転がり始める気配

そろそろ本腰入れて町をつくるで

 平日の昼間はショールームに客がいることは少ない。そんな時間を見計らうように保志がやって来た。五十代の割には顔に沢山の皺が刻まれている。眉間の縦皺がことのほか深く刻まれており、悪人面を引き立てている。いつも紺色の作業着を着ていて、がに股でドスドスと大きな足音を立てて歩く。話す言葉は関西弁だ。出身は京都の筈なのに、テレビに出てくるようなコテコテの大阪弁だ。


 テーブル一杯に、A0サイズの紙を広げる。そこには、町の見取り図が描かれていた。町は防風林に囲まれ、中央から放射線状に区画整備されている。入り口付近は商業スペースであり、取り囲むように集いの場が広がる。町の周縁を分譲地が縁取り、その最奥にセレモニーホールがある。冠婚葬祭を執り行うこの場所を置くことは保志が決めていた。それ以外の町の形は白地図のように漠然としている。「命の町」と題されたこの町のデザインは、美葉に産みの苦しみを与えているのだ。


 当初は医療に産業を併せたような形を保志が考えていた。医療法人とスポンサー契約を結んでいたから止む無しなのだが、人の営みは病との戦いだけではない。教育や文化も大切だし、社会的弱者にも目を向けたい。そんなことを考えている内に、医療法人が「自分たちの考えとは違う方向へ向いている」とスポンサーを降りてしまった。


 落胆すると思いきや「これで要らん縛りがなくなった」と保志は強気な発言をし、計画はまっさらな状態に戻した。そして、そのまっさらな状態からこの三年全く話は進んでいない。


 この三年は美葉にとっても正人にとっても正念場であった。家具工房は一度経営の危機に陥り、そこから再度信頼を積み上げていかなければならなかったし、美葉は美葉で立ち上げたばかりの設計事務所を何とか軌道に乗せなければならなかった。町の建設予定地には、新風じんふぁというシュラスコビュッフェのレストランと、当別町の特産品を売るアンテナショップがあるだけという状態で、長い年月が経過した。だが、保志は二人の状況も理解しており、特段急かせもしなかった。


「温泉掘ることにしたで。それを町の売りにしようと思う」


 保志が紙の真ん中を突きながらそう言った。美葉は一瞬息をするのを忘れて保志を見る。


「温泉ってさ、掘るのに一億円くらいかかるんだよ?」


 辛うじてそう言葉を返す。きっと、現実を知らずに夢を語っているのだろうと思った。しかし、保志は片眉を上げ、馬鹿にしたような視線を向けてくる。


「知っとるわ、そんなこと。法的な手続きの煩雑さとか費用面とか、そんなもんはとっくの昔に調べとる。とあるベンチャー企業の社長と仲良くなってな、町に興味を持ってくれたんや。その会社が費用を持つ。リゾート関連の会社やから、手続きも全て任せておけばええ。建物のコンセプトはこっちに寄せてくれる。今度社長に会わせるから、そん時は時間とってや」

「え……、てことは温泉施設の設計も?」

「当たり前や。町にそぐわん建物建てられたら叶わん」


 はあ、と美葉から頼りなげな声が漏れる。それからふと疑問が湧き、身体を立て直した。


「リゾート会社さんが温泉施設を作るとなると、町は結構人を集める事になるよね。落ち着かない場所になっちゃわないかな」

「人は集める。集めな商業スペースが成り立たん」

 馬鹿にしたような口調で言い返すので、美葉は少しムッとした。


「住んでいる人が落ち着かないのは、困るよね」

「そやからそこをコーディネートするんや、お前が」


 トントン、と分譲地スペースを指で叩く。その音に胸を抉られる思いがして、美葉は首をすぼめた。


「後、町の中の循環バスと、駅と町を結ぶバスは自動運転の実証実験とコラボすることになった」

「え、ええ!?」


 循環バスやら駅と往来するバスやら、そんな話自体聞いていない。


「これから車はオートマチックになる。無人のバスが走る時代はもう始まっているんやで。如何に実績を作って安定的な運営に繋げるか各企業が競争してる。これに乗らん手は無い」


 得意げに語る保志に美葉は口をパクパクとするばかりである。そんな美葉を保志はあきれ顔で見つめる。


「一気に話を進める時期に来た。そろそろお前も本腰を入れてくれ。事務所も軌道に乗ったやろう? こいつを成し遂げたら、設計事務所樹々の看板事業になるで」


「お、おお……」

 悪巧みを持ちかけるマフィアのボスみたいににやりと笑う保志に、美葉はコクコクと頷きを返した。

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