獄宙に囚われる 9

 俺と森川の二人で話し合った作戦はこうだ。俺も森川も佳蘭に対してやらかしちまってる。それの詫びとしてパーティーを開くという名目で佳蘭を森川の部屋に誘き出す。そして睡眠薬入りのジュースを飲ませてここを本当のレイプパーティー会場にするというもの。

 ぶっちゃけ俺からすればガバもいい所のこの作戦。だーれが真昼間に一悶着起こした男の言葉を聞いて、キモいナンパ野郎の部屋に行く奴がいるか。こんなもの俺と佳蘭が乗っているから成立しているように見えるだけ。本来なら成功するはずのないガバ作戦でしかない。だが森川は作戦を立てた当初からガチで成功を疑っていないようだった。犯罪という黒い熱が、森川から冷静な思考というものを奪い去っている。

 チクリと太ももに刺したような痛み。佳蘭から視線を外し森川の顔を見た。俺と同じコーラを飲みながら、佳蘭を見る森川の目はギラギラと光っている。ちったあ隠せ、あからさま過ぎんだろ。あまりに雑過ぎる森川にどっちの味方かわからんような感想すら出てきた。

 一人で捲くし立てるように喋り続ける森川。俺も佳蘭も適当に相槌打ちながら寿司やらポテトをつまむ。

 それはこのパーティーが始まってから二十分ほど経った時だった。まるで糸が切れたように突然佳蘭は倒れ伏した。急いで近づき様子を覗う。すうすうと可愛い寝息。どうやら睡眠薬が効いたのだろう。あどけない顔で眠っていた。

「寝たか?」

「ああ。ぐっすりとな」

 太ももに軽い痛み。俺の言葉を聞いて森川は両手をパンパン叩きながら馬鹿みたいに笑いだす。

「はははっははは。そうか眠ったか‼ 散々おれに舐めた態度とってよぉ。こっから地獄を見せてやるぜぇ」

 森川はまるでタンバリン持った猿のオモチャのようだった。俺の不快指数がガンガンに上昇していく。俺の中の理性という名の糸がブチブチ切れていくのを、強く拳を握りしめることで繋ぎ止める。

「なあ。ここまでくりゃもう終わったも同然だろ? そろそろ俺だって安心してぇんだよ。この後どうするつもりなんだ? いい加減教えろよ」

 その言葉に興が削がれたのか森川は冷めた目で俺を見つめる。ただそれも数秒でぶん殴りたくなるようなドヤ顔に変わった。

「そうだよなぁ。知りたいよなァ。高戸の覚悟もわかったしな。いいぜ、教えてやるよ」

 立ち上がった森川は、マンションに元々備えつけてあったクローゼットの扉に手をかける。俺が掃除していた時に絶対に触らせなかった場所。勿体ぶった動きでクローゼットの折戸を開ける。そこにあったのはブラックライトに照らされた、見たことのない植物が生い茂る巨大なプランター。家庭菜園というにはあまりに異質すぎるその光景。

「これは?」

「まあこれだけじゃあわからねぇよな。麻薬だよ麻薬。その原料がこれだよ」

「お前が言ってたウマい儲け話ってこれのことか?」

「そういうこった。適当に水やるだけで勝手に育つから手間もかからねぇ。その割に売り捌きゃ結構な額になる。マジいい商売だぜ」

 森川が麻薬に関わっているのは予想していたことだ。大きな驚きはない。問題はこれに鉄平がどう関わっていたのかだ。微かに頭痛がしてきた。

「そんでもってコイツがなんだかわかるか?」

 ひらひらと自慢げにチャック袋を見せつけてくる。透明なそれの中身は勿論白い粉。答えなんぞわかりきってる。

「麻薬だろ。現物まで持ってたのか」

「昨日ちょいと貰ってきたんだよ。これでクソ生意気なこの女をヤク漬けにする。そうすりゃ俺らの言うことなんでも聞く様になんだろ。ふへふひひひ。ムカつく女だが見てくれだけは最高だからな。たまんねぇよなァ」

 ブチブチと理性の糸が引きちぎれていく。まだだ。まだ。握りしめた拳、手の平に爪を食い込ませるようにして痛みで繋ぎ止める。

「俺だけか?」

「は?」

「麻薬のこと知ってるのは俺だけか?」

「お前だけだよ高戸。この女を嵌めるために動いてくれた、お前だからおれもこの話をしたんだ」

「もう一度聞く。本当に俺だけか?」

 自分でも驚くほど平坦な声。必死に感情を押し殺しながら真正面からもう一度問い質す。頭痛がする。怒りで頭に血が流れ過ぎている。頭が痛い。

 俺の静かな圧に、森川は何か思い当たる節があるのか一瞬口を噤む。すぐに誤魔化すように大袈裟な身振り付きで口を開いた。

「ああ一人。一人だけ話したわ。だが安心してくれ!」

「何でだ誰だ」

「有馬だよ有馬鉄平。高戸も噂で聞いて知ってるだろうが、死んじまってもういねぇ! 有馬の奴『一週間以内に全て破棄しろ。そうしなければ警察に通報する』なんて言うんだぜ。だーれがこんなウマい商売手放すんだよ。あり得ねえだろ。そう思ってたらよぉ。ふひはははは。有馬の奴死んじまいやがった」

 よく最後まで森川の話を聞けたなと自分でも思う。聞くべきことは聞けた。もういい。限界だ。最後の糸、その一本が切れた。血が滲みそうなほど強く握りしめた拳を森川の顔面に叩き込む。

 森川は「ぶげらっ!」なんて漫画みたいな叫びをあげ床に倒れ込んだ。状況が飲み込めてないのか呆然とした表情で俺を見てくる。

「な、な、な、な、な、な」

「鉄平は、有馬鉄平は俺の親友だったんだよ‼」

 抑える必要は、もうない。怒りで体が熱い。全身がわなわなと震える。床に這いつくばる森川を見下ろすようにして睨みつける。俺の剣幕に森川は恐れおののき怯え、懇願するように叫んだ。

「お、おれは有馬になにもしちゃいねぇ! ただアイツの鞄に本を一冊忍ばせただけだ! おれは悪くねぇ‼」

 殺す。怒りはマッハで通り過ぎシンプルな殺意。殺す。許さねぇ。頭の中に黒い炎が燃え上がる。殺す。他に何も考えられねぇ。殺す。森川がなにか喚いているが聞こえない。殺す。一歩踏み出す。

「黙りなさい」

あらゆる熱を凍てつかせる絶対零度の声。睡眠薬入りのオレンジジュースを飲んで眠っていたはずの佳蘭がゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

「なななんで? ぐっすり眠っていたじゃねぇか⁉」

「睡眠薬かしら? そんなものわたしに効くと思っていたの?」

 森川にしてみれば完全にありえない筈の光景。恐慌状態で醜く叫び散らかそうとする森川を、佳蘭の氷剣のように鋭く光る青い瞳が刺し貫いた。気圧され言葉が出なくなった奴の口が、金魚のようにパクパク動く。

 重量すら感じちまうような強烈な殺気。俺の中の黒い炎が、純黒の意志に押し潰された。僅かに理性を取り戻す。以前俺が浴びたものより数段重いそれ。そんなもの直接食らおうものなら堪ったモンじゃない。藻掻くことすら出来ずに森川は泣きそうな顔で佳蘭を見上げていた。

「知っていたんでしょう? あなたが忍ばせたその本が、どういった代物なのかということを」

「んグゥ。ぉおれはわ、悪くねぇ‼ だってあり得ねぇだろ! 読んだら死ぬ本なんてよぉ‼ だからおれは悪くねぇ‼」

「そうね。あり得ないわそんな本。でもあの時あなたは僅かでも願ったはずよ。有馬さんの死を」

「ちちちち違う‼ 洒落だったんだ! 遊びだったんだ! おれは悪くないんだ‼」

 不意に鼻に突く香水の匂い。まるで腐りかけの果実をドロドロになるまで煮込んだような、臭気すら感じるほどの甘い匂い。吐き気のような気持ち悪さすら覚える。

 思わず瞬きをした。見間違いじゃない。なんだこれは……。佳蘭の身体から殺気に呼応するように純黒のオーラがとぐろを巻く。息を飲む。漫画じゃねぇんだ。現実にオーラが可視化するなんざあり得ない。あり得ないが俺の目には確かに映っている。

「違う。そう。違うっていうのなら、どうして彼はこんな顔をしているのかしらね」

「は?」

「見えるでしょう。凄い顔であなたを見ているわ」

 森川は意味がわからないと呆けた顔を浮かべていたが、徐々にその顔は恐怖に染まっていく。顔から色が消え失せ白くなり、目と口が大きく見開かれた。佳蘭の青い瞳がより一層鋭く光る。

「ァひィあ。有馬なんでなんで有馬なんで」

「ね。あなたにも見えたでしょう? 怒っているわ悲しんでいるわ何よりあなたを恨んでいるわ」

 森川の目線は佳蘭の背後の何もない空間に向けられている。俺には何も見えない。ただ燃え上がるような佳蘭の純黒のオーラだけが見えているだけ。そこに、そこにいるのか鉄平が……。

「許せ許してくれ有馬ぁ‼ ぉおれが悪かったから許してくれよぉ‼」

「許されると思っているの?」

 佳蘭がゆっくり一歩ずつ噛み締めるように森川へと足を進めていく。涙に鼻水あらゆる液体まみれでとても見れたものじゃない森川の顔面。なんとか逃れようと藻掻くも、あまりの恐怖でバタバタ意味のない動きを繰り返している。


「もう逃げられない」


 すっと佳蘭の細く白い指が森川を指さす。まるで判決を告げる閻魔のような絶対宣告。それは限界だった森川へのトドメとなった。ぐるりと白目を向き意識を失う。こうして全ては終わりを迎えた。


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