47 扇の的

「イオ!なぞなぞ様は?」


 イオがジテルペンの駅に降り立つと、サミダレが待っていた。忍者の白装束は目立つので、どこから仕入れてきたのか黒のダウンとブーツを履いていた。駅はケビイシがすでに到着していた。イオは黙って石像を差し出す。


 イオの様子に気付き、サミダレは聞く。

「……ローレンはどうした?テロリストは?」


「テロリストは三人ともローレンが殺した。列車は今頃中央に着いていると思う」


「殺した……?それって、必要に駆られてしかたなくって感じだよな。ケビイシに正直に届ければ正当防衛とか、」

 サミダレの目がわずかに泳いだ。


イオはローレンの瞳に宿った冷酷な光を思い出した。おそらく、ローレンの実力ならば三人を殺すことは容易かった。ただ、ローレンはテロリストたち三人がまとまっていて、広い開けたところに戦闘のフィールドが移るタイミングを待っていたかのように思えてならなかった。そして、目撃者であるイオをすぐに現場から遠ざけることが可能な場所――。


 一緒に鍋を囲んだ彼女からは想像もできない結末だった。整理がつかない。


「ローレンがケビイシにちゃんと届けていれば、明日にでもラジオで情報が入るはずだ。今はとりあえずなぞなぞ様を祠に戻そう」

 サミダレはまたいつもと変わらない表情にもどり、冷静にイオを促した。


❀ ❀ ❀


 二人は黙って山を登った。祠に到着すると、イオは風鈴を鳴らさないようにそっとなぞなぞ様を元に戻した。


「なぞなぞ様には特にエネルギーが宿っているとかはなくて、単なる飾りだってローレンが言ったんですけど、それは本当なんですか?」

 イオは立ち上がって膝についた雪を払いながらサミダレに聞いた。

「なぞなぞ様そのものにエネルギーは宿ってないけれど、なぞなぞ様は飾りじゃなくて大事な役目がある。なぞなぞ様がいることによって岩穴から出てきたモンダイはこの山以外の場所に行けなくなる。他に迷惑をかけることなく、この山が修行の山として機能するためには欠かせない像だ」


「そうなんですね。――え、じゃあ、今さっきまではモンダイは自由にこの山を飛び出していた……?」

 二人は顔を見合わせた。


「その心配はない」

 二人の後ろにいつの間にか赤いスカーフの現族長が立っていた。

「競べ弓が終わってから、我々はすぐに風鈴の舌を切り、事故的に音が鳴ることがないようにして、そこの小屋で見張っていた。我々が到着するまでに鳴った回数は一回のみ。その一体のモンダイはシグレが山から出ぬように抑えている。そろそろ解くころだろう」


「抑えている?自分らが山を下りてからかなり時間が経っています。まだ弟は解けていないのですか」


「そういうことになる」


「他に応援に行ってあげられるヒトはいなかったんですか?」

 イオは思わず口をはさむ。


「時期族長としての最初の任務だ。族長の仕事は命令がない限り手出しはできぬ」

 現族長はそう言って首を振るが、その口調には少し心配そうな色がにじんでいた。何時間も経っているのにまだ解けないとは、相当な難問なのだろう。時期族長といっても、イオはもちろん、サミダレよりも年下の少年だ。雪山の中で何時間もモンダイと格闘するのは体力的な限界もある。


「その決まりを守らないといけないのは一族のヒトだけですよね。僕が手伝いに行きます」

 イオは名乗り出た。現族長は少し驚いた表情をしたが、少々形ばかりの思案を巡らせるポーズをしてから、言った。


「よかろう。イオと、その見張り役のサミダレで時期族長の危機を援助することを許可する」


❀ ❀ ❀


 サミダレは岩を伝って少し地面から離れたところをパルクールをするかのように走り、一方イオは雪の積もった坂を走るのでかなり体力が削られていく。


「サミダレ、どうしてモンダイがそっちの方向にいるってわかるんだ?」


「空気感だ。この山で何年修行してきていると思っている」


 かなり標高が高いところまで来た。イオの目の前には、冬の雪山なのに凍り付かず、むしろ湯気を立てている湖が広がった。


「温泉?」


「温泉の源泉だ。このあたりだと思うんだが……」


 やや日が暮れかけてあたりは薄暗い。


「あそこだ!」

 サミダレは湖の対岸に青白く光るものを見止めた。二人は湖の淵まで走っていった。反対側まで淵を通っていくのはあまりに遠かった。大きな鹿のようなモンダイがしきりに地面近くのものを角で突いている。


「シグレ!」


 サミダレは弓に矢を番えて引き絞り、放ったが、飛距離が足りずに矢は湖の中に落ちた。モンダイはこちらに気付いたようで、湖の上をすうっと滑るように進み出た。立派な角をしていたが、学園のテストで出されたり、ウィルマという少女がガクを吸って暴走した時の化け物然とした見た目ではなく、ただ洗練された純粋な生き物に思えた。しかし、角は鋭利で、純粋であるからこその残酷さも兼ね備えたかのようなモンダイだった。暗くなりかけた湖面に青白い光が反射して神々しくさえ見えた。


「近づいてきます。もう一発お願いします」


「だめだ。もう矢が一本しか残っていない。肝心な時に、俺の矢は中らない」

 サミダレは奥歯をかみしめる。イオのペンは列車の隙間に落ちてしまってもうない。モンダイはこちらの岸まで来ることはなく、さあ解いてみろと言わんばかりに湖の真ん中にたたずんでいる。イオは苦し紛れに周りを見渡す。


「風呂だ。浴場にあるたらい風呂をボートにして近づこう。サミダレはここでモンダイの気を引いていてくれ。僕はさっき通った浴場に行ってたらい風呂を持ってくる」


「それしかない。急いでくれ」


 絵面のバカバカしさは一時忘れることにして、イオは浴場に急いだ。


❀ ❀ ❀


「なっ、ふ、風呂がこんなに安定性を欠くボートだとは……!」


 二人を乗せたたらい風呂は浮くには浮くが、安定性のかけらもなかった。漕ぐ道具はないので、イオが手でなんとか水をかく。頼りない出航をしたたらい風呂はぐらぐらしながらやっとモンダイが矢の射程に入る位置まで流れ着いた。モンダイと対峙する。


『お前を生み出し、育てたのはなにか?』


「サミダレ、大丈夫だ。落ち着いて。たらいのぐらつきは僕が押さえる。結び目は額のところだ。まっすぐ射れば必ずあたる」


 サミダレはたらいの中で立った。最後の一本の矢を番える。目をつむり、深呼吸する。両手を整え、背筋を伸ばす。


 俺を生んだのはコピー。でも、今の俺を育て、生み出したのはこの山だ。この山の春が、夏が、秋が、冬が俺を育てた。この山の家族が、弟が、弓が、イオが、ローレンが俺を育てた。


 目を開ける。そこには、余計なものなどなにもなかった。的と自分、ただそれだけだった。弓を引き絞る。春が来て、氷柱つららにたまった雫が落ちるように、静かに、でも切り裂くように。矢が放たれる。


――中った。


モンダイはほどけて消えた。


「よし!やったぞ!」

 イオの声がしたと思った次の瞬間、たらいは見事にひっくり返り、二人は熱い温泉に落ちた。


 シグレは文字通り弓折れ矢尽きた状態で倒れていた。意識はないが、命に別状はないようだったので、サミダレが負ぶって屋敷まで運んだ。


 イオとサミダレは屋敷に着くなり倒れこみ、泥のように眠った。

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