空手初体験

 前半は素振りやミット撃ちなどの基礎練習だった。美葉は白や黄色の帯を着けた子供達に混ざり、子供達の動きを真似た。小学校低学年に大人が一人混ざるというのは、かなり気恥ずかしい。


「おばちゃん誰?」

 子供達は無遠慮に問いかけてくる。

「お姉さんは体験に来たの」

 その度に顔を引きつらせ、そう答えた。


 黒帯の男性は栗林くりばやしという名で、準師範という、師範の補佐役なのだそうだ。


 まだ空手を始めたばかりの子供達は、小学校の一年生から三年性までの六人程。みんな列を作り、栗林が構えるミットに向かっていく。


 正拳突き、前蹴り、回し蹴りと、栗林が指定した技を繰り出していくのだが、体幹と手足がバラバラだったり、体幹の軸が奇妙に斜めになったり、棒のようにぎこちない動きになったりし、ミットを正確に殴打出来ない子が半数ほどいる。身体がスムーズに動く子供と、ミットの衝撃音が明らかに違う。


 美葉も見よう見まねでミットに向かっていく。


「空手の突きは、肩を入れないんですよ。今日は、肩を動かさず腕だけを前に出してみましょう」

「前蹴りの足は、中足という形です。つま先立ちと同じ形」


 栗林は端的に必要な指示を与えた。美葉は言われるまま腕や足を前に出し、ミットを殴り、蹴った。腕や足に加わる衝撃はそれほどではなく、ミットが大きな音を立てると気持ちがすっと軽くなった。いつの間にか子供達に混ざる気恥ずかしさを忘れて自分の順番を心待ちにするようになった。身体が熱くなり、汗が流れてくる。床の冷たさなど、疾うの昔に忘れていた。


「そろそろ、水分休憩にします」


 栗林がそう告げた時には、既に三十分が経過していた。美葉は水分を用意していない事に気付き、財布を持って階下に降りた。階段の下に自動販売機がある。百円という良心的な値段の水を購入して振り返ると、栗林が立っていた。


「疲れませんか」

 穏やかな口調でそう問いかけてから、栗林も百円の水を購入した。


「気持ちいいです。汗をかいたの、久しぶり」


 明日筋肉痛になるかも知れないと思いつつ、美葉は答えた。栗林はその場でペットボトルを開け、ごくごくと喉を鳴らして水を飲んだ。美葉も強烈に喉が渇いていたので便乗した。


「美葉さんは、筋がいいですよ」


 黄緑色のキャップを閉めながら、栗林が言う。首が太くて、肩が下がっている。なで肩なのではない。僧帽筋が発達しているからそう見えるのだと美葉は気付いた。太い眉といい、アニメのキャラクターで見たことがある風貌だ。


「そうですか?」


 子供に交じって無邪気な奴だと呆れられているかも知れない。美葉は急に恥ずかしさを感じた。栗林は柔和な顔を崩さずに続ける。


「子供の頃、お転婆さんだったでしょう。走り回って遊んでいたんじゃないですか?」

「ま、まあ。隣が小学校だったから、ひまさえあればグラウンドを走り回っていました。裏手に神社があって、隠れんぼしたり、木登りしたり。お転婆な方です。見ての通り」

「やっぱりね」

 クスリと栗林が笑う。図星を指されて恥ずかしくなり、頬を掻く。そして、正人の癖がうつったと気付いて慌てて手を引っ込めた。


「子供達の動き、見ていました?」

 栗林は真面目な顔をしてそう問うた。唐突な質問に気圧されつつも、美葉は先ほどのちぐはぐな動きを思い返して、頷いた。


「年々、身体をちゃんと動かせない子供が増えています」

 栗林の目が、一瞬暗く淀む。


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