第6話 退院祝い
翌朝は起きると10時前で、どうやらスマートホンのアラームは無意識に止めてしまっていた様だ。着替えて一階に降りていくと、美咲さんの姿はあったが七海ちゃんはいなかった。
「おはようございます」
「おはよう。よく眠れた?」
「はい、すっかり寝坊してしまって……七海ちゃんは?」
「今日は友達に会いに行くって、朝から出かけたわよ。博多に行くんだって」
「元気だなあ」
「玄人くんは今日はゆっくりするんでしょう? とりあえず朝ご飯ね」
美咲さんに朝食を準備してもらって、今日は一人で朝食。食べている間、美咲さんが七海ちゃんのことを色々と教えてくれる。
「七海は昔から歌が好きでね。東京で歌手になるんだって頑張ってたのよ」
「そうなんですね。ギターを持ってたからバンドでもやってるのかとは思ってましたが」
「大学時代からの仲間とバンドをやってたんだけど、デビュー目前でメンバーが抜けちゃってね。そんな時主人が腰の手術をして、もうそろそろ宿もたたもうかって話をしてたら『私が継ぐ』って言い出して……それであの子、こっちに戻ってきたのよ」
そんなことがあったのか。彼女の身の上はあまり詳しく聞かなかったから、単なる里帰りかと思っていたけど……自分と似たような境遇だったと言うわけだ。しかし宿を継ぐと言っても彼女は料理が全然できないと言っていたし、誰か新しい板前を探す必要がありそうだ。
「玄人くん、就職先は?」
「まだ全然探してないです。東京に戻ったらぼちぼち就職活動も開始しないと」
「大変ね。七海はあなたの身の上に共感してたのかも。人見知りのあの子が、初めて会った人にこんなに懐いてるのって珍しいから」
「僕は無害そうに見えたんですかね」
前の会社でも『いい人そう』ってことで良く無茶な仕事を頼まれていたから、人からはそういう風に見られがちなのは分かっていた。懐かれるのとは少し違う気もするが、やはり何かしらのシンパシーがあったのだろうか。
「こっちにはいつまで?」
「明日、東京に戻ろうと思ってます。レンタカーも四日しか借りてないですし、あまりお邪魔しても申し訳ないので」
「フフフ、玄人くんならずっといてくれてもいいんだけど。そうだ! 今日、主人が退院なんだけど、もう一度お料理お願いできないかしら? あなたの作った料理を是非主人にも食べてもらいたいの」
「お安いご用です。それじゃあ、今日は食材も僕が買いに行きますよ。お店を教えてもらえますか?」
「じゃあ、お願いしちゃおうかしら」
本物の板前であるご主人に料理を振る舞うなんておこがましい気もしたが、退院祝いとしてできる限りのことをしようと思う。それが泊めてもらった恩返しでもあるのだから。
昼からは教えてもらった店を回って食材を揃える。真鯛にイカ、金目鯛やカツオ、それに蛤……どれも旬の新鮮な食材だ。筍も手に入ったので、これは筍ご飯かな。新鮮な旬の食材を見ているとワクワクしてついつい沢山買いそうになる。あとは肉と野菜、これだけ揃えば十分だ。
夕方に美咲さんがご主人を迎えに行き、入れ違いで七海ちゃんが帰ってきた。
「あー、またお料理してる!」
「今日は七海ちゃんのお父さんが退院する日でしょ? 美咲さんからリクエストされたんだよ」
「ごめんね、働かせちゃって。何か手伝うことある?」
「えーっと、じゃあ、食器を出してもらおうかな」
料理と言っても刺し身は切って並べるだけだし、金目の煮付けをしている間に他のものを処理。こうやって並列で料理できるのは、母の小料理屋でずっと手伝いをしていたお陰だ。
「玄人は器用だね。料理人になればいいのに」
「僕の料理なんて素人の延長みたいなもんだからさ。それを七海ちゃんたちに食べてもらって申し訳ないけど」
「そんなことないよ。どれも美味しいもん……あ、お父さんたち帰ってきた!」
建物の外で車がバックする音。やがて声が厨房に近づいてくる。
「おー、君が辻くんか! ほう、なかなかしっかり料理してるじゃないか。立派、立派!」
「初めまして。厨房、使わせて頂いてます」
「構わん、構わん。退院祝いに料理してくれてるんだろう? 嬉しいじゃないか!」
ガハハと笑って出ていったご主人。入れ替わりに美咲さんが入ってきて、配膳を手伝ってくれた。今回はちょっと気合を入れたので、自分基準ながら初日よりも更に豪勢な料理がテーブルに並ぶ。七海ちゃんが一番キラキラした目で料理に見入っていて、本当に地元の海鮮が好きな様だ。
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