最近の子供達

 美葉は言葉の意味が飲み込めずに首を傾けた。栗林は美葉の表情に気付き、照れの混じった笑みを浮かべる。


「僕、こう見えても小学校の教師なんです。今は札幌の小学校で三年生を教えています。……それでね、体育の授業をするんですけど、みんな、走り方がおかしいんですよ」

「走り方がおかしい?」


 おかしな走り方とはどんなものなのか。歩くという動作のスピードを上げれば自然と「走る」になるのではないのかと、顎に手をやる。栗林は頷いた。眉間の皺が深刻な問題であると伝えている。


「腕の振り方が左右対称ではない。脇が開いてまるで羽ばたくような動きになる。爪先で地面を蹴る事が出来ない。異様に上下に重心が動揺する。挙げたら切りが無いほど、個性的な走り方なんです」


 ふうん、と美葉は唸る。桃花や猛、大地、佳音の姉の子供達。知っている子供達はみんなそんな奇妙な走り方はしていない。


「当別の子供達は、まだましです。都会の子供程、深刻です。感覚統合が出来ていないんですよ」

「感覚統合?」

「そうです」


 栗林は頷く。


「人間は、身体を使いながら脳を発達させていくものなんです。ハイハイをしない子がたまにいますが、そう言う子は体幹の筋肉が弱く、手の筋肉が発達していないので不器用です。赤ちゃんが成長するにつれ、手足から受け取る感覚が複雑になります。その刺激は、脳の中で系統だって統合されていきます。筋肉も感覚と共に育ち、複雑な動かし方を習得していきます。でもね、今の子供は身体を動かさないんですよ。赤ちゃんの時から動画を見て、タッチパネルで物を動かし、ゲームをして時間を潰す。お絵かきすら、タブレットを使います。あの、絵の具のぐちゃぐちゃした感触や、色がじわじわと混ざり合い滲んでいく様子も、バーチャルなんですよ」


 確かにそうかも知れない、と美葉は思った。瑠璃の子供達は佳音の実家に来ると静かにスマホでゲームをしていて、大地は興味津々な面持ちで画面を覗いている。


「身体を動かさずに大きくなるから、感覚や筋肉の動きが上手く統合できないまま育つんです。だから、身体の動きがぎこちない子供が多い」


 栗林の言葉が腑に落ち、美葉は大きく頷いた。栗林は話を続ける。


「身体の発達は脳の発達と表裏一体です。未発達な身体、未発達な脳に言葉を使った学習を詰め込んでしまうと、コミュニケーションが上手くとれなくなったり、常に不安を抱えてしまったり、生涯にわたり苦労を背負ってしまうことになります。そんな子供が、増えているんですよ……」


 空気の混じった言葉を吐き出して、栗林はもう一度水を飲んだ。それから、ふと我に返ったように息をつき、照れ笑いを浮かべた。


「難しい話を突然してしまって、すいません」

「いえ」


 美葉は首を横に振った。栗林の吐き出した言葉は、美葉の中で重大な意味を持つものになりそうだった。


 樹々の壁を思い浮かべる。壁はボルダリングが出来るようになっている。子供達が自由に遊び、大人達がその間羽を伸ばせるようにと作った物だ。しかし、時々「危ないから止めなさい」と叱る親がいる。自分が子供の頃よく遊んだ遊具のいくつかは、危険だからと姿を消した。砂場の砂は不潔だと言われて触らせない親もいるらしい。子供は何時だって自由に遊びたい。でも、その機会を社会や親が奪っているのかも知れない。


「当別の子供が、まだ札幌の子供よりもましだというのは、やはり身体を使って遊ぶ場所が多いから、でしょうか」

 美葉の問いに、栗林は少し驚いた顔をした後で頷いた。


「そうだと思います。住宅は密集していないし、適度に公園もありますからね。郊外に行けば、山があり、川があり、田畑がある。外遊びできる環境は、恵まれています」


 栗林の言葉が、美葉の中で重要なピースに変化していく。


「都市の公園に、アスレチックみたいな遊具があればいいですよね」

「ええ。でも、大型の遊具は北海道では維持管理が大変です。雪でいたみますから」


 栗林は少し戸惑いながらも、美葉の言葉に応じる。美葉は成る程と唸った。


「では、屋内の方がいいのかな」

「でも、太陽の下で遊ぶのも大切です。太陽光は脳内のホルモンバランスを整える物質の栄養になり、健やかな眠りのもとになります。それに、ビタミンDは皮膚上で紫外線を浴び、合成されます。ビタミンDも脳の健康には欠かせませんし、免疫機能を整えますし、丈夫な骨を作るのに役立ちます」


「屋外では劣化する。屋内では、日光不足……」


 美葉は呟き、人差し指でポツポツと頬を叩いた。大きな遊具で遊ぶ子供達。そこに、光が降り注ぐ。そんな光景を思い浮かべる。その光は、どこから来る?これまでの施工例を記憶の中からほじくり返す。


 不意に、茶室が想い浮んだ。京都の茶道家、駒子の茶室だ。その茶室には屋根にLEDを埋め込んでいる。灯りを付ければ、天窓から光が差し込んでいるように見えるのだ。


「サンルーフ……」

 LEDを、自然光にすれば良いだけの話だ。


 コトン、と美葉の中で何かが深く落ちて、収る所に収まった気がした。


「美葉さん?」

 栗林が戸惑った表情で美葉を見つめる。美葉は我に返り、照れ笑いを浮かべた。


「……ちょっと、仕事で行き詰まっていたんですけど、栗林さんに大事なヒントを貰っていいアイデアが生まれそうです」

 美葉はぺこりと頭を下げた。


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