健太とアキが抱えているもの-1

 暗黙の了解のように、森山家から樹々に場所を移した。スーパーの惣菜や波子が持たせてくれた漬物をテーブルに並べていると、健太が谷口商店からビールを買い込んで戻ってきた。


「またたくさん買ってきて」


 アキが呆れたように呟いた。健太は人と酒を酌み交わすのが好きなのだ。


「集まって酒飲むの、久しぶりだね」


 悠人は笑ってそれぞれにビールを配る。妊婦の佳音には、ジンジャーエールを渡した。


「あーあ、私もビール飲みたいなー」

 酒豪の佳音が悔しそうに呟いた。アキがふふふと笑う。意外とアキも酒が強くて、飲んでも全く顔に出ないし酔った様子も見せない。美葉はビールを一缶開けるのが精一杯だった。


 乾杯の後、しばらくはたわいのない話をしていた。だがみんな胸に重たいものを抱えているようで、笑いの行間にすっと空気が冴えた。誰かが先に胸中を吐くのを、皆が待っているようだった。


 きっかけを作ったのは、犬の鳴声だった。キューンと悲しげな声が窓の外から聞こえ、視線を向けると伸也が幸を連れて歩いていた。魂を半分無くした人のようにぼんやりとした視線を前方に向け、ゆるゆるとした速度で歩く父親を見つめて、健太が眉を寄せる。


「……五十七歳で認知症なんて、ありえるのかい?」


 そう、佳音に向かって問いかける。佳音は一瞬口ごもった。グリーンの缶に口を付けて啜るように飲んだ後、溜息のように息を吐いた。


「ありえるよ」


 ゆっくりと頷く。健太が奥歯をぐっと噛みしめたのが、頬の動きで分かった。アキが青ざめた顔で視線を佳音に向ける。佳音は苦しむように眉を寄せながら、それでも毅然と顔を上げて言葉を続けた。


「伸也さんは若い頃から糖尿病。しかも血糖コントロールが不良で壊疽を起こして下肢切断までしている。でも今でもお酒を止めていないし、煙草も吸う。生活習慣を改める気持ちがない。糖尿病になると、アルツハイマー病に罹るリスクが倍に跳ね上がるし、飲酒は脳を萎縮させるわ。摂取したアルコール量と脳が萎縮するスピードには相関関係があるのよ」

 勉強熱心な看護師らしい、説得力のある言葉だった。


「お酒と煙草を止めたら、治る?」

 難しい言い回しに大まかにしか理解が及ばなかったらしいアキが、首を傾けて問う。佳音は困ったように視線を落として首を横に振った。


「一度萎縮した脳は元には戻らない。お酒と煙草を止めて、病院に掛かって進行を遅らせる薬を飲むくらいしか、手立ては無いの」

「進行?悪くなるって言うこと?」

「そうよ。認知症は悪くなるの。認知症の六割はアルツハイマー病っていう病気なんだけど、病気になったら少しずつ悪くなって、大体十年で身体の機能も衰えて亡くなるのよ。若年性認知症は、お年寄りの認知症よりもずっと進行が早いのよ」


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