激情の末
ただ闇雲に、桃花は歩いていた。足元の雪は不規則に吹きだまり、膝下まで達することがある。その度にバランスを崩したが次の一歩で立て直し、前に進む。そうしなければ身の内側に渦巻く激情に飲み込まれてしまいそうだった。
「死ね、死ね、みんな死んでしまえ」
譫言のように呪いの言葉を吐き出し続ける。
何故自分はこんな身体に生まれてきたのだろう。
ドロドロになる程反芻してきた問いが胸に渦巻く。肉を作るタンパク質も、骨を作るカルシウムも、身体が拒絶する。空気に混じる花粉や埃、飛び交う電磁波。息を吸うだけで、そこに在るだけで、不調を来す。この世のあらゆるものに不具合を起こしてしまう。
こんな身体でどうやって生きて行けと言うのだ。
こんな身体に産んだ母を恨む。安心して暮らしていた山の家から引き剥がし、危険な場所に放り出した母を恨む。愛情のシェルターからはみ出した途端攻撃してきた母を恨む。愛情の矛先を弟に向けた母を恨む。
恨んでも、恨んでも、求めてしまう自分を呪う。
「死んでしまえ。死んでしまえ」
呪いの言葉を吐きながら、歩き続けた。
やがて限界まで息が上がり、立ち止まる。途端に、風のうなりが鼓膜を揺すった。風が足元から身体をなぎ倒すように吹く。雪が細かい矢のように身を打つ。
足の指にぎゅっと力を入れて一陣の風が過ぎるのを耐え、顔を上げて愕然とした。
白く渦巻く雪に世界は覆われていた。その白いものは上からも横からも、あらゆる方向から無限に湧き上がり視界を阻む。絶え間なく吹く風に弄ばれるように、身体が揺れる。コートのフードを被り、首元をぎゅっと掴んだ。
「ここは、どこ……」
一本道を真っ直ぐに歩いてきたはずだ。それなのに、今いる場所が分からない。見知った風景がどこにもないのだ。
帰らなければ。
そう思い、身体の向きを変えた。その途端、前後も、左右も、上下さえも見失ってしまった。
「やだ……。助けて……」
何かを求めるように右手を前に翳し、恐る恐る足を踏み出す。一歩、また一歩。
暫く進み、身体が何かにぶつかる。沈み込むような感覚と、手を刺すような冷たさに雪壁であること察した。後ろに向きを変えて歩いていたつもりが、道路を横切っていたのだ。
「あ……」
呟きが漏れる。恐ろしさに涙が溢れそうになる。雪壁を伝い、何とか歩を進める。手袋を付けてない手は冷やされて痛んだが、何かに触れていないと真っ直ぐに歩いて行く事はできない。だが、突然目の前に腰ほどの高さの雪壁が現われて行く手を阻んだ。暴風柵と暴風柵の継ぎ目から吹き込んだ雪が、巨壁となっているのだ。
新たな壁を伝い、迂回する。反対の手が雪に触れる。反対側の雪壁まで、吹きだまりの壁が伸びているのだ。目の前にある吹きだまりは、膝の下までの高さだ。足を高く上げて踏みしめると、足は粉雪に飲み込まれていく。桃花はよろめきながら、何とか吹きだまりを乗り越えた。
一本道のどちらかに進めば、自分の家か樹々があるはずだった。しかし、そこに至るまで交差点を二つ渡る。怒りに我を忘れ、自分がどのように進んできたのか記憶が無い。もしも方向を間違えて進んでいたらという想像に、肌が粟立つ。町中に繋がる方向であればいいけれど、新篠津村方向へ進んでしまっていたら。そこはどこまでも続く田園地帯である。コンビニも民家も何もない。命をつなぎ止めるものが、何もない。恐ろしくて、足を止めてしまう。
「大丈夫。歩かなきゃ……」
家か、正人の所に行かなければ。進まなければ、死んでしまう。
僅かに残る勇気を振り絞り、顔を上げた。その目に、光が飛び込んできた。眩しさに目がくらんだが、目を閉じるのを堪えた。小さな光が揺らめきながら彷徨っている。光源は近い。
何かがある。見失わないように、そこへ一歩踏み出した。
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