錬と佳音と正人の決意

「親父の会社、継ぐことにしたから」

 正人が答えを導き出す前に、錬は決意表明のようにそう言って、胸を張った。


「えー!? 何でだよ! お前薪釜のパン屋を当別に開くのが夢だべ。もう、例の町の商業地に店を開くって契約もしてるべさ」

「そうなんだけど、怒られるかな、やっさんに。でも、まだ更地だから実質損失は出ないよな」

「……まあ、商業地の建物も、これからリゾート開発会社の方と詰めると美葉さんが言ってましたから……」


 頭を抱える錬を励ましてみたが、腑に落ちない思いが残る。錬に問いたいことは沢山あるが、何からどう問えば良いのか分からない。健太も同じ思いのようだった。代表者のように、悠人が口を開く。


「佳音は、反対しなかったのかい?」

「それが……」


 錬は言葉を濁して俯いた。困ったように眉を寄せてビールをぐっと飲み干す。健太が六缶パックから新たな缶を取り出して渡す。それを受け取りながら、錬はぎゅっと眉を寄せた。


「佳音まで、一緒に会社を手伝うって言い出してさ……」


 え、と正人は思わず声を上げた。正人は以前、「パン屋を開業したら店を手伝うことにされていた」と腹を立てた佳音の愚痴を聞いたことがある。その時佳音は、「看護師として自立した人生を歩みたい」と胸を張っていた。


「佳音さんが、看護師さんを辞めるなんて、考えられません……」

「そうなのさ……」

 思わず呟いた言葉に、錬は頷いた。


「俺が栄田農機を継ぐなら、傍でそれを支えるのが自分の役割だって言い出したんだ。うちの母さんみたいに、将来俺に何かあったら変わりに社長業をこなせる存在にならないといけないんだって」


 だからって、自分の夢を捨てなくても。そう思ったが、悠人と健太は複雑な溜息をついた。


「確かに、栄田農機が長期間休むとか、事業が滞るとか、そんな事になったらえらいことだからな」


 複雑な声音で、健太が言う。悠人も頷いた。


「社長が入院したのが農閑期で、何というか、間が良かったのかも知れない、とは正直思う。いずれにしても奥さんの専務がしっかりしてるから、何とか乗り越えたとは思うけど」


 悠人の言葉に、錬は頬を少し歪ませた。


「その母さんの姿を見て、自分もそうならないといけないんだと、思ったらしい。俺、そこまで考えてなかったのさ。俺が親父の跡を継ぐのは俺の勝手だ。佳音は何があっても看護師を続けていくだろうって、思ってた。でも、佳音の腹はもう見事に括られちまって、説得に応じようとはしないのさ」


 膨らんだ腹部に手を添えて、毅然と前を向く佳音の姿が思い浮かぶ。悠人が小さな声で唸った。


「やっぱ、佳音も森山家の女だよな……」

「森山家の、女?」


 健太が首を傾げた。正人も答えを求めて悠人に視線を向ける。悠人はどこか遠いところを見るような視線を寄せ木細工の時計に向けた。様々な木種の端材で作られた時計は、ゆっくりと、ひたすらに一定のリズムで時を刻んでいる。


「節子ばあちゃんも波子さんも、周りの物事を俯瞰して見つめて、自分の役割を見付けたら誠心誠意それを果たす。自分を犠牲にしても。円満な家庭が一人息子の不倫で壊れた時、節子ばあちゃんは一切口を出さず波子さんと旦那さんの決断を見守り、家族を守る役割に徹した。そんな事を貫き通せる人だから、人の迷いを受け止めて導くような事が出来たのさ。波子さんは節子ばあちゃんが弱ったとき、もう一度家族の輪の中で生きる時間を作ろうと、別居中の夫を家に戻した」

「波子さんはみんなのお母さんだよな。波子さんがいなかったら、アキは心細い思いをしたと思う」

 健太が言葉を継ぐ。


「桃花もそうだよ。千紗と親子関係が崩れてしまったとき、波子さんが受け止めてくれた」

 正人は柱時計の音が響く広い居間で、静かに眠る節子を思い出していた。


『私、ばっちゃんから大事なものを奪ってしまったね。息子と過ごすっていう大事な時間を……』

 波子はそう言って項垂れ、取り戻せない時を悔やんでいた。本当ならば夫と共に円満な家庭を築く筈だったのに、夫の浮気を許せずに意地を張った。その結果、子煩悩な義母から息子との時間を奪ってしまった。その事を、もしかしたら今でも悔やんでいるのだろうか。


「佳音は錬の背負うものの大きさに気付いたんだ。一緒にそれを背負うことが、自分の宿命みたいなものだと感じたのかな」

「多分、そうだと思う……」


 錬はビールを口に含み、苦い薬でも飲み込むように顔を歪めた。


「本当は、佳音に看護師を続けて欲しいと思うよ。でも、会社の事を考えたら、ありがたい決断だと思ってしまうんだ……」


 いつか佳音が、あの日の波子と同じ顔をしなければいいと、正人は思った。


どんな決断も間違ってはおらず、完全に正しくもない。分かれ道の片方を、選ぶのは佳音自身だ。選んだ道の先が何処へどんな風にのびているのかは、進んでみなければ分からない。だから、自分たちが出来るのは佳音を見守り、寄り添い、支えることだけなのだと思う。


「佳音さんの行く道は、佳音さんが選ぶのでしょう。僕たちは、彼女を見守って、支えていきます」


 そう口にして、気付く。いつか同じ事を健太が言ってくれた。自分を支える美葉の事を、みんなが支えるのだと。胸が熱くなって、思わず目を閉じる。自分が今ここにいて、この輪の中に加わっていることに、心から感謝する。


「たまにはいいこと言うじゃん」

 健太に頭を叩かれる。思いのほか痛くてそこを摩りながら、自分も腹を括らねばと思った。


 東京に行き、父に会う。そして、母の死を受け止める。

 

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