闇夜に響く悲鳴
折角だから当別にないものがいいねと相談し、韓国料理を選んだ。焼肉とキムチのキンパ、ナムル、ヤンニャムチキンと彩りの良い料理は食欲をそそった。だが何故か口に入れると胃に蓋をされたように食思が失せた。正人もあまり食欲がないようで、半分以上残してしまった。明日食べましょうという正人の言葉に頷き、蓋をする。
涼しいから部屋に置いておいても大丈夫かと思ったが、ゴキブリが寄ってくるかもしれないと正人に言われて冷蔵庫に入れることにした。北海道にはいないので、そいつの脅威を忘れていた。
哲也は早くに休んだようで、気配がしない。東京に来て間が無いのなら、時差ボケにまだ悩まされているのかも知れないと、暗い廊下を見つめた。
薄暗い他人の家というのは、少し怖い。哲也の言葉を思い出して思わず腕を抱いた。早く帰ろうと階段に足を掛けた時だった。
かたん、と音がした。浴室の方かも知れない。恐る恐る視線を向ける。何も異変は起こっていないことを確認し、安堵する。
「気のせい、気のせい」
美葉は呟いて、階段を駆け上がった。
***
正人のベッドは少し黴臭い。精神的な疲れからか、正人は布団に入ってすぐに寝息を立てた。もしかしたら「実家」という場所が絶対的な安堵をもたらしているのかも知れない。
美葉はキンと気持ちが高ぶっているのを感じていた。目を閉じてはいたが、様々な思考が去来して眠りにつくことが出来ない。
シャワーを浴びた後、正人に幽霊の存在を信じるかと問いかけてみた。
『科学的に証明できないものは、信じません』
父親と同じような事をいうなと美葉が思った時、正人はふっと息を吐いて俯いた。
『でも、この家に出る幽霊なら、間違いなくお母さんです。それなら、逢ってみたいな……』
不用意なことを言ったなと、美葉は後悔した。
幽霊なんて、いないわ。科学的に証明できないものは、存在しないのよ。
眠れない理由の一つが、幽霊という存在への恐怖である。美葉は念仏を唱えるように同じ事を頭の中で反芻する。早く眠りに落ちて欲しいと切に願いながら。
身体が弛緩し睡魔の気配をやっと感じたと思う度に、車の往来の音が耳についた。そして、音や光が全く違うことに気付く。ここには葉のこすれる音も鳥や虫が鳴く声も無い。窓から漏れる光は明るくて、瞼の内側を刺激する。
京都にいた頃なら気にならなかったかも知れない。当別に戻って三年の間に、細胞の一つ一つが田園地帯に対応する形に戻ってしまったようだ。掛け布団を頭から被り、正人の寝息に耳を澄ます。こうすれば宿直室と同じだと、自分に言い聞かせる。
突然、天井からコトコトともカサカサともつかない音が聞こえ、驚きで肩が震えた。音は離れた場所から近付いて来て、頭上を通り、遠ざかっていく。身体を硬くしていると、金属音のような悲鳴が聞こえた。再び、小刻みに天井を叩くような音が近付いてくる。髪を振り乱した女の幽霊が走る姿を想像し、身体を丸めて耳を塞ぐ。悲鳴がまた闇に響いた。
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