今更ですがけじめを付けます
飲み物が届き白い皿が惣菜や肉で満たされ、聡の音頭で乾杯を済ませると、波子がわざとらしい咳払いをした。思わず錬は背筋を伸ばし、チラリと佳音の方を見る。佳音は上目遣いの視線を向けて、一つ小さく頷いた。
「えーっと……」
錬の頼りない声は、口いっぱいに肉を頬張る孫に見とれる聡と藤乃に届かない。なけなしの勇気がしぼんでいく。もう少し宴も酣になってからでいいのでは、と視線に言い訳を乗せて波子を見るが、彼女は目を細めて冷たい視線を返した。そうやって何時までもあやふやにしていてはいけないと、先日怒られたばかりなのだった。錬は坊主頭をくりくりと擦る。佳音が肘で突いてきた。泣きそうな気持ちで妻を見ると、佳音は大丈夫だと唇で言った。佳音の唇の動きはしぼみかけた勇気を再度膨らませてくれた。錬は一度大きく深呼吸をすると、「あのさ」と必要以上に大きな声を出した。
聡と藤乃が驚いて顔を上げる。
錬は一度きゅっと唇を結び、頭をテーブルに打ち付けるほどの勢いで下げた。
「お父さん、お母さん、本当に、すいませんでした」
「あ?」
切羽詰まった錬の声とは対極にあるような声を聡は発する。錬は顔を下げたまま続けた。
「会社を継ぐために大学に行かせて貰ったのに、中退した挙げ句姿をくらますようなことをして、心配を掛けて。そんな子供じみた方法で自分の我が儘を通してしまって、すいませんでした」
聡と藤乃は、きょとんとしている。何を今更と頬の当たりに書いてあった。
錬が大学を中退し、行方をくらませたのは十九の年の事。パン屋のバイトをしていてパンの魅力に取り付かれてしまったのだ。
聡は「栄田農機」という農業器機と農業資材を売る会社を経営している。当別町のほぼ全ての農家が栄田農機でトラクターなどの重機を買い、メンテナンスを受けている。ビニールハウス資材や育苗箱、防虫ネットなど細々した資材も、栄田農機から仕入れている。農業を基幹産業としている町の屋台骨と呼べる存在なのだ。その会社の唯一の跡取り息子であった錬は、経営を学ぶため神奈川県の大学に行った。だがどうしてもパン屋になりたくなり、葛藤の末現実から逃げ出したのであった。
聡も藤乃も生きて再会することを半ば諦めつつも、大学に入学した当時と同じ金額の仕送りを振り込み続けた。
錬が働いていたのは、偶然にも佳音の職場の近くだった。佳音が錬を発見し、両親と再会を果たしたのは四年前になる。確かに何を今更、なのであった。
錬は急激に照れくさくなり、ますます顔を上げられなくなる。
「あのね」
頭上に響く佳音の声が、窮地を救う天使の声に聞こえた。
「錬が開業することになったの。でも、その前にお義父さんの会社を継がずにパン屋の道を選んだことや、一杯心配掛けたことを一回ちゃんと謝らないといけないなって、前から二人で話していたんだ」
「嘘仰いな」
波子がジョッキを傾けながら澄ました顔で言う。
「あんた達、出来上がった既成事実に乗っかるつもりでいたでしょう。私はね、あんな子供がだだこねるみたいな話の通し方は気に入らないんだよ。開業するなら、きちんと頭を下げてから。筋を通さず始めた商売なんて、上手く行きやしないよ」
錬と佳音は揃ってぐっと喉を鳴らす。二人で顔を見合わせてから、錬はもう一度勇気を奮い立たせ、両親に向き合う。
「でも、波子さんに言われたからってわけじゃない。自分でも、けじめを付けなくちゃいけないとは思っていたんだ。会社は後継者がいなくなって大変だって分かっているけど、どうしても、自分の夢を諦めたくないんだ。……俺は、小さくても自分の店を作るのが夢です。そして、その夢に向かって一歩踏み出そうと思います。栄田農機を継がなくて、すいません」
錬は聡の顔を真っ直ぐに見つめ、今度は勢いではなく神妙な面持ちで頭を下げた。聡はムッと厳しい顔になり、息子が顔を上げるのを待つ。錬は二秒ほど頭を下げてから、顔を上げた。
「会社の事は、気にせんでいい」
聡は言った。
「その代わり、当てにもするな。お前の商売が上手く行こうが下手を打とうが、俺は助けん。その覚悟は出来ているな?」
「はい」
頬を引き締め、錬は頷く。聡の口元が、そっと綻ぶ。
「ならいい。応援はする。親だからな」
柔らかい口調でそう言ってから、藤乃の方を見た。
「やっぱり今日は、飲もうかな」
藤乃は目尻を拭い、子供を見るような視線を送ってから苦笑いで頷いた。
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