親子の類似点ともう一人の女
この父子はやはりよく似ていると、美葉は思った。
二人が自ら対話することは無いという確信が胸中に鎮座した。この焼酎が哲也にとって精一杯の歩み寄りだったのだろう。その小さな一歩にさえ、正人は怯えるように逃げ出してしまった。どうしたものかと、途方に暮れる。
折角、ここまで来たのに。このままでは辛い思いをしただけで終わってしまう。
美葉は哲也の方に身体を向けた。どうにかしなければと意を決したが、何らかの作戦を思いついたわけではなかった。
寝間着代わりのジャージを着た哲也を見つめる。最初に見たと時と同じ姿勢で項垂れているから、遠慮無く視線を向けることが出来た。昼間の上品な出で立ちであれば高名な学者と言われても納得がいくが、今の彼はどう見てもくたびれた老人だ。
そう考えて、美葉は少し違和感を感じた。
この、ヨレヨレのジャージを寝間着にセレクトする当たりも、正人とよく似ている。寝るだけのために服を買うのは勿体無いというのが、正人の言い分である。
正人は折角の美形なのに、服装に余りにも無頓着だ。普段着は美葉が買った数枚しか持っていないが、それを着ることも滅多にない。作業着が日常着で、風呂を出たら着古しのジャージ。下着はもめんの真っ白なブリーフとタンクトップ。和夫と全く同じものだから、正人の下着にはマジックで「マ」と書いてある。
こんな状態だから、東京の街を歩いても恥ずかしくないように、この日のために洋服を買いそろえたのである。
哲也のセーターも、新しいものに見えた。ざわりと嫌なものが、美葉の心を触った。
「昨日、着てらしたセーター、よく似合っていました。何というブランドですか? アメリカではどんなファッションが流行っているんでしょう?」
何気ない言葉を投げかける。顎先の震えに気付かれないか不安だった。哲也がこちらを見ていない事に改めて安堵した。美葉の問いに、哲也は思ったとおり曖昧に首を傾げた。
「さあ……。僕はさっぱり洋服には興味が無くて……」
返答も予想通りであった。その奥の筋書きは予想を覆して欲しいと願いながら、美葉は問う。
「そうですか。……もしかしたら、誰かに選んでいただいたのでしょうか?」
哲也は虚を突かれたように身体を後ろに引いた。正人によく似た白い顔をじっと見つめる。哲也の顔に焦りが浮んでいる。
「世話をしてくださる女性が、いらっしゃるのですね?」
哲也の視線がオドオドと泳ぐ。まずいことをした時に正人もこうやって視線を泳がせる。嘘がつけない人なのだと、美葉は確信した。
「その方とは、長いお付き合いなのですか?」
そう、言葉を吐き出した時、心臓がキリキリと痛んだ。はっと息をつき、哲也が顔を上げる。先ほどまで酒で僅かに赤らんでいた顔から、血の気が引いていく。哲也は数秒、死を覚悟した蛙のような視線を向けた。それから、のろのろと首を横に振った。往生際悪く逃げる蛙のようだと、美葉は吐き気を感じながらそう思った。
「……彼女は助手でした。ただの。ですが、自分が余りにもだらしがないので、身の回りの世話もしてくれるようになりました。そうで無ければ、単身で外国の生活をしながら研究成果を上げることなど、できません。私は、研究しか出来ないのです」
「奥様は、その方のことをご存じだったのですか?」
一度睨んだ蛙を、蛇は逃しはしないのだと美葉は思う。哲也は、曖昧に首を横に振った。
「分かりません……」
「分からない? 言葉の端々に感じることはありませんでしたか? 奥様はアメリカでの生活を心配されていたでしょう?」
後ろめたいことがあるならば、相手が勘付いていないかどうか過敏になるのではないだろうか。そう思って問う。しかし、哲也はまるで人ごとのように答えた。その口調は美葉の怒りに火を付けた。
「あまり、やり取りをしていませんでした。妻は私の集中を途切れさせてはいけないと気を遣っていて、連絡をしてきません。私が電話をするのを、ひたすらに待っていました。私がアメリカに渡った当初はまだ携帯電話が完全に普及していたわけではありませんでしたから、メールのやり取りなども出来ませんでした。私は、仕事を始めてしまうと深夜遅くまで没頭し、電話を忘れてしまいます。毎朝声を聞きたいと思いますが、その時日本は深夜です。今夜こそ、と思いますが、同じ事の繰り返しで」
思わず口を開けて呆けた。しかし、正人も似たようなものだと思い出し怒りの矛先を見失う。つかの間遠距離恋愛をしていた自分たちも、同じような状態だった。自分たちのやり取りは、もっぱらLINEであった。月に一度美葉が実家に帰り直接会うのを糧に何とか乗り切ったのだったと、思いを馳せる。
「日本には、どれくらいの頻度で帰っていたのですか? 直接顔を合わせれば、お互いの様子は察することが出来たでしょう?」
美世の問いに、哲也は小刻みに首を横に振った。
「一度しか、帰っていません」
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