救いの手は役に立たず
安弘の元へハイエースを走らせていたが、田園地帯を甘く見ていたと保志は後悔していた。
国道でも、道の端を示す矢印を頼りに何とか車を進めた。前方に車がいるのは分かっているが、車体が全く見えなかった。追突する危険もされる危険も大きく、回避するため裏道に入った。だが田舎道には目印になる物が何一つ無いので、状況は更に過酷だった。フロントガラスに画用紙をべったり張り付けたような視界に戦慄を覚えた。
仕方なくナビ画面を拡大し、それを頼りにのろのろと車を進めた。小さな橋を渡り、暴風柵のある道に出てほっとしたのもつかの間。その暴風柵が作り出した吹きだまりに突進してしまい、車は進まなくなってしまった。
「マジか」
保志は顔をしかめ、ギアをパーキングに入れた。
現状を確認しなければならない。脱出できそうであればスコップで雪をかき出すが、そうで無ければ嵐が止むまで待機だ。こんな天気の日は、JAFを呼んでもすぐに来ては貰えない。天候が回復しさえすれば、安弘が重機で引っ張り出してくれるだろう。
首にネックウォーマーを巻き、ニット帽を被り、手袋を付ける。助手席に置いてある作業用LEDライトを手にした。一見細長い棒に見えるが光度は高い。作業用のライトには様々な形状のものがあるが、天井裏に潜るときは口にくわえて這うので、いつもこの形状のものを選ぶ。
運転席から外に出ると、太ももまで雪に埋まった。
「これはやばいな」
呻くように呟き、吹きだまりから這い出す。SORELのブーツに雪が入り込んでいるが、吹きだまり以外の場所もくるぶしまで雪が積もり、靴を脱ぐことは出来ない。
「ここは、どの辺や……」
視界が奪われ、現在地を見失っていた。国道の高架下をくぐったまでは分かるが、そこからどれくらい進んだのかは不明だ。樹々の横を過ぎたのかどうかさえ分からない。ライトを翳して辺りを見渡すが、光は荒れ狂う雪を映し出すばかりで、それ以外の何も見えはしなかった。
ここで嵐が去るまで待たねばならない。暖を取るための毛布などを積むよう気象予報士が常々テレビで訴えていたが、邪魔な物などつめないと鼻で蹴飛ばしていた。その事を後悔した。
エンジンを止めた車で待機するのは寒いだろうが、仕方が無いと保志は嘆息した。マフラーが雪で埋まり、一酸化炭素中毒でご臨終するのはこの時期メジャーなエピソードだ。そこに名を連ねたくはない。吹雪は朝まで続くだろう。極寒の中車の中で震えることになるなと、渦巻く雪を呪う。
「助けて……」
不意に、女の声が聞こえた。空耳だと自分を笑う。こんなところに人が居るわけがない。まして女など。居るとすれば亡霊か何かだ。絶え間なく吹き付ける風の音に、思う以上に恐れを成しているのだろうかと自嘲する。
「助けてください!」
だが、次に聞こえてきたのは紛れもなく生身の人間の声だった。声の方へライトを翳す。すると、雪の中に白いフードを被った少女の姿が浮んだ。フードの下にある顔は、涙で濡れている。
その顔に、見覚えがあった。
「桃花か……?」
「やっさん……?」
二人は、同時に声を上げた。保志は足を高く上げて雪山を乗り越え、駆け寄った。桃花は全身雪まみれになっていた。保志はフードに積もった雪を払った。
「何でお前、こんなとこにおるんや」
問いかけに、桃花は俯いた。その顔を見て、計画的な行動でない事を察した。
「阿呆やなぁ……」
思わず呟くと、桃花は涙でくしゃくしゃになった頬を膨らませた。
「やっさんこそ、こんなとこで何してんのよ」
「何って、お前ん家に生八つ橋届けに行くとこやんけ」
桃花の顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ、車に乗せてよ! 良かった、家に帰れる……」
「それが……。スタックしてもてなぁ……。まぁ、車の中で嵐が過ぎるのを待とか……」
肩を竦め、ハイエースを振り返る。
そして、愕然とした。真っ白な視界の中で、自分がどこから歩いてきたのか分からなくなっていた。身体を回し、ぐるりと当たりを見渡してみる。
「車、見えんな」
ぞわりと恐怖が心臓を鷲掴みにした。だが恐れている姿を桃花に見せるわけにはいかない。何気ない口調でそう言いつつ、車が埋まっているはずの吹きだまりの山を探す。それは意図せぬ場所にあった。再び雪山に足を踏み入れ、数歩進む。しかし、どこにも車体は無かった。
「車……どこ行った……?」
恐怖と戦慄に背が痺れた。まるで別世界に放り出されたように、あるはずのものが無く、全てが白く塗りつぶされている。
「やっさん?」
背中で桃花の声がする。嘆息し、桃花に向かって首を横に振った。
「すまん。車を見失った」
「え……。そんな……」
桃花の声は今にも泣き出しそうだった。無理も無い。この吹雪の中一人で歩いていたのだ。やっと見付けた救いの手が役に立たないと知った絶望感は、半端ないものだろう。
「大丈夫や。この道は真っ直ぐ一本道や。お前の家か樹々か、どっちかには辿り着く。とにかく雪山から脱出や」
吹きだまりの山を、敢えて大きく崩しながら進む。だが申し訳程度にしかならすことは出来なかった。桃花は保志のコートの裾を握りしめて付いてくる。
「あ!」
背中で小さな悲鳴が上がり、コートを引く感触が消えた。雪に足を取られたのだろう。桃花の身体が雪の中に沈んでいた。身をかがめて起こしてやる。手を引いて何とか雪山を脱出し、平地に出た。といっても、そこかしこに風によって吹きだまりの山が出来ていて、この平地がどこまで続くのかは定かではない。
「靴が……」
桃花が保志の腕を引っ張った。足元を見ると、片方はベージュのショートブーツを履いているが、もう片方は黒い靴下がむき出しになっている。
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