いまむかし

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いまむかし

 歴史は繰り返す。

 まぁ、別に壮大なレベルの話じゃなくて、身近に転がってる、そんな話。



「浅見さん、これお願いしまーす」

 静かだった事務室に入りこんできた声に顔をあげる。

「はい」

 まだ若い教師が差し出した紙を事務的に受け取る。

 領収書に添付された届出用紙に記載漏れがないか、ざっと目を通す。

「お預かりします」

 なくさないうちに事務長に確認してもらうように未決済の引き出しに入れる。

「あの、浅見さん。今日……」

「ガク先生っ。つぎ、うちのクラスだよぉー」

 はかったかのように事務室のドアが乱暴に開けられ、それと同時に元気な声が飛び込んできた。

 教師の腕にくっついた女生徒は、こちらをギリとにらむ。

 困ったような表情の教師と生徒に、とりあえず曖昧な笑みを返し、タイミングよくかかってきた電話がワンコール鳴り終わる前に取った。

「はい。萩岡学園高等部です」



 教師が生徒同伴で事務室をあとにするのを目礼で見送り、勧誘だった電話を適当にあしらって受話器を置く。

「浅見、思い出し笑いとは、やらしいな」

 いつのまに入ってきたんだ、この人は。

「……宇佐先生、私はもう生徒じゃないんですから、呼び捨てはやめてくださいよ」

 応接用においてあるソファに当然のように座った教師に文句を言う。

 いくら私が卒業生で、在学当時の数学担当教師だったとしても、今は同じところから給料をもらってる身。立場はほぼ一緒のはずだ。

「岳先生は浅見にご執心みたいだねぇ」

 こちらの文句は軽く流される。

 言っても無駄なことはわかってたけどね。っていうか、どこから見てた。

「宇佐先生。その言い方はどうかと思いますけど?」

 グラスに麦茶を注いでテーブルに置く。

「ありがと。でも、端的に言えばそうでしょ?」

「直截的な言葉はまだないですよ」

 自分も向かいに座り、お茶に口をつける。

 何度か、誘おうとしてくれている様子があるのは確かだけれど。

「上手にかわしてるんだ?」

 面白がっているような顔。

「というか、さっきの子がですね、タイミングよく割って入ってきてくれてる感じですね」

 たしか、築山と呼ばれてた気がする。

 むこうはこっちを敵視しているけれど、実を言えばありがたい存在だ。

 校内で恋愛沙汰する気はない。さすがに。厄介すぎ。

「まるで誰かさんを見てるようよねぇ」

 しみじみともってまわった言い方をした宇佐をかるくにらむ。

 自分の忘れたい過去を知ってる人間っていうのはうっとうしい。

 それも完全にからかうつもりで、それを口にするようなヤツだとすれば尚更。

「とりあえず、今、その麦茶に異物仕込まなかった己のおろかさを反省してますけどね」

「ホントにねぇ、あの頃は意味もわからず生徒に敵意をぶつけられて胃の痛い毎日を過ごしたわぁ」

 わざとらしく遠くを見つめてるけど、そんな繊細じゃないでしょ、宇佐は。それどころか当時も、確実に面白がってたじゃないか。

 反論しても余計に面白がられるだけなのでため息ひとつで聞き流す。

「あぁ。でも、そっか。だから微笑ってたか。昔を思い出して、なつかしいんでしょ」

「昔っから宇佐はムカつくよね。お見通しみたいな顔でさぁ」

 まったく。その通りだよ。馬鹿馬鹿しいほどまっすぐで、思い返せば痛々しすぎて。

 もう戻れないし、戻りたくない気もするけど。

「あんたね、一応年長者に向かって呼び捨てはどうなのよ」

 ちょっと学生の頃に戻ってみただけだよ。さすがに当時は本人に向かって言えなかったけどさ。

 宇佐は怒っているというよりは呆れた風にこちらを見ている。

「ま、困ったことがあったらいつでも相談に乗るから。岳先生のことも、築山のことも」

 結局、教師だよなぁ。宇佐って。そして私のこと、生徒と思ってるでしょ、まだ。

 ありがたいのはほんとなので、真面目に返す。

「その時はよろしくお願いします」

 たぶん、そんな面倒なことにはならないけどね。



「浅見、さん。ガク先生はっ?」

 ものすごく不本意そうに「さん」付けした築山さんをみて、思わずこぼれそうになる笑みをひた隠す。

「今日はまだ見かけていませんよ?」

 声が変にゆがまないようにするのに苦労した。

 相変わらずの敵意の視線。

 かわいいなぁ、と思う反面、自分の昔を思い出して気恥ずかしい気持ちになる。

 でも、なつかしい。

「ナニ笑ってんの? バカにしてるんでしょ」

 あら、失礼。笑ってましたか。別にバカにするつもりは全くないんだけどね。

「ねぇ。それ。その、ゆびわ……」

「あぁ。目ざといね」

 左手薬指にはめた、ちいさなダイヤの入ったリングを築山さんは凝視する。

「結婚するのっ? ガク先生と!」

 詰め寄る築山さんに、ひらひら手を振って否定する。

「ちがう、ちがう。岳先生とはプライベートでは会ったこともないよ」

「だよねっ。私、邪魔してきたし。ガク先生、基本ヘタレだし」

 生徒にここまで言われる教師はどうなのかなぁ。

 それも築山さん、いちおう岳先生のこと、好きなんだよね? ヘタレでいいの? いや、わからないでもないけどさ。

「じゃあ、頑張ってる築山さんに先輩が良いことを教えてあげましょう。指輪の口止め料ね」

 ソファに座らせ、お茶をだす。

 別に口止めする必要はないのだけれど、築山さんは別のところに引っかかったようだ。

「先輩って、浅見さん、卒業生なの?」

「そ。で、結婚相手は当時の副担任」

 私の告白にぽかんとかたまる築山さんの顔を、頬杖ついて眺める。

 おぉ。結構な衝撃を受けていただけて何より。

「……マジで? 誰、だれ?」

「今は学校変ったから、築山さんは知らない先生。……私も築山さんみたいに在学当時おっかけてたよ。仲の良い同僚教師に嫉妬したりしたしね」

 その同僚が宇佐だというのは内緒にしておこう。

 ちなみに宇佐と「先生」は単純に先輩後輩で、当時それぞれに彼氏彼女が校外にいたのは、ずいぶん後になって知った事実で、知ったときには的外れで無駄な嫉妬をしていたことにがっくりきたのだけど。

「え、なに。でも、どうやって? 高校のときから付き合ってたの?」

 声をひそめるようにして築山さんはきいてくる。

 興味津々、期待にみちた視線にうながされて、重大な秘密を打ち明けるように、わざと小声で応える。

「在学中に何度か告白したんだけどね、玉砕して。卒業したら良いんじゃないかと思って卒業式に日にも告白したけどやっぱりダメで」

 今考えれば当たり前なんだよなぁ。どう考えても子どもだったし、話にならない。

 若気の至りだ。

「それで?」

「……同窓会で再会してね」

 あとは察してね、と言わんばかりに笑顔を見せておく。

 細かいことはさすがに言えない。

「えぇ? そこを詳しく教えてくれなきゃ」

「ほら、昼休み終わっちゃうよ」

 追い出すように手を振る。

「けちー」

 敵意のないふくれっつらをのこして、渋々と事務室をでていく築山さんを見送って小さく息を吐き出す。

 これで、妙な絡まれ方することもなくなるだろう。

 また話をせがまれるかもしれないが、適当にかわせば良いだけだ。

「ずいぶん端折ったわねー、浅見」

「だーかーら。なんで、いるんですか」

 いつからいたのか、受付口から顔をのぞかせている宇佐に文句をぶつける。

 盗み聞きなんて、教師がすることじゃないだろ。

「そりゃ、浅見のことが心配だからー」

「面白がってるだけでしょ?」

「うまくさばいたわね」

 仮にも生徒に対して、その言い種はどうなの?

「うまくも何も、岳先生に傾く気持ちがないことわからせれば、問題ないことわかりきってたし」

「でも、あの話し方だと一途に想いを貫いて教師と結婚にこぎつけたみたいよね」

 宇佐は含みのある笑みを浮かべる。

 ヤな言い方だな。別にウソは言ってない。言わなかったことがいくつかあるだけだ。

「西条先生はバツイチだし、浅見は大学時代、何人も付き合ってる人いたでしょ?」

 おまけになんて人聞きの悪いことを言うんだ。

「同時に複数と付き合ってたみたいじゃないですか、その言い方だと。何人かと付き合ったことがあるのは事実ですが」

 きちんとそれぞれ円満に別れた後のお付き合いで、重複してたことなど一度もない。

 その辺りを丁寧に築山さんに話す必要があるか? ないでしょ、どう考えても。

 いたいけな子どもの夢は大切にしないと。

「しかし、浅見が結局、西条とくっつくとはねぇ。未だに不思議だよ。子どもの擬似恋愛で終わると思ってたんだけどなぁ」

 どこが良かったんだ? と、なにげに失礼な質問を宇佐はくっつける。

「離婚してへこんでる姿が哀れだったからほだされた、かな?」

「大概、浅見もひどいヤツだね」

 いや、まぁ。もちろん、それだけじゃないですよ。

 宇佐と顔を見合わせて笑みをかわす。

「ところで、岳先生はどうするの?」

「指輪見れば、フェードアウトするんじゃない? 築山さん曰く「へたれ」らしいし」

 だいたい、まだ直接的な言葉は何一つない状態だし。こちらも気付いてなかったふりをして、何もなかったことにするのがオトナの対応だろう。

「オンナノコって怖いなぁ」

 「女の子」って言うにはトウがたちすぎてるけどね。

 くすくすと声をたてて笑った宇佐に言葉を返さず、肩をすくめるだけにとどめてみた。



                                   【終】

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