自分の身体を労りましょう
美葉は新千歳空港近くの救急病院に搬送され、一晩入院してから自宅に帰った。勿論正人はずっと付き添っていた。あまりにも沈鬱な表情をしているから、巡回の看護師に「そんな顔で傍に居られたら病人の身体に毒だ」と言われてしまった。
今は、しばらくは安静にした方がいいという医者の言葉を素直に聞いて、ベッドに横になっている。正人は沈鬱な表情を解すことが出来ないまま傍にいて、話を聞き付けてやって来た直美の言葉を、美葉と一緒に聞いている。
「まず一つ目。流産したことで自分を責めてはいけません」
陽汰の母でベテランの助産師の直美は、労るように布団の上に手を置いた。布団の下には美葉の下腹部がある。
「妊娠初期の流産はね、赤ちゃんに染色体異常があって育つことが出来ないから起こるの。母胎側に原因はないし、どんなに安静にしても食い止めることは出来ないの。今回はね、このケースなの。初期の流産は七人に一人が経験する事。縁が無かったと諦めるしか無いわ」
自分を責めるなと言われても、東京での心労を考えるとどうしても自責の念を抱いてしまう。そんな気持ちを察してか、直美はポンポンと布団を叩いた。
「それよりもね、妊娠に気付かなかったのが不思議。お付き合いしている人がいれば、生理の遅れに敏感になるでしょう? 検査薬で調べたりはしなかったの?」
美葉は俯いて布団を握った。食欲不振や立ちくらみ。今思えば妊娠の兆候だと腑に落ちる。だが、それに気付かなかった自分が情けなくて仕方が無かった。
「昔から生理不順で。生理が遅れてるって思いもしなかった」
美葉が言うと、直美は僅かに眉を寄せた。
「生理不順って、具体的にはどんな症状? いつもは周期的にやってくるけど、時々乱れるのか。普段から乱れがちなのか」
美葉は正人をチラリと見る。正人も気まずそうな表情を浮かべていて、視線が合ったことを契機に席を立とうとした。しかしその腕を直美が掴んだ。
「正人、どこ行くつもり。これは大事な事よ。あんたたち、結婚するつもりなんでしょ? 二人が赤ちゃんを迎えるに当たってとても重要な話。耳の穴をかっぽじってよく聞きなさい」
「は、はい」
正人は急に真面目な顔をして、正座までする。よろしい、と言うように直美は頷いてから、答えを促すように美葉に視線を戻す。美葉は肩を丸めて答えた。
「生理があるのが結構希で……。三ヶ月に一回くらい」
「……それは、いつから」
真弓は一瞬目を丸めたが、冷静な口調で質問を重ねる。美葉はますます身体を縮めた。
「京都にいた時で、仕事が忙しくなってから。半年くらい無かった事も、結構あったかも」
直美は額に手を当てて大きな息を吐いた。
「病院に行ったことはある?」
問いかけに、小さく首を横に振る。
「……無けりゃ無いで、楽だから……」
直美は小さく唸った。そして、握りこぶしを握りそこにハーと息を吹きかけ、優しく美葉の頭上に落とす。
「お母さんが生きてたら、怒られてたかもよ。もっと自分の身体を大事にしなさいって。確かに生理は煩わしいけど、赤ちゃんを迎えるための大事なものなのよ。結婚を考える人が出来たなら、その時点で心配だと思わなきゃ。……美葉の症状は稀発月経といいます。中には排卵が無い人もいるけど、今回妊娠したという事は、排卵はあるようね。でも、将来妊娠を望むなら、今のうちに婦人科に掛かって検査をして、適切な治療を受けましょう」
直美の言葉に自分の浅はかさを知り、ずんと気持ちが沈む。直美はもう一度ポンポンと今度は美葉の頭を叩いてから、正人に顔を向けた。
「正人。美葉はどうも仕事人間でね、自分の身体の不調に気付かないタイプみたい。あんたの繊細さをちょっと美葉に分けてあげたいわね。でも、そういう訳には行かないだろうから、美葉が自分の身体を大事にするように気をつけてあげてね」
「はい!」
正人が直立不動で返事をする。よろしい、と直美は頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます