女子旅:アキの気持ち
純和風の客室のベランダには、檜の露天風呂が備えてあった。客室の定員は四人なのだが、露天風呂の大きさはどう見ても一人用だ。成人女性二人と双子を身ごもる妊婦が入るのはなかなかの挑戦である。そこで一人が先に入って充分に身体を温め、身体を冷ましている間にもう二人が入るという作戦をとった。今は美葉とアキが檜風呂の縁に腰掛け、佳音が肩まで湯に浸かっている。
部屋から漏れる光と庇にかけられたランタンの灯りが、珈琲色の湯と二人の顔に深い陰影を与えている。宿であるログハウスは森の中にあり、木々は闇に溶けている。ちょろちょろと絶え間なく注がれる湯の音と、時折聞こえる梟の遠鳴がとても控えめに空気を揺らしている。
波子が福引きで由仁町にあるこの温泉宿のペア宿泊券を引き当て、産休に入った娘に労いとしてプレゼントした。佳音がお金を払うのでもう一人宿泊者を増やせないか問い合わせると快く受け入れて貰え、女三人の一泊旅行が実現した。
由仁町は夕張山地と馬追丘陵を抱く丘の町で、当別町からは車で一時間ほどあれば辿り着ける。ユンニの湯というログハウスの日帰り温泉は、札幌近郊の客で賑わっている。美葉も何度か来たことがあったが、宿泊施設があるとは知らなかった。施設は決して新しくはなく豪華でもないが、接客が丁寧で料理が美味しかった。舟盛りというものを初めて見たアキは感激し、何枚も写真を撮った。それだけでお腹がいっぱいになったと手を付けようとしないので、佳音がせっせと皿に取り分けた。
宿泊施設に向かう途中、栗山町にある酒蔵に立ち寄り、甘酒を飲んだ。明治時代にタイムスリップしたような日本家屋の座敷で、日本庭園の雪景色を眺めながら滑らかな甘酒を飲むと、胃も心もぽかぽかと温まるように思った。売店で青い瓶の日本酒を買い、夕食の共とした。美葉は茶碗半分で充分良い心地になった。佳音もほんの少し、口にした。アキは茶碗一杯をチビチビと飲んでいたが、相変わらず顔色も言動も何一つ変わらない。酒が強いのは昔ホステスをしていたからだと、恥を打ち明けるように言った。
ふう、と息を吹き出すようにして、アキが湯に浸していた足を引き上げ、湯船の外に落とした。小学生でも通るくらい細くて小さい身体だが、胸はとても美しい形をしていて、腰の曲線に色香がある。薄くほてった頬もまた、色っぽかった。アキは三月で三十一歳になるが、女は三十路を過ぎたくらいが一番美しいのかも知れないと美葉は思った。
「部屋風呂があるっていいよね。子供連れでも安心して来られる」
佳音が少し身体を浮かせながらいう。額に汗が滲んでいるが、まだ湯から身体をあげようとしない。
「赤ちゃんが少し大きくなったら、みんなで来られるね」
アキがそう言って微笑んだ。佳音も幸せそうに目を細めて微笑みを返す。
妊婦の佳音と風呂に入るのは二回目だ。あの時はアキが正人を頼ってやって来たばかりで、正人に結婚歴があった事を知り動揺した。佳音と波子が美葉の心を落ち着かせるために温泉に連れ出してくれたのだった。その時のことをこの場で話題にあげる気は無かったが、今こうして三人で風呂に浸かっているのを不思議に思う。
「美葉もアキも。二人とも早く結婚したらいいのに」
諸々の事情を知っている癖に、佳音があっけらかんと言ってのける。健太とアキ、正人と美葉。どちらも共に生きると決めているくせに中々先に進めない。少し思い切れば良いだけの話なのだと、佳音は言いたいのだろう。
「文子さんの反対なんか、無視しちゃえばいいのよ。あの人はきっと、誰がやってきても難癖を付けるんだから」
佳音が唇を尖らせるが、アキは曖昧に微笑むだけだ。健太だって、母親の反対など最早なんとも思っておらず、既成事実を作ってしまえばいいと常々話している。だが、肝心のアキがそれを良しとはしない。その理由をはっきりと言葉にしないから、健太は困っている。
「私は、今のままで充分」
アキは小さな声でそう言って、微笑む。
「猛だって、可愛そうじゃない?」
佳音の言葉に、アキは微かに首を横に振る。
「健太と猛は、親子として上手く行っているんだと思う。猛は気を遣いすぎることなくなって、伸び伸び楽しく毎日を送ってる。身体も大きくなったし、優しい子で、友達も沢山いて、なにも言う事はないわ」
アキは湯を掬って、それを膝の上に零した。雫がランタンの灯りを受けて柔らかくきらめくのを、見つめていた。佳音は納得がいかないという顔で溜息をついたが、それ以上は言葉を続けなかった。佳音の視線がこちらに向いたのを美葉は察し、肩を竦める。
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