9 バイ
「ふむ、お前の理論の正否はさておき、どういうことが起きたのかは大体了解した」
バイは湯呑みから一口お茶をすすった。
少年が足を治してもらい、「からくり屋」を出た後、イオは奥の部屋に通された。実験室のようなそこには、たくさんの機械、というよりもからくり箱に近い装置が雑多に置かれていて、若干の焦げ臭さが部屋の中に漂っていた。大正、昭和時代の物理の研究室のようなイメージだ。その部屋の隅で二人は丸椅子を並べて膝を突き合わせ、イオがこれまでの顛末を語った。
バイはイオが手渡したUSBチップを薄暗い照明に向かってかざした。
「この中に大昔に封印された、あの、時間移動の実行式が保存されているというのじゃな」
「ええ」
バイは手の中でチップを軽くもてあそんだ。
「すまんがここにこのデータを読み取れる機械は存在しない。わしがその点で力になることは難しそうじゃ」
「……そうですか」
「しかし、お前の体の組織が反発を始めて崩壊が現在進行形で進んでいるのなら話は別だ。このデータを読み取ることも重要だが、それをいったん保留にして、体についての再構築のためのデータを取る機械、すなわちスキャナーじゃな。それを準備すべきじゃな」
「それは可能なんですか?」
「まあ、職業柄、似たようなものを作ったことはある。さっきの少年、シゲの足の様子を調べるのにも使った」
バイは初期のカメラのような機械を取り出した。
「善は急げじゃ。早速使ってみよう。読み取れたデータは後でお前が読みやすい言語に翻訳すればいい。過去の言語のデータベースはこの楽園内から消えてはいないじゃろうし、その点は心配するなよ。じゃ、ちょっとそこに立って。まっすぐこっちを見て。あ、襟直して……いいぞ。笑って!よし。もう一枚いくぞ。笑って。あ、髪ちょっと直して。うん、いい笑顔。じゃあ最後にもう一枚。飛び切りの笑顔で……はい、チーズ!おい、どうした笑わんか」
「完全に孫を撮るおじいちゃんじゃないですか」
「何!おじいちゃん!?わしゃそんなに老いぼれちゃいない」
「この姿の僕を撮ってどうするんですか。エンシェの僕をスキャンしてくださいよ」
バイはきょとんとして目をぱちぱちやった後、苦笑いしてカメラを置いた。
「それもそうじゃな。スキャンは明日にでもわしが黒の塔へ行ってすませよう。他に今できることは……必要エネルギーの概算とかかな?」
「僕がここに来るためには地球付近の隕石衝突を利用しました。かなり莫大な量が必要かと。でも、コピーは城の地下にあるエネルギーを使えばいいとか言ってましたし、ここ、僕の時代より千年も未来なら簡単に集まるんですよね」
イオがそう言うとバイは目をまん丸に見開いた。
「え、コピーはそんなことを言ったのか?……確かに今は楽園創設からおよそ千年くらい経っているし、的外れな額の見積もりではないはずだが……。それを利用すればいい?正気の沙汰じゃないな」
ぶつぶつつぶやいて白髪頭を掻きむしった。
「あの、どうしたんですか?足りないとか?やっぱり、利用するのは難しいエネルギー源なんですか?今までの発電コストとか貯蓄に時間がかかるタイプのエネルギーなのですか?」
バイは机の上からそろばんを引っ張り出すと、猛烈な勢いでそれを弾き、そしてまたイオのほうを見た。
「十分量は足りる。問題は入手の方法じゃ」
莫大な量のエネルギーだ。買うにしても莫大な金がいるに違いない。イオは初めてそれに思いを巡らせてぞっとした。タイムマシンが出来たとて、それに充填するエネルギーがなかったら……。それを稼いでいるうちに寿命がくるだろう。バイはイオの肩を掴んだ。
「イオ、お前は楽園に来たばかりだから知らんだろう。あの城にはな、楽園の主、王が住んでいる」
「それは想像できますが」
「いいか、お前が城の地下のエネルギーを使いたいと思ったら、お前が王になる必要がある」
「僕が王に?」
「ああ。もう、こうしている暇はない。お前は今すぐ『学校』に入学して、『勉強』しなければ。天下統一するのじゃ」
鬼気迫る顔でバイはイオに詰め寄った。
「は?えっ、ちょっと話が見えない。……勉強?」
「ああ、そうじゃ。この楽園では『勉強』が何より重視される。全てにおいて『勉強』じゃ。誰よりも頭がいい人間、それが王となってこの楽園を統べる。その王が地下にエネルギーを貯める。だからもちろん、それを使えるのは王だけなのじゃ」
すっかり暮れた街の風が暖簾を揺らして行った。
❀ ❀ ❀
「エネルギー?あー、タイムマシンの動かし方は全然考えてなかったな。すまんすまん。それの数倍理論を考えるのが面白かったから」
コピーは唐揚げにマヨネーズをたっぷりかけ、白米の上でバウンドさせて頬張りながら悪びれもせずに言った。黒の塔の食堂、昼食は唐揚げと白米である。
「ま、そっち方面はバイがなんとかするだろ。マシンの完成まではある程度時間がかかるだろうし、そういうことならお前は制作には本当に大事なところ以外関わらんでもいいから、天下統一に集中するといい」
「天下統一に集中って、この楽園で一番頭が良くならなくちゃいけないんですよね。非現実的ですよ。パソコンの問題も後回しにしただけで解決の目処は立ってないし……」
「おや、自信がないのか?勉強は全ての人間にほぼ平等に与えられたコミュニケーションのツールだぞ。千年前の時間移動研究者のお前に出来ないのか?」
「コミュニケーション?勉強は、競争だろ」
「そう言う人もいる」
コピーは軽く返す。
「この楽園では知識の飛躍が起こらないように慎重に学びのカリキュラムが調整されている。あくまでここは保存都市であって、さらなる発展の為に作られたわけじゃないからだ。つまり、ここで言う勉強とは、楽園が作られた当時、千年前に既にあった知識しか問われない。もちろん、時間移動の知識を除いてな。千年前の状況に照らすと……まあ、だいたいどの高校生にも解けたというレベルの問しかない。それ以上の事は極力考えない。ここはそういうところだ」
「高校生……」
「やれそうな気がしてきただろ?不安な顔をするなよ。規定の知識さえ頭に入れときゃ王になんかすぐなれる。ゲームみたいなもんだ」
Bb9がおしぼりを持ってきてコピーの口の周りのマヨネーズを拭いた。
「あ、そうだBb9、スズヤの入学手続きしてくれたか?」
「はい。先程バイ博士から連絡がございましたので、中央第九学園の入学申し込みをいたしました。なんとかこの春の入学に間に合いそうです。学用品はこれから私がそろえて参ります」
「そうか。じゃ、そういうことでスズヤ、励めよ」
イオは俯いて自分の皿を見ていた。一番をとるための勉強は十年していない。不安な様子を察してBb9は言った。
「何かありましたら私でも、コピー様でも良いのでなんなりとおっしゃって下さいね」
「ちなみに学費とかの心配はいらん。私のポケットマネーは無限だ。私は経済の輪から少し離れた存在だからな」
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