ku-onに訪れたチャンス

「知ってるよ。昨日だったかな。マネージャーから打診があったよ」


 のえるはサラリとそんな事を言ってのけ、バーボンソーダに喉を鳴らした。ベリーショートの髪はショッキングピンク。長身で顔が小さく、華がある。パリコレのモデルと言えば誰もが信じるだろう。ソファーにゆったりと腰を下ろし、長い足を組んでいる。手元のグラスの氷はまだ殆ど溶けていないのに、琥珀色の液体は半分以下に減っている。のえるの酒のペースは速い。


 キッチンからニンニクの焦げる香りが漂ってくる。この世で一番食欲をかき立てる香りだ。


 世史朗が得意のガーリックチャーハンを作っている。百八十㎝を越える長身で、ツーブロックの長髪という奇抜な出で立ち。その髪をポニーテールに結い、背中にドクロを背負っている。黒いロングTシャツにやたらと一杯ファスナーが付いた細身のパンツ。その上から、フリルの付いた割烹着を着ている。胸にはクマのアップリケだ。料理は好きなのだが、衣服が汚れるのを極端に嫌がる。そこでのえるが割烹着をプレゼントしたのであった。


 「世史朗の鍋振り様になりすぎ! 受けるー!!」


 その横で翔がサラダを盛り付けている。茶髪をツンツンと立て真っ赤なVネックのTシャツを着ている。首元には金色の鎖がジャラジャラゆれている。


紅一点ののえるはいつも酒を飲みつつ料理が出来るのを待っている。


 ku-onは札幌を拠点とするバンドだが、最近は東京での活動が増えてきた。そこで都内に四人が住める部屋を借りた。今は一年の三分の二をここで過ごしている。


「断る……よね?」

 陽汰が問うと、のえるは軽く首を傾けた。

「なんで?」


 うぐ、と口をつぐむ。のえるは昔子役タレント目指していて、様々なレッスンを積んでいた。勿論演技もだ。だから、もしかしたら願ってもないオファーなのかも知れない。


「面白そうだから、私は受ける。陽汰がどうするかは、陽汰が決めたらいいよ」

「えー! のえる女優さんやんの? なんか受けるー!」

 何でも受ける翔が言う。のえるはバーボンソーダをあおるように飲み干した。


「女優業に興味は無いよ。でも、監督がどんなツラしてオファーしてきたのか気になる」


 のえるは立ち上がり、ジンビームをグラスに注ぎ、トニックウォーターを継ぎ足した。


「その監督、父親なんだよね」


 注がれた炭酸がシュワシュワと音を立てる。陽汰は驚いてのえるを見つめた。のえるは涼しげな表情のまま、マドラーでグラスをかき混ぜている。


「娘って気付かずにオファーくれたのか、なんか下心とか贖罪みたいな気持ちがあってなのか。分かんないけど面白そうじゃん」

 踊るような足取りで歩いてくると、ソファーにポスリと腰を下ろす。


 できたてのバーボンソーダに喉を鳴らすのえるが今何を思っているのか定かではない。だけどその奥で心が荒れていることを、陽汰は感じていた。陽汰は気の利いた言葉を探したが、自分にそんなことは出来はしないのだと、端から諦めもしていた。


 世史朗が食器を出しているらしい。食器のぶつかり合う音がしている。


「ねー、もう俳優ごっこは止めてさー、ライブやろうよー、ライブ」


 翔は大皿に乱雑に野菜を盛り付けただけのサラダを置き、落ち着き無く爪先で床をならす。


「陽汰がライダーやってる間単発ライブしか出来なかったじゃん! ツアーやりたい! 全国回りたい! そこで美味いもの食いたい!」


 翔は過剰なエネルギーを持て余して、手足をバタバタさせる。確かに陽汰が子供向けのヒーロー番組の収録をしている間東京を長く開けることが出来ず、何度か単独ライブをするくらいしかku-onの活動はしていない。


「冷静になれ」


 世史朗がチャーハンが乗った平皿を両手に乗せて振り返る。平皿の上のチャーハンは見事な半円形で、頂上は紅ショウガで飾られている。


「今はku-onを売り出す絶好のチャンスだ。残念ながら今だヒット曲に恵まれないのは危機的な状況なのだ。陽汰がヒーローとして世に知られたのは大きなチャンスだ。子供向けの番組だが、陽汰のファン層はその母親だ。お陰で配信のランキングが上がっているのは事実だし、メディアへの露出も増えた。大事な事だからもう一度言うが、これは絶好のチャンスだ。ku-onのボーカリストとドラムW主演の映画、そして主題歌がku-on。思惑は分からんが、有名監督の映画だ。ヒットすることはもう決まっている。この映画が放映される頃には、ku-onの主題歌はヒットチャートの上位に確実に食い込む」


 世史朗は懇々と説明をするが、三分の一位で翔はあくびをした。多分その後の言葉は聞いていない。


「映画終わったら、アルバム作って全国ツアーだよ、翔ちゃん。しかも、今までと比べものにならないくらいでっかいとこ」

 

 世史朗が一番言いたかったであろう言葉をのえるが要約して伝えると、翔は文字通り飛び上がった。テーブルの上のサラダからレタスがぼそりと落ちる。


「まじまじ!? 観客飛び跳ねたりする!? 地面揺れたりする!?」

「震度三は硬いね」


 にやりと笑い、のえるはそのレタスを拾い上げて口に放り込んだ。

「だからさー、腕磨いといて。早引きで客煽っておくれよ」


「のえるの言うとおりだ」

 世史朗は丁寧に割烹着を脱ぎ、折り紙選手権の出場者のように慎重に畳んだ。


「マネージャーからサポートメンバーをしないかと打診されていただろう。それならライブも出来るし違うバンドの良いところを吸収できる」


 翔はぷんと唇を尖らせた。


「そんなー、格下バンドだぜ。つまんね」

「格下なのは、出て来たのが遅いからだ。同じ土俵に乗ってしまえば、等しくライバルだ。舐めていたら追い抜かされる。常に勤勉であらねば」

「あー、世史朗マジ真面目、くそつまんね」


 翔はどかりとダイニングチェアに腰を下ろした。

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