家は、どこだ?

 連なるビニールハウスをくまなく探したが、健太は伸也の姿を見付ける事が出来なかった。


「どこいったんだよ」

 尖った独り言を吐き、ほうれん草のビニールハウスから外に出た。途端に風雪が襲ってきて、腕で顔を庇う。吹雪は酷くなる一方だ。懐中電灯の明かりは渦巻く白点に阻まれ、用を足さない。


 見付けなければ、死なせてしまう。


 滲むように浮んだ言葉が、背筋を凍らせる。


そうだ、この吹雪の中、惚けた父が自力で帰ることは出来ないだろう。自分が見付けてやらなければ、死んでしまう。


唇を噛み、もう一度ビニールハウスの中に入った。風が吹く度に骨組みがギシギシと音を立てている。ビニールハウスに逃げ込んでいればと思っていたが、それも危ういとを悟る。雪の重みや風でいつ崩壊してもおかしくない。下敷きになって動けなくなったら、そのまま凍死してしまうだろう。


「冷静になれ」

 自分に言い聞かせる。


「親父がどこを目指したのか、考えるんだ」

 伸也が家を出た時は、吹雪は今ほど酷くは無かった。仕事を始めると細かい事が気になって時間を忘れてしまう質だから、世話をしているうちに吹雪が酷くなって驚いただろう。慌てて家に帰ろうとしなかっただろうか。


「いや」

 健太は首を横に振った。代わって浮んだ答えに絶望し、瞑目する。


 冬、豪雪の予報が出ると、伸也はビニールハウスを点検する。自分の敷地のハウスが終わると近隣のビニールハウスも点検し、不備があればあれこれと指示を与えていた。


 健太は充血した眼を開いた。

「馬鹿親父。煙たがられてんのも知らねぇで」

 吐き捨てるように言い、白い世界に足を踏み出す。


 伸也は、自分がもっとも優れた農業家だと信じていた。それは過信では無い。豊富な知識と経験と勘と行動力で、当別一広い農地の作物を常に高品質に保ってきた。大口を叩いてと陰口を言う者がいる。人の農地にまで口を出してと煙たがられる事もある。だが、伸也が考えているのは自分の農場のことだけではなかった。「農作物は、地域のブランドだ。地域で作る農作物全てのクオリティーが高くなければ」と言うのが、口癖だった。


 大地が震えている。咆吼のような地吹雪の音、渦巻く雪。頬の感覚が無くなる。家にあった一番大きな懐中電灯と、真白に塗りつぶされそうな外灯を頼りに進む。目を瞑っても歩けると思っていた道が、別世界に連れ込もうとする魔道のように思える。それでも、進まなければならない。


 感覚を研ぎ、自分がどれくらい進んだか常に意識する。隣家のビニールハウスはそれほど離れていないはずだ。この辺りかと見当を付けて顔を上げ、目を眇めた。外灯と外灯の間に道があるのが分かる。その道を中に入っていく。納屋と納屋の間を進む。ビニールハウスを発見したのは、それが目の前に迫った時だった。


 右端のビニールハウスの中に入った。風から逃れることが出来、ほっと息をつく。


「おい、やっと来たか。雪を降ろせ。でないと崩れるぞ」

 遠くから響いた声に、思わず苦笑する。懐中電灯を向けると、伸也がのんびりと天井を仰いでいた。


「親父、帰るぞ」

 声を掛けると伸也は振り返り、「おお、健太」と軽く手を上げた。


 ギシギシと、ビニールハウスが音を立てている。健太は思わず天井を見上げた。天井を覆う雪が黒々とした影を作っている。風が吹き、ハウスが大きく揺れた。


「マジで、崩れる」

 健太は伸也の手を掴み、地を蹴った。外へ出た途端、雪に足を掬われて雪原に転がる。その身体を容赦なく風雪が叩く。思わず目を閉じたが、悲鳴のように軋む金属音に思わず目を開ける。


 今までいたビニールハウスが、ゆっくりと斜めに倒れていく。


「ほら、言わんこっちゃねぇ……」

 呆れたように呟いた伸也の手首を、ぎゅっと掴む。


 もう少し遅かったら、下敷きになってたんだぞ。

 そう、怒鳴りたいのを唇を噛んで堪えた。


「帰るぞ」

 手を引き、納屋の隙間を通って車路に出た。あるはずの外灯の明かりが、見えない。吹雪は一層強まり、何もかもを白く染めていた。


「家は……。どっちだ……?」

 辺りを見渡す。どこもかしこも、ただ、ただ、白く荒れている。

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