町が人を育てる?

「翔は、発散が必要なのだ。そうしなければ、有り余るエネルギーがどこへ向かうか分からない」

「まぁ……分かる気がする」


 美葉は珈琲を啜った。じっくり淹れた珈琲は、いつもよりも苦い。


「サポートメンバーとしてどこかのバンドでギターを弾けたらいいのだが、翔単体では誰も受け入れてはくれない。何時何を始めるか分からないし、話を聞かないし、すぐ忘れるから約束が成り立たない。そんな奴とはチームは組めない。スタジオを借りてもさっき言ったとおり何を壊すか分からない。そうなると、雪原でもどこでもいいから屋外で思う存分弾きまくるのが妥当な発散方法なのだ」


 ふーん、と美葉は首を傾ける。


「電子音楽でしょ?ヘッドフォンを使えばどこでも大音量で弾けるんじゃないの?」

「ヘッドフォンでは駄目なのだ」


 世史朗はまた、厳かに首を横に振った。


「ヘッドフォンでは、空気が振動しないのだ」

「空気の振動?」

「そうだ」


 世史朗はそう言い、手を空に翳した。さながら魔道士のように。


「音は、音源が立てる音だけでは成立しない。何かによって増幅し、空気を振動させ、反響したものが音楽だ……ピンとこないか?」


 美葉は頷いた。そう言えば、ライブっていうものに行ったことがない。健太達のバンドを文化祭の体育館で聞いたくらいだ。あの時は、あまり心地よい音楽には聞こえなかった。


「建築家なのか? 本当に」


 容赦ない言葉に、美葉は思わず目を瞑る。世史朗は時々胸を抉るようなことを平気で口にする。だが確かに、音楽ホールの構造や材質によって、音色が変わるのは知っている。知識として知っているだけではなくて、体感するべきなのだと美葉は反省した。


「じゃあ……一週間電源をお貸ししますよ。それでいいのね」

「頼む」


 面倒な事を頼む割には横柄な態度だと美葉は悠然と珈琲を啜る世史朗を見て思う。ku-onのメンバーはみんな個性的だ。翔は落ち着きがないし世史朗はやや常識からずれている。陽汰は緘黙症からのリハビリ中で、のえるはどこか浮世離れしている。


「我々は、ku-onを失ったら路頭に迷う」


 コーヒーカップを片手に持ったまま、世史朗は言う。やや眉を寄せたくらいで、表情は動かない。美葉の方が突然の重たい言葉にドキリとした。


「特別ギターやベースが上手いわけではない。たまたま組んでいたバンドが注目されてデビュー間近まで行ったのだが、デビューを待たず解散してしまい途方に暮れていたところ、ku-onのマネージャーに声を掛けて貰えた。サポートでという話だったが、陽汰とのえるがメンバーとして一緒にやっていこうと言ってくれた。だが、ギターとベースは俺達ではなくても成り立つ。陽汰が曲を作り、のえるが歌詞を書き、歌う。この構図がku-onだ」


 ku-onの関係性は、美葉にはよく分からないことだった。陽汰は雑談をしないし、最近は東京にいることが多くなったし。のえるとユニットを組んだ時も、美葉は京都にいたし。


 世史朗は美葉がどう感じているのかなど構わないという口調で続ける。


「見ての通り翔は普通とは懸け離れている。一人にしておいたら何をしでかすか分からない。だから、今まで出来るだけ行動を共にしてきた」


 美葉は頷く。確かに二人はいつも一緒だった。


「二人はいつから一緒にいるの?」

 問いかけてから、珈琲を啜った。

「小学校に入ったときからだ」

「へー!」

 思わず大きな声を上げてしまった。世史朗は頷き、言葉を続けた。


「翔は、問題児だった。授業中じっと座っていられないし、人の物と自分の物の区別がつかずに何でも手に取ってしまう。しょっちゅう先生や周りの子供達から怒られていた」


 翔を見ていれば、その姿は容易に想像がついた。叱られて泣く翔を想像し、胸が痛んだ。


「だが、怒られても翔は全く気にしない。何があってもヘラヘラ笑っているから、周りは余計に腹を立てる。翔はいつも仲間はずれにされていた。だが、翔は何時だって楽しそうだった」


 昔から全く変わっていないのだなと、奇声を聞きながら美葉は思う。胸を痛める必要は、無かったようだ。


「翔の家族がみんなそうなのだ。翔の親父さんはトラックの運転手だがよく道を間違えたり事故を起こしたりして職場を転々としている。その度に新しい友達が増えたと自慢する。世史朗の母さんはパートに出て稼いでいるが、給料が入るとぱーっとご馳走を作ってみんなに振る舞ってしまう。兄貴は殴られても友達を守ってやるタイプの奴で、人がいいから何回も騙されて金をふんだくられている。それでも相手が喜んでくれたらいいと思っている。そんな家族から守られて育った翔は、自分も他人も、無条件に肯定する」


 事故を頻回に起こすトラック運転手はちょっと勘弁してほしいが、翔の家族はみんな幸せなのだろうと思った。無意識に唇が綻んでしまう。


「翔の存在に、随分助けられた。自分は人の心が分からないから、不用意に傷つけてしまうらしい。翔と俺は仲間はずれにされた者同士自然と連むようになった。翔はいつも誰とでも仲良くなろうとする。俺は翔の横にいて、誰かと意気投合したり嫌われて別れたり、罵倒されたりする姿を見てきた。翔がいなければ、それすら体験出来なかった。自分は人嫌いだから、周りとの関わりを絶っていただろう」


 世史朗は淡々と言葉を続け、時折珈琲を啜った。


「音楽をやろうと言い出したのは、どっちから?」

「勿論翔だ。バンドを組めば女にもてると思ったようだ」

「健太と同じじゃん」


 美葉は思わず笑った。


「ギターを始めたのは、丁度いい時期だった。翔の衝動性もエネルギーも高くなる一方だった。だから、発散する場所が必要だった。森林公園の奥地に行って、ギターとベースを思い切り鳴らした。北海道はそういう意味ではありがたい場所だ。音を鳴らしても怒られない場所に恵まれている」

「確かに、陽汰も納屋でドラムを鳴らしていたけど周りから苦情は出なかったもんね。都市部じゃあそうは行かないよね」

「そうだ。だからなのか、北海道出身のアーティストは、意外と多い」

「ふうん。環境が、人を育てるんだね」


 呟いてから、自分の言葉にはっとした。


 町が支え 町を支え

 育ち 育み


 詩編の文句が、再び美葉の頭に浮んだ。

 

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