獄宙に囚われる 10
※
夜の住宅街を佳蘭と無言で歩く。まだまだ夜は長いが流石に帰宅ラッシュからは外れている。コンビニすらない二車線道路を歩いている人間は俺たちくらいのものだった。
さらりと冷たい夜風が通り過ぎ、俺の身体に残る熱を奪い去っていく。あの後、気絶した森川を放置してマンションを出た。麻薬のこともあって警察に通報するか迷ったが、確実に面倒なことになるとそのままにした。とはいえ森川が持っていた麻薬とクローゼットに隠してあったプランターを放置することは出来ない。キッチリ使い物にならないくらいにブッ潰しておいた。お陰様で少々時間食ったが、まあ仕方ない。ついでに大分冷静さを取り戻すことが出来た。
「高戸の言った通りだったわね。秘密の守り人は森川だった。わたしだけじゃ多分そこまで辿り着くことは出来なかったわ」
「オカルトサークルのあのメンツの中で誰が一番本を読みそうにない奴っていや森川一択だろ? あいつが一番「月光」という本を読む心配がない。まあもっとも麻薬のことがなけりゃ俺もわからなかっただろうがな」
麻薬と秘密の守り人が同一人物という仮定。パチ屋で森川と鉢合わせてからの会話でこいつが麻薬と関わっていると予想出来た。そこから逆算して森川が秘密の守り人という可能性を考慮して出た結論。ぶっちゃけ桃生が俺に麻薬のことを話してくれなきゃ辿り着けなかっただろう。桃生にはガチ感謝だ。
「まさかトム・ボンバディルに指輪を渡すとはね」
ぼそりと呟かれた佳蘭の言葉。独り言のつもりだったのだろう。夜風に紛れ込みそうだったが俺の耳には届いていた。
「誰だよトムうんたらかんたらって」
「ああ聞こえたのね。トム・ボンバディルは指輪物語に出てくる登場人物よ。指輪物語は知ってる?」
「あー聞いたことあるような……」
車が一台通り過ぎた。ヘッドライトの光が俺たちを照らし、すぐにまた闇に包まれる。
思い出した。そういや昔鉄平が読んでいたわ指輪物語。滅茶苦茶面白いけど高戸には厳しいかなと言われ、ムカついたことを思い出した。ちなみになにくそと思って読んで、鉄平の言った通りに挫折したというオチがつく。
「本当にざっくりとしたあらすじよ。冥王サウロンが全ての力を籠めた一つの指輪。数奇な運命を辿りホビットのフロドがそれを手にしたところから始まるわ。冥王が世界を支配するために必要な一つの指輪は、同時に冥王の弱点でもある。旅の仲間とともに一つの指輪を消滅させるために滅びの山を目指すという物語ね」
「へぇ。面白そうな話だな。にしてそんな凄い力を持った指輪なら自分たちで使えばいいって思っちまうけどな」
よく言うだろ。力そのものに善悪はないって。あくまで力を使う人間にこそ善悪があると思っている。だからこそその力を奪っちまえばいい。
「高戸らしいわねその言葉。けど作中でもそのことは言及されている。一つの指輪の恐ろしさの一つとして、所有者を徐々に侵食していくことにあるわ。一つの指輪を力ある者が使えばサウロンを滅ぼすことは出来る。けれどもどんな善人が所有者でもいずれ次の冥王へと堕ちてしまう。わたしはね、この一つの指輪を人間の欲望のメタファーであると解釈したわ」
なるほどな。佳蘭の言葉で納得がいった。どんなに良い奴でも欲望ってもんは存在する。それは生物である以上仕方ないことだ。そして一つの指輪を使うってことは欲望に飲まれたってことと同じ。自分の欲望に支配されちまった奴を、善人とはもう呼べない。
「それに一つの指輪を巡って争いにも発展しかねない。ああだからその本じゃ消滅させることを選んだんだな」
「そういうことよ。ただね、たった一人だけ一つの指輪の影響を受けない人物がいる。それがトム・ボンバディル。一つの指輪の処遇を決める会合で、トム・ボンバディルに預けるという案も勿論出たわ。ただ彼は指輪の価値を理解出来ない。トム・ボンバディルにとって冥王の力の宿る一つの指輪は道端に落ちている小石と変わらない。知らない内にどこかに失くしてしまうということでその案は却下されたわ」
ようやっと佳蘭の言葉の意味が理解出来た。森川が秘密の守り人だったこととトム・ボンバディルが俺の中で確かに繋がった。
森川の前の秘密の守り人がどんな奴だったのかはわからない。ただおそらくそいつは「月光」という本が気になって仕方なかったのだろう。人間はやってはいけないと禁止されていると破りたくなっちまう生き物だ。それは昔ヤンチャそのものだった俺がよーく理解している。読めば死ぬかもしれないとわかっていながら、読めば人が死んじまう本てどんなものなのか読んでみたくて仕方なかったに違いない。好奇心を必死に押し殺したそいつは、次の秘密の守り人として森川を選んだ。本になんか微塵も興味がなさそうで、絶対に読むことがないだろう森川に。
森川にしてみれば「月光」はガチでどうでもいい物だった。おそらく読めば人が死ぬということも信じちゃいなかったに違いない。森川が半狂乱で叫んでいた言葉を思い出す。だからこそ中途半端な殺意と遊びのような軽い気持ちで鉄平の鞄に「月光」を忍ばせた。ある意味これは佳蘭が言う通り「トム・ボンバディルに指輪を渡した」からこそ起こった事件ともいえる。
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