静かな夕餉

 成城石井の店舗を見付けた。北海道に無い憧れの場所だったので、はしゃぎながら夕食の惣菜を見繕い、紅茶の茶葉を買った。正人は珍しく、ビールも買った。正人の周りには酒飲みが多く、誘われれば正人も一緒に飲む。しかし、自分から買ってまで飲むことは滅多に無い。それほどまでに緊張しているのだと察し、美葉は何も言わなかった。


 日が傾く中、家路を辿った。東京の空は高層ビルに不規則に切り取られている。鋏でジグザグに切ったようだと思う。玄関のドアを開ける前に、正人は一度松の木の方を振り返った。


***


 戻ってから、アルバムを開いた。どうやら撮影者は父親らしく、幼い正人と共に母の姿も写っていた。あどけない表情を丹念に切り取った写真はどれも、愛情に溢れているように見える。


 正人の母がスケッチブックに絵を描いている写真があった。正人が勉強している姿を写生しているようだ。


「正人さんのお母さんって、絵を描くのが好きなの?」

 思わず問いかける。正人もスケッチブックに家具のデザインを起こす。とても上手なので絵を習ったのかとずっと前に聞いたら、独学だと言っていた。


「お母さんは、家具のデザインを学ぶために札幌の大学に通っていたんです。大学時代に父と出会い、卒業してからすぐに結婚して専業主婦になったので、夢は叶いませんでしたが。絵を描くのは好きでしたよ。風景とか、僕やお父さんをよくスケッチしていました」

「だから、正人さんもスケッチブックにデザインを描くんだ」

 正人は手元の本から顔を上げた。さっきから数学の参考書をペラペラと捲り、まるでクロスワードパズルでも解くように、数式を解いている。


「そう言えば、そうかも知れませんね。初めて家具をデザインしなさいとお爺さんから言われた時、自然とスケッチブックを買い求めていました」

「絵が上手なのは、お母さん譲りなんだね」

「上手かどうかは、分かりませんけど……」


 正人は微笑みを浮かべ、手元に視線を戻した。

 アルバムには、北海道の風景の中にいる母子の写真しか無かった。


***


 夕食を食べても良いと思える時間まで、とても長く感じた。それなのに、いざ夕餉の準備をしようとすれば足が重く、階下に降りると息が切れた。階段が段数を増やしたのではないかと疑い、見上げたほどだ。


 電子レンジで惣菜を温めダイニングテーブルに並べ終えると、哲也を部屋まで呼びに行く。ドアが開き、不安を顔中に刻みつけたように眉を寄せた哲也が現われた。食卓まで、死刑宣告を受けた者のように、静かに美葉の後ろを歩いた。


 夕食は、重苦しい空気の中無言の内に終えた。正人はビールを開けなかった。コップに注いだ麦茶も、飲まなかった。


 食べ終えた容器を片付け、美葉は湯を沸かした。花柄のティーカップに三角形のティーパックを入れ、湯を注ぐ。背にある空気が少しでもぬくもるようにと願いながら。


 正人が、ケーキの箱を冷蔵庫から取り出した。美葉の隣に立ち、白い皿に並べていく。正人の手が、震えている。


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