悠人の家族が抱えているもの
悠人が、大きな溜息をついた。視線を向けると、何か難しい顔をして視線を床に向けている。
「悠人? どうかした?」
先に異変に気付いた正人が声を掛ける。悠人ははっと我に返り顔を上げた。そして、取り繕うような笑みを浮かべる。
悠人は正人と同じ年だが、集まりの中ではどうしても、年長者らしく振る舞おうとしてしまう。昔から同世代の農業家のリーダー的な存在だったし、健太に農業の素晴らしさを教えて手ほどきをしてきたのも悠人だ。農業には関係なく生きてきた美葉も悠人のことは兄のようだと感じているし、頼りにもしている。悠人の身体にはリーダーとしての振るまいが油のように染みついていて、甘えを許してくれないのだと美葉は感じていた。
「町、早く作ってよ、美葉」
そう呟いて、悠人は眉を下げた。悠人らしからぬ弱々しい声音で痛いところを突かれ、美葉は思わずうなり声を上げてしまう。
「桃ちゃん?」
正人が問うと、悠人は頷いた。
「桃花がこの前、玲司が死んでしまえばいいと言ったらしいんだ。千紗はそれで参ってしまって。このままじゃ、みんなどうにかなってしまう。無添加の家を建てたところで改善するかどうかは分からないけど、みんなが安心して暮らせる場所を早く手に入れたいんだ」
美葉は先日の桃花の姿を思い浮かべ、思わず顔をしかめた。正人は腕を組み、溜息をつく。
「桃ちゃん、去年くらいから急に荒れ始めたけど、何か原因があるのかな……」
うーん、と悠人はうなり、ガリガリと頭を掻いた。天然のカールが掛かった髪が小刻みに揺れる。言いにくそうに唇をすぼめて、若干聞き取りにくい声で言う。
「生理が始まってからなんだよ……」
あ、と正人も顔を赤らめる。確かに、中学生の初潮について話題にするのは抵抗があるだろう。男性陣が常識的な反応を示す中、佳音はきりりと表情を引き締めた。
「荒れるのは、生理前?」
悠人は首肯する。そして、降参するように両手を前に掲げた。
「PMSってやつらしいね」
「病院には行ったの?」
険しい表情で悠人は首を横に振る。
「中学生の女の子を産婦人科に連れて行くのは……」
「年齢は関係ないわ。お薬を飲めば楽になるのに」
「薬があるんですか?」
正人が身を乗り出して問う。佳音は大きく頷いた。
「あるよ。低用量ピルで排卵を止めると、ホルモンの変動が抑えられるから、症状が和らぐはず」
ムッと悠人が顔をしかめる。
「そんな薬を飲んだら、将来妊娠できなくなるんじゃないかい」
「大丈夫。薬を止めたら排卵は元通り始まるから。……確かに中学生の女の子に婦人科に行けというのは抵抗があると思うけど、一番苦しいのは感情をコントロールできなくなっちゃう桃ちゃん本人だよ。桃ちゃんが弟のこと死んじゃえなんて思ってるはずない。そんなこと口に出しちゃって、申し訳ないと思っているかも」
悠人は桃花を思いやる言葉に安堵するように頷き、そしてまた深い溜息を吐いた。
「家の中にいるのに、みんなピリピリしててね、落ち着かないんだよ。こんなことなら、山の家を残しておけば良かったと思うよ。千紗が玲司を連れて一時避難できるだけでも、随分楽になると思う」
「そんなことをしたら、却って桃ちゃんが被害的になるかも知れない」
正人が難しい顔をして言う。悠人は困ったように頷いた。
「そうだね。でも、直接傷つけ合うより、いいのかも。本当は、桃花の方がどこかに逃げ込めたらいいのかも知れないけど、一人にしておくのも不安だ」
逃げ込む場所は、樹々だった。しかし、自分が帰ってきたことで桃花の居場所を奪ってしまったのだろう。美葉はそう気付き、胸が痛んだ。
俯いた美葉の耳に、いつかのえるが言った言葉が蘇った。
『隠れる場所が、あればいいよね』
孤独で人は病むけれど、傷が癒えるまで一人で蹲っていられる場所も必要だ。それは桃花だけではなく、全ての人にとって必要なのだろう。それが我が家にないのであれば、どこかに用意してあげなければならない。
町の、どこかに。
果てしなく広く暗い空間の中に漂う細い糸を見逃さないように、美葉は目を細めた。
町が支え 町を支え
育ち 育て
守り 守られ
保志の言葉を、思い出していた。
「みんな、色々あるよね」
佳音が小さく呟いて、溜息をついた。美葉は我に返り、佳音もまた陰鬱な表情を浮かべていたことを思い出した。
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