大学時代の友人

 階下に降りた正人は、インターフォンの画面を確認すること無く玄関のドアを開けた。背後から見守っていた美葉は不用心だと思ったが、尋ねてきたのは警察官だろう、警官以外が空き家のインターフォンを鳴らすはずは無いのだと、思い至る。


 だが、ドアの前に立っていたのは私服の男性だった。正人と同じくらいの年齢の男性は、黒縁眼鏡の奥の瞳を丸く開いて正人を見つめた。


寺西隼人てらにしはやと、君?」

 先に声を出したのは、正人の方だった。寺西隼人と呼ばれた男性は、正人の声に瞳を潤ませた。口をぎゅっと結び、大きく頷く。

「正人君……。ごめん。ごめんなさい……」

 隼人はそう言って、眼鏡を外し、コートの袖で顔を拭った。


***


 正人の部屋には椅子も座布団も無かった。仕方なく、フローリングの床に三人は向かい合って座った。


「彼は大学の時の友達で、隼人君」

 正人に紹介された隼人は、丸顔に照れくさそうな笑みを浮かべてから正人と美葉を交互に見た。


「正人君、あの……こちらの綺麗な方は、もしかして……」

「えっと……お付き合いしている、美葉さん」

 そう言って正人はポリポリと頬を掻き、紹介された美葉は姿勢を正して頭を下げた。

「驚いたな……。正人君にこんなに綺麗な彼女がいるなんて……」

 隼人は何度か目をしばたたかせた。美葉は照れくさくなり、モジモジと座り直す。正人は美葉に微笑みを向けてから、隼人に向かって首を傾けた。


「隼人君、どうして僕が帰って来ているって知ったの?」

 隼人はああ、と声を漏らした。

「僕、今は大学で講師をしているんだ。会社勤めとかそう言うの向かないかなって思って、大学にしがみついてる。君のお父さんが明日特別講師として来てくださるんだよ。その打ち合わせでやり取りをしているうちに、僕が正人君と同級生だという話になったんだ。今回正人君も東京に来るって教えて貰ったから、会いに来たんだよ。どうしても、あの日の事を謝りたくて……」


 隼人は膝の上でぎゅっと拳を握った。正人は眉を寄せ首を横に振り、何か言おうと口を開いたが、隼人が先に床に両手をつき、頭を下げた。


「僕が、強引に誘ってしまったから……。お母さんとの約束があるから今日は駄目って断られたのに……」

「隼人君……」

 正人が慌てて隼人に声を掛けたが、隼人は顔を上げなかった。


「嬉しかったんだ。初めて出来た友達の誕生日を、お祝いしたかったんだ。祝杯ってものを上げてみたかったんだ。それだけだったんだ……。それなのに、あんな事になるなんて……」


 短く切りそろえた髪は、震えていた。美葉は胸が苦しくなり、両手で押さえた。正人の十九歳の誕生日に纏わる悲しみはまた広がり、果てが見えない。


 正人は隼人に身体を寄せ、肩に手を置いた。


「ずっと、気にしてくれていたの?」

 隼人は身体を上げ、眼鏡を外して涙を拭った。そして、何度か頷いた。


「正人君が急に大学を辞めてしまって、凄くショックだったよ。正人君がお母さんを殺したって噂が流れて、そんなことをするはずが無いって思った。色んな人に話を聞いて、実はお母さんが自殺されたと知って……。僕が正人君を引きとめなければ、約束通りお母さんと一緒に過ごしていれば、そんな悲しいことは起こらなかったんじゃ無いかって……」


 正人は何度も首を横に振った。俯いている隼人には見えないのに、何度も、何度も。正人の頬に涙が筋を作り、それを腕で拭った。美葉はボックスティッシュを探したが見つからず、ショルダーバッグからポケットティッシュを取り出して二人に一つずつ差し出した。出先で正人が泣き出した時の為に、いつも多めにポケットティッシュを持ち歩くようにしていて良かったと思う。


 二人はそれで顔を拭き、鼻をかんだ。


「……僕も、嬉しかったんだよ。初めて友達が出来て、誕生日を祝うって言って貰えて。だから、断らなかったんだ。酔って眠ってしまったのは、自分が悪いんだよ。……隼人君を責めたことは、一度も無い」


 でも、でも、と呻くように続ける隼人の肩を正人は摩った。

「隼人君が今まで自分のせいで苦しい思いをしてたんだと思うと、辛いよ……。どうか、もう自分を責めないで欲しい。お母さんを助けられなかったのは、僕自身の問題なんだ。隼人君が悪いわけじゃ無い」


 正人だけの問題でも無いと、美葉は思う。母の死に自責の念を抱き続ける必要は、正人にも無いのだと伝えたかった。だがそれは美葉が伝えることでは無く、哲也が正人に伝えるべきなのだと、唇を噛んだ。


「せっかく再会したんだから、楽しい話をしよう」

 正人がそう言って、やっと隼人は顔を上げた。もう一度涙を拭き、頷く。


 そうだ、と美葉も思った。

 過去は変えられないけれど、未来はこれから紡いでいく。正人に、当別以外の場所に友人がいた。再び芽吹いた友との関係を、大切に育てて欲しいと願う。

 

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