健康診断の結果
大地はブラジル人のパサドールが持つ肉の塊に瞳を輝かせている。
ウェイトレスがオーダーを取りに来た。
「生ビールの人ー」
錬が間延びした声を出してみんなの顔を見回す。佳音は妊婦だから自動的にハンドルキーパーだ。波子と藤乃が手を上げたが、聡は躊躇し、伺うような視線を藤野に向けている。
「こういうときの我慢が大事なのよ、お父さん。この人はソフトドリンク。佳音ちゃんも一緒でいいでしょ? じゃあ生三つとドリンクバー三つ」
藤乃は聡の視線を素っ気なく受け流してウエイトレスにそう告げた。合いの手を許さない早口だった。
「なにさ、酒豪の聡が飲まないなんて。腹でも壊したのかい」
波子が一同の疑問を代表して問う。聡は気まずそうに大きな身体を丸めて後頭部を掻いた。
「そうそう、佳音ちゃんに相談しようと思ってたの。お父さんね、やっと健康診断に行ったの。佳音ちゃんが健康診断に行かないと大地に合わせないって脅してくれたから、やっとね。そしたらね、血糖値が高かったのよ」
「血糖値? 今まで指摘されたことは無かったの?」
佳音が問うと聡は大きく頷いた。
「まぁ、健康診断には不真面目だったが、十年くらいに前に受けた時は何ともなかった。年だな」
「親族に糖尿の人、いたっけ。あんまり聞いたこと無いけど」
佳音は正月に顔を合わせる栄田家の面々を思い浮かべながら問う。聡はまたも大きく首を横に振った。
「いないんだわ。高血圧は結構多いんだけどな」
ふーん、と息をつき、佳音は可能性として浮上したものに眉を寄せる。
「病院、行った?」
「行ったさ……」
「それがね!」
聡の言葉を藤乃が遮り、身を乗り出した。
「佐藤医院に行ったの。で、とりあえず食事と運動で様子見てって言われて帰ってきたの」
「佐藤医院って、評判良くないよね。そもそも外科の先生でさ、内科の診断は占い師並って聞いたことあるけど、大丈夫?」
「占い師並って、何それ」
「大丈夫じゃ無いのよ」
錬のツッコミはあっさりスルーされ、藤乃が深刻そうに顎に手をやる。
「あそこは月曜日から土曜日の夕方遅くまでやってるしな、
「お客がいないのは、腕が悪いからだよ。私がインフルエンザに罹ったときだって、聴診器一つ当てなかったよ」
波子まで敵に回り、聡は諦めたように口を閉じた。佳音は余り大袈裟にはしないでいようと思ったが、それでは聡は行動を変えないだろうと思い直す。
「お義父さん、お医者さんにエコー撮って貰った?」
「エコー? 煙草のことか?」
「いやいや。お腹にゼリーみたいなの塗って、検査した?」
「検査なんて、なんも」
首を横に振る聡に、佳音は大袈裟に溜息をついた。
「……駄目だわ、それでは」
意味深にそう言って、わざと深刻な表情を作り、黙る。聡よりも錬の方が青ざめていく。
「な、なに。何が駄目?」
佳音は錬の顔を見つめ、一呼吸置いた。言葉を発するのを迷っているように見えるだろうかと計算が働く。
「五十代を過ぎてから発症した糖尿病って、膵臓癌の影響って可能性があるんだよね……」
目を伏せて小さな声でそう言うと、聡と錬がハッと息をついた。チラリと見た藤乃と波子は二人とも口元に手を当てている。どうやら笑いを堪えているようだ。佳音は思い詰めたような表情を作り、聡の手を取った。
「お義父さん、膵臓癌は恐ろしい病気よ。見つかった時には手遅れな事が殆どで、『サイレントキラー』って呼ばれているの」
「「サ、サイレントキラー!?」」
父子の声が合わさる。藤乃が顔を背けて肩を震わせた。
「見つかった時に手術できるのは十人中二人。手術出来たとしても、五年生きられる人は十人中二人から良くて五人よ。見つかったと同時に余命宣告されることも多いのよ」
「「よ、余命宣告!?」」
青ざめた親子に佳音は重々しく頷いた。そして、努めて明るい声を出している風の笑顔を見せる。
「とにかく、一刻も早くちゃんとした病院で見て貰わなくちゃ。私、明日いい病院を職場の人に聞いて、予約入れとくわ。だから、ちゃんと病院に行ってね」
「わ、分かった……」
聡は神妙に頷く。ウエイトレスがトレイに飲み物を乗せてやって来た。小さなグラスを目の前に置かれると、大地は父の手を引っ張る。錬は青ざめたまま大地と手を繋ぎ、フリードリンクコーナーへ向かった。
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