家を処分すると決めた理由

「その……」

 哲也は指先を所在なげに絡めた。形が正人とよく似ていたが、力仕事に無縁な職業の手だ。


「正人は、上手くやっていますか? その、一般的な社会人として……」


 哲也の言葉に、美葉は即答できなかった。彼から、息子を心配する言葉が出てくると予想していなかったからだ。正人から聞いていたのは、鬱病に伏せる妻に息子の養育を任せて単身赴任し、殆ど帰宅しなかったという、冷酷な父親像だった。妻の葬儀が終わると、死後の後始末も正人の行く末の相談もせず、アメリカに帰ってしまったらしい。それから今まで、音信不通だった。今回の手紙にも、正人を気遣うような言葉は一切無かった。


「立派な家具職人として、工房を経営していますよ。友人にも恵まれていますし、私は正人さんと生涯を共にする約束もしています。私たちは、幸せです」


「そうですか……」

 安堵の息を吐く哲也に対して、急に嫌悪感が沸き起こる。顔に出さないように気をつけながら、美葉は兼ねてから疑問に思っていたことを問いかけた。


「今回、何故この家を処分することにされたのですか?」

 十年以上、放置していた癖に。その言葉は、何とか飲み込んだ。哲也は、気まずそうに目を伏せた。


「実は、区役所から指導が入りまして……」

「……指導?」


 哲也は頷いた。


「長らく放置していましたし、直前に起きたことは噂になっていましたし……。どうやら、心霊スポットと噂されているらしいのです。悪戯で侵入する輩もいるようです。窓が割れていたり、土足の足跡があったりしました。それは、仕方ない事かも知れません。放置していたのは、こちらなので。しかし……」


 哲也は言いにくそうに口ごもり、顔を伏せた。


「奇妙な声が聞こえると、役所に苦情が来るらしいのです。実際に悲鳴らしい声を録音して持ち込んだ人もいるようで。空き家を放置しておくのは防犯上も良くないし、家も傷んで崩れる可能性も出てくるだろうと。誰か住むなり取り壊すなり対処して欲しいと言われてしまいまして……」


「幽霊がでるって、こと?」

 背筋にぞっと寒気が走る。哲也は馬鹿馬鹿しいと言いたげに首を横に振る。


「そんな非科学的なもの、この世にありはしないでしょう。ですが、確かにこのままではと言う気持ちもあったので、思い切ってけじめを付けようと思ったのです」

「そ、そうですか……」


 怯えた自分を馬鹿にされたような気がして、少し腹立たしく思いつつ背を伸ばす。お化けなんかいないという奴ほど取り付かれるんだぞと内心で悪態をつき、冷静を装う。


「あの、夕食ですけど、今日の所は別々に取った方がいいと思うんです。正人さんの動揺が収まるまで、ちょっとお時間を頂きたいです」


 正人が起きたら、デリバリーをゆっくり選ぼうと考えつつそう告げる。


「そうですね、その方がいいでしょう。では、注文するものが決まったら教えてください」


 哲也に安堵の表情を見付けて、美葉は不快に思った。

 

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