獄宙に囚われる 8

 時刻は夜の七時を少し回ったところ。もう日は落ち辺りは暗い。いつもは静かであろう住宅街も、退勤時間と被っているせいでそれなりに人が動いている。そんな中俺と佳蘭は森川のマンション目指し並んで歩く。夜風がふわりと佳蘭の香水の香りを届けてきた。最近佳蘭が使っているらしいハニトラ用の香水よりも若干甘さに重みを感じる。いまいちなんの香りかわからないが、どうせ佳蘭のオリジナルだろう。考えたって答えなんぞわかるわけがない。……わかっている。そろそろ切り出すべきだ。

「おい。今ならまだ間に合う。引き返すなら引き返したっていいんだぜ」

 俺の言葉が意外だったのか佳蘭は驚いたように立ち止まる。一歩先を行く形で真正面から向き合う。

「俺に気を使ってるなら、そんなモン関係ねぇぞ。森川には俺が適当話して誤魔化してやる。なんなら今回の調査だって最悪失敗に終わったっていい」

「意外ね。高戸がそんなこと言うなんて」

「単に寝覚めが悪いんだよ。死んだ人間のために生きてる人間が犠牲になっちまったらよ」

「それはそうね」

 クスリと緊張感のない佳蘭の微笑みに若干イラっとくる。なんだよその態度は。心配してる俺が馬鹿みたいじゃねぇか。

「これから起こることは全て聞いたわ。その上で乗ることに決めたのはわたし。最悪の事態になったとしてもその責任の全てはわたしにある。高戸が気に病む必要はないわ。もっともそんな可能性万が一もありえないことよ」

「根拠は? そこまで言い切る自信はなんだ?」

「わたしが魔女だからよ」

 佳蘭の宝石のような青い瞳が月明りに照らされる。確かな自信と強烈なプライドに裏打ちされた微笑み。それだけで俺はもうなにも言うことは出来ない。振り返り佳蘭に背を向ける。

「……。ガチで危ないと思ったら俺も動くつもりだ。ただ期待はするな。保証はしねえぞ」

「ありがとう。頼りにさせてもらうわ」

 くすくすと楽しそうに笑う佳蘭の声が耳に届く。言わなければいけないことは言った。伝えるべきことは全て伝えたつもりだ。これ以上はない。俺と佳蘭は再び並んで歩いていく。そこから十五分ほど歩いたところでようやく着いた。森川の住むマンションの一室、その扉の前に立つ。

「行くぞ」

「そうね。行きましょうか」

 この先をいけば最終局面だ。有馬鉄平を巡る今回の調査。その答えがおそらくこの先に待ち受けている。同時に俺たちの身を滅ぼしかねない邪悪とも対峙しなきゃならない。一拍呼吸をおいてマンションの扉を開ける。

「おう。佳蘭連れてきたぜ!」

「悪いな助かったぜ! 上がってくれ」

 玄関からその先の洋室にいる森川に声をかけると返事が返ってきた。俺は何回目というのもあって雑に靴を脱ぎ部屋へとあがる。佳蘭はというと丁寧に靴を脱ぎ、綺麗に揃えていた。

 コンロとシンクがあるだけの簡単なキッチン。それに浴室とトイレ洗面所にメインのフローリングの洋室。俺の住んでいる部屋と左程変わらない、一人暮らしの大学生らしいマンションだった。

どこか警戒心を滲ませながら佳蘭は俺の後に付いてくる。知り合って日も浅い、更に言えば揉め事を起こした男の部屋だ。この反応に不自然さはない。そういえば初めて会った日、映像部の部室に入った時にも佳蘭は今と似たような緊張の仕方をしていた。もしかしたら他人のテリトリーに足を踏み入れるのは苦手なのかもしれん。

 森川のいる洋室へ足を踏み入れる。良く言えば生活感のある、悪く言えば小汚いヤロウの生活空間。一応佳蘭を呼ぶ以上掃除はした、俺が。その前まではコンビニ弁当のゴミやら空のペットボトルやチューハイ缶の散乱する、とても部屋にオンナ入れることできないくらいの惨状だった。それをなんとか見れる形まで俺が片付けた、何故か俺が。

「ほらほら。座ってくれよ二人とも。佳蘭ちゃんは今日の主役なんだから遠慮はナシだ」

 部屋の中央に置かれた小さなガラステーブルに座りながら、森川は張り付けたような笑顔で歓迎する。佳蘭は気分を入れ替えるようにふうと吐息を漏らすと、用意されていた座布団に正座する。それを確認してから俺も空いてる座布団にドカリとあぐらをかいた。

「悪かったな。今回の調査お前一人に任せちまってよ。ここにある食い物は詫びとして俺らが用意したものだ。遠慮なくやってくれ」

 ガラステーブルの上には沢山の料理が並んでいた。宅配ピザにテイクアウトしてきた回転寿司、簡単にツマめるポテトやらナゲットもある。

「いやぁあの時はおれも悪かったよ。ゴメンな!」

「わたしもやりすぎたわ。ごめんなさい」

 森川の言葉だけの謝罪に、佳蘭も頭を軽く下げた。二人の上っ面だけのやりとりに、よくやるねぇなんて呆れが混じった感想が出てくる。こんなくだらない茶番劇に興味はないと、二人を無視するように俺はテーブルからコップを取りコーラを注ぐ。

「お! そうだな、まずは乾杯からだ。ほら佳蘭ちゃんコップコップ」

 まるではしゃいでるような、不自然なハイテンションさで森川は口の空いたオレンジジュースのペットボトルを佳蘭に向ける。そのまま酌でもするように、佳蘭の持つコップに注いでいく。こういう時はジュースじゃなくて酒の方が一般的だと思うが、佳蘭が飲めないってんで全員飲み物はソフトドリンクにした。まあこの後のことを考えれば酒で思考力鈍らせるわけにはいかないから、ちょうどいいっちゃちょうどいい。

「これで全員の遺恨は消えたってコトで! こっから先は楽しくやりましょうや。かんぱぁーい!」

 森川の異常に高いテンションに若干引きながらも、俺と佳蘭も乾杯と声を出し、ティンとコップを合わせる。そのままゴクリゴクリとコーラを喉に入れていく。横目でチラリと佳蘭を覗き見ると、お上品に両手でコップを持ちこくりこくりと喉を鳴らしていた。

 全て話してある。久留主佳蘭という女は馬鹿じゃない。この睡眠薬入りのオレンジジュースに対して何かしらの対策はしているはずだ。

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