8 からくり屋

「多分この辺りだよな……、カブト横丁」


 イオはBb9からもらったメモを確認した。中央ブロックのケラト駅の裏側。ハイヤム横丁と書かれた看板がでかでかと下がっている。メモの地図のスケッチは確かにイオの今いる一点を示している。イオは途方に暮れた。地下というから下に降りていく地下通路みたいな感じかと思っていたが、わかりやすい入口は見当たらなかった。


 と、その時、ふいにごみ箱だと思っていた箱の陰から少女がひとり現れた。茶色の髪のみつあみに大きな赤のリボン。服は袴とセーラー服を足して二で割ったかのような不思議なファッションだ。


「あ、あのすみません。カブト横丁へはどういったらよいでしょう」


 イオが話しかける。一瞬目が合う。透き通るようなピンク色の瞳がイオの目をまっすぐにとらえる。


「あれ……?」


 イオは突然頭を思い切り鈍器で殴られたかのようなショックを感じた。初めて会ったはずの少女の瞳になぜか懐かしいような、春風を吸い込んだような、フラッシュを突然焚かれたかのような、変な感情がイオの頭をよぎった。


「えと、カブト横丁ですか?この箱の下です。……あの、どっかで会いましたっけ」


 返事を返されてイオははっとして目をそらした。


「いいえ、すみません。ありがとうございます」

 お礼を言うとそそくさとそこを後にした。人違いだ、と胸の中で繰り返した。箱の裏を見るとあっさりと地下道の入り口は見つかった。


 暗い階段を一番下まで下りたところでイオはふと自分の考えていることの説明のつかなさに気づく。僕はあの人を、誰と間違ったんだろう。


❀ ❀ ❀


 地下、と呼ばれるそこは地上とはおよそ別世界のような印象だった。地上の時代を感じさせる保存都市とは違い、日本ではない国の裏通りにでも迷い込んだかのようだ。

 日の光は当然全くないので通りは薄暗い。ネオンがあちこちに輝いている。道は細いが、人とぎりぎりですれ違っていくエンジン付き自転車や、近未来的でゲーミングな色に発光しているバイクのようなものも走っている。と思えば日本らしい提灯が道を照らしていたり、ガス灯が立っていたりする。露天商のような人や、簡単な屋台もあり、店主の暗闇からの視線が不気味だ。イオはBb9にもらった帽子を目深にかぶりなおした。


「ここかな……」

 イオはやがて一軒の店の前で足を止めた。傾いた看板を蛍光灯がちかちかと頼りなく照らしている。『からくり屋』とある。


「ごめんください」

イオはくすんだガラス戸を押し開けながら薄暗い店内を覗き込んだ。ソファーとローテーブルが一セット部屋の真ん中に据えられ、その奥にはカウンター、その奥には暖簾がかかり、先はさらに真っ暗だった。


「博士なら今いないよ」

ふいに足元から声がしてイオは腰が抜けそうになった。見るとひとりの少年が床に頬杖をついて寝そべっていた。黒い髪に黒い目、おまけに浅黒い肌で闇と同化している。


「君は?」


「博士の客。博士は出張中さ。むこうのアパートで水道麻痺だって」


「そうか。いつごろ帰ってくるかわかるかな?」


少年は肩をすくめる。

「さあ?ま、帰ってきてもおれのが先に来てたし、博士には先におれの依頼を片付けてもらうよ。おにいさんが依頼できるのはそのあと。今日は帰ったら?」


「……いや、ここで待ってることにするよ」

イオはソファーに腰かけた。


「おにいさん、仕事とかしてないの?」


「今はね」


 少年は匍匐前進のような要領でソファーの元まで来ると、腕の力だけでひょいとイオの向かい側に腰を下ろした。


「……足が悪いの?」


「うん。博士に作ってもらった義足、昨日壊しちゃったから。見る?」


 少年はだぶだぶのズボンをたくし上げて足を見せた。両足が太ももの半ばから無く、代わりにメタリックな見た目の義足がついていた。


「かっこいいね」


「そう?ノーマルズの人に言ってもらえるとなんかうれしいや」


「ノーマルズ?」


 どこかでも聞いたような気がする単語だ。


「えっと、おにいさんたちみたいな地上の『普通』な人のこと。おれらみたいな地下人間はエラーズ。もしかして地上ではそんなふうに呼ばないの?」


「あ、いや……。足は悪いかもしれないけど、君だって十分普通に見えると思うよ」


 少年はイオの顔をしげしげと眺めた。そしてぷっと噴き出した。

「おにいさん、面白い人だ」


 イオは漠然とこの楽園という世界の中にある差別感情のようなものを感じた。ぼんやりと歴史の教科書の記述を思い出す。確か、『イオールの雲』の前夜、『選別』というのがあって、それにあぶれた人は楽園に入ることを拒まれた。しかし、『王の情け』によって入ることを許された人間はエラーズとして地下で生きることを許された、という話だったはずだ。身体障がい者をエラーズと呼んでいるのか?ほかの地下の人間とは接触していないからどんな人がエラーズと呼ばれているのかはまだわからないが……。


「って、おい、君!なにタバコなんか吸ってるんだよ。どう見ても未成年だろ!将来デブになって歯ぁ黄色くなって奥さんに逃げられて肺がんになって死ぬぞ!」


「奥さんに逃げられるかどうかはわかんないだろ」


 少年は伸ばしたイオの手をするりとかわすと、ゆうゆうとイオの前で煙をくゆらせる。かすかに煙に青っぽい色がついて発光しているかのようにも見える。とにかくイオに言わせれば、有毒そうの一言に尽きる。


「大丈夫だよ。これ、ラリっちゃうやつじゃないから」


「ラリる、ラリらないって問題じゃないんだよ。タバコにはニコチンっていう成分が入っててね、」


「そう、おにいさん。これは問題なの」

 少年はイオの熱弁を遮って言った。


「おお、わかってくれたか」


「まさに問題。今おれが吸ってるのは『普遍とは存在するのか』ってテーマ。入ってる成分は百パーセント『ガク』だけ。体にいいかは知らないけど、確実に頭には良いってこれをくれたおにいさんが言ってたよ」


「テーマ?ガク?」

 イオはわけのわからない言い訳に困惑しながらしかたなく最後まで聞こうと先を促した。子供にタバコをわたすお兄さんもどう考えてもまともとは思えない。地下の治安は恐ろしい。


「信じてないでしょ。おにいさんは他にも本とか問いのある生活をしてるだろうから知らないのも無理はないと思うけど、さすがに今の反応は原始人だよ。令和の人って感じ」


 正確には令和より少し後の時代生まれなのだが、細かいので黙っておく。


「これはね、おれらエラーズでもお手軽に頭を働かすことができる嗜好品。頭に問いが浮かぶとまずもやもやがでるでしょ。それを素早くあつめてタバコの形にしたものがこれ。吸うと他の人が思いついた考えや問いを味わうことができるの」


 未来のタバコとはエンシェの理解とはかけ離れた代物に変わっているということがわかった。


「体に悪くないってことはわかったよ。でももやもやを集めるっていったいどうやるんだ?」


「知らない。おれ、人のもや見えないし。一部にはもやが見えるって人もいるみたいだからそうゆう人が集めてくるんじゃないかなあ。……で、興味出た?このタバコ。おにいさんも一服してみる?」


 少年は身を乗り出してイオの前に煙のもうもうと出る先を突き出した。ミントのにおいに近い、つんとするような澄んだにおいがした。


「いや、僕は……」

 と、そのとき入口のガラス戸が開いて一人の老人が入ってきた。真っ白な白髪を後ろで一つに束ねている。目はくすんだ赤色で白衣を着ていた。


「あっ、博士!見て見て、おれ、義足壊しちゃった!」

少年がソファーの上で足を掲げて叫ぶと博士は口を開いた。


「シゲ、またか。懲りんやつじゃな。またケンカか?」


「違うよ。テニスやろうとしたら年上の奴らがおれらの場所を取ってたから、力で奪い返してやっただけさ」


「それをケンカって言うんだろ」

イオは思わず突っ込む。


「おや、見慣れん顔じゃな」


イオは慌ててソファーから立ち上がって挨拶した。

「どうも、イオと申します。バイ博士でいらっしゃいますよね。お力添えのお願いに参りました」


「おお、イオといえば昨日Bb9から電話が来た。だいたいの話は聞いておる。わしに協力できることがそんなにあるかどうかはわからんがね」


「博士、おれのが早く来てたんだよ」

 イオとバイが握手しているところに不満そうに少年は割り込んだ。もう少しでイオの手の甲にタバコを押し付けて根性焼きを作ろうとするものだからイオは慌てて退避する。やはりクソガキかもしれない。


「おおすまん。じゃあシゲの足から治すとするかね。イオ、すまんがここで待っていてくれるかね。日が暮れる前にこの子の依頼は片づけるから」


 バイはカウンターの横の柱時計を見た。時計の下に振り子がついている古風な時計だ。アナログのその針は四時少し前を指していた。黒の塔を出発したのが昼過ぎだったことを思うとかなり時間が経っていたようだ。

 博士に連れられて暖簾の奥に消える前に少年はイオのほうを振り返って、にっと笑って手を振った。

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