIAのサービスを受けたい。暖かさが普通の毎日を送りたい。外で眠るのはごめんだ」

「奴らの火は冒涜だ」

「言ってろ、クソ野郎。そんなことをのたまって無様に死んでいったジジイ共を私はごまんと見てきた」

 気づけば私は銃をこめかみに突きつけていた。

「死ぬのか。女」

「ああ。多分そこの男が私にこれをくれたのはこのためだ」

 引き金を引く。閃光と爆音が私の意識をもぎ取った。その刹那に思い出したのは。宿と図太いソーセージと酒と――読み残した小説だった。題は『サンドリヨン』だった。

 

 サンドリヨンの灰かぶりは魔法が切れても、王子と結婚して夢を掴んだ。しかしここの連中は灰を被って生き延びた一時の安堵だけ。いつまでもいつまでも、いつかここを抜け出すことを夢見ている。私はタブーハンターに夢の終わりを知らされた。キャラメルをいくつ積めば私はここを出られるだろう。


 甘くとろけるほどそれは虚しい夢だった。最後に意識が遠のく時、頬に触れたそれは灰だった。わずかにふんわりとやわらかい灰を枕に、私も結局、寒い外で死ぬことになった。

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