息子の異変

 健太を見送った後、アキはテレビを消した。静まりかえるかと思ったが、絶え間ない風雪の音が却って騒々しく鼓膜を叩いた。


 この吹雪の中を、健太は伸也を探しに行った。そう思うと、怖くなる。大丈夫だろうか。無事に帰ってくることが出来るだろうかと不安に駆られる。


 もしも健太がいなくなったら。


 ふとそんな言葉が浮び、身を捩るほど苦しくなった。彼がいなければ生きてはいけないのだと、鮮烈に思う。彼の笑顔は心を照らし、交わす言葉で安らぎをえる。腕に抱かれて優しく触れられれば、限りない幸福を感じる。別れると自分勝手に決めておきながら、彼の存在にこんなにも身を預けていたのだと思い知り動揺した。


 じっとしていられず窓辺に向かう。歪んだ窓枠の隙間から風が吹き込み、カーテンが揺れている。風の入り口に指を当て、冷たさを感じる。せめて彼と同じ冷たさを自分も感じていたい。でなければ、苦しくて息が止まってしまう。


 落ち着かない鼓動のどこかに、嫌悪感がある。それは自分に対するものであり、吐き気を伴う記憶と繋がっている。


 男に依存する自分は、母と同じだ。


 小学校に通い始めたばかりの子供を家に残し、母は男と暮らしていた。時折学校から帰ると千円札が置いてある。それを見付け、母が自分を忘れていないことに安堵した。


 数ヶ月に一度母は家に戻ってきた。その時はぬいぐるみか何かのようにずっと抱きしめてなで回し「やっぱりあんたが一番可愛い」と言う。それが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。けれど、暫くしてまた母はいなくなる。


 男に捨てられた時だけ帰ってくるのだと、その内に気付いた。自分は男の代替え品として可愛がられ、捨てられる。それが分かっていても尚、母の愛を求めていた。


 同居する男に犯された時も、助けてくれると信じていた。


 家を飛び出し公園の遊具に身を潜めた時も、探しに来てくれるのでは無いかとどこかで期待していた。でもそれが幻想だと分かり、裏切られた腹いせに電車に飛び込んで借金を背負わせてやろうと思った。


 真田に囚われていた時も、解放されてからも、探してくれているのでは無いかと期待して、見事に裏切られた。


 期待するのを諦めたとき、求めた愛情は憎しみに変わり、男にこびて生きていく姿に吐き気を覚えた。


 健太を愛する自分は、あの母と同じでは無いか。どうしてもそんなことを考えてしまう。普通に男と女が愛し合えば生じるものを、醜い執着だと感じてしまう。


 知らぬ間に、左手に爪を立てていた。


 母の事を考えると、自分の皮を剥がしたくなる。流れている血を全て抜き取りたくなる。鏡に映る自分の姿に母の面影を見付ければ、顔を剥がして捨てたくなる。


 自分は、おかしい。

 おかしくて、醜い。


「お母さん……」


 背後で、頼りない声がした。振り返ると猛が布団の上に身を起こしていた。その顔に涙の跡があり、オドオドと瞳を彷徨わせている。


「目が覚めたの?」

 つまらない考えに没頭していたと自分を嗤い、猛の隣に座る。その布団が湿っていた。アキは驚き、手を這わせて間違いではない事を確かめた。


「ごめんなさい」

 猛は唸るように泣き出した。アキは猛を抱き寄せ、後頭部を撫でる。


「大丈夫。大丈夫よ」

 自分よりも背の高い息子をぎゅっと抱きしめる。

「風邪引くから、シャワー浴びておいで」

 猛は小さく頷いて、立ち上がった。


 猛が浴室に入ったのを確認し、新しい下着とパジャマを揃え、汚れたパジャマとシーツを洗濯機に入れた。濡れた布団を見つめ、どうしたものかと首を傾げる。冬は布団を干すことが出来ない。そして、嵐が去ったらコインランドリーで洗おうと思いついた。布団も丸洗いできるコインランドリーが江別にある。そこで洗おう。


 布団を畳み、二階へ運び、新しい布団を降ろして敷く。もともと正月に親戚が寝泊まりできるよう取り壊さずにいた離れだから、布団は沢山ある。


 全て整った頃、猛が新しいパジャマを着て戻ってきた。アキはマグカップに牛乳を注ぎ、レンジで温める。


 電子レンジは陽だまりのように内部を照らす。電子音の中でマグカップが回っている。それを、二人並んで見つめた。


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