獄宙に囚われる 2

  *


「高戸聞いてるの?」

 佳蘭のその言葉にハッと我に返った。ゆっくりと息を吐き出す。落ち着いて自分の現状を再確認する。今俺がいるのが佳蘭の泊まっているホテルで、いつもの報告会だ。大丈夫わかっている。

「……。悪い。聞いてなかった。で、何話してたんだ?」

「まだなにも話してないわよ。明らかに心ここにあらずといった様子だし、なにを話しても無駄だと思ってね。大丈夫? もう落ち着いた?」

「ああ、多分な」

 佳蘭が心配そうに覗きこんでくる。落ち着けるために、もう一度大きく息を吐き出した。

 桃生緋沙子から鉄平のことを聞かされた後の自分が曖昧だ。喫茶店とかその辺の公園でボーっとしていたのかもしれない。パチ屋で適当な台を脳死で打っていたのかもしれない。それだけ俺にとってダメージが大きかったということだ。

「高戸がそれだけ参るって少し想像出来ないわね。一体何があったの?」

 一瞬口を噤む。果たしてこれを話していいものかわからない。自分の思考が回っていないことを自覚出来ているだけに余計にだ。とはいえ佳蘭に話さなければ始まらないのはわかっている。悩みに悩んで最終的に話すことにした。

「鉄平が、どうやら麻薬に関わっているらしい。桃生緋沙子の話によるとだけどな」

「それは……。なるほどね、納得したわ。高戸がそうなるのも無理はないわね」

 冷静に俺を気遣うような佳蘭の言葉と視線。たったそれだけ。それだけのことで頭に血が上った。

「あり得ない。あり得ねぇンだよ! アイツが、鉄平が麻薬に手を出すなんて。そんなことゼッテーありえねぇ‼」

 思わず立ち上がり、佳蘭に向かって声を荒げた。わかってる。佳蘭に当たっても意味がないし、八つ当たり以下だ。それぐらい俺自身が限界だったということに他ならない。

 貫く様にじっと見つめてくる佳蘭の青い瞳。その青に気圧され、一瞬だけ落ち着きを取り戻す。そのまま萎れるように椅子に座り込んだ

「気持ちはわかるわ。とはいえ落ち着きなさい」

「わかってる、わかってるよ」

「なら桃生さんとの会話を教えなさい。覚えてる限りでいいから彼女の言葉そのままで。いい? そのままよ」

「ウルセーなぁ! わかってるよ。そのまま伝えりゃいいんだな!」

「そう。わたしが知りたいのは事実よ。今の高戸は平静を失っている。今のあなたというフィルターを通された情報は確実に歪んでいるわ。それを出来る限り排除したいの」

 その言葉に思わず口を噤む。確かに今の俺はマトモじゃない。それは自覚出来ている。気持ちを切り替えるように大きく吐き出した。

「わかった。出来るかぎり正確に伝えるぜ」

 そして俺は昼間の桃生とのファミレスでの一幕を佳蘭に話す。どこまで正確だったのかは定かじゃない。それでも出来る限り再現して伝えた。

「なるほど。わざわざファミレスにまで呼び出して、更に誰にも見られないようにメッセージを使って伝えてくる辺り信憑性は高いわね」

「ああ。おそらく桃生の言葉に嘘はない。それはそれとして、信じられるかよ。鉄平が麻薬をやってたなんてよ」

 考え込む様に口元に手を当てていた佳蘭がすっと俺へと視線を向けてくる。なにか言いたいことでもあるのだろうか。

「やっぱり。仕方ないことだけど、認知の歪みが起こっているわ。桃生さんが言っていたのは麻薬に関わっているということだけ。一言も有馬さんが使っているとは言っていないわ」

「いや、それ以外にねえだろ。麻薬と関わることなんて」

「もう一つあるじゃない。売人という可能性が」

「そっちの方がありえねぇ!」

 麻薬ってやつは簡単に誰かの人生を歪めちまう代物だ。一時の快楽を代償に終わらない依存症が待ち受けている。そして重度の中毒患者は日常生活すら送れない。少し前に海外の麻薬中毒がゾンビのようにふらふらと街中を彷徨っている動画を見たことがあった。そんな他人を破滅させることが出来る代物を、鉄平が売りさばくなんて絶対にあり得ねぇ。

「実はわたしの方も大きな進展があったの。それを考慮に入れると、むしろ売人の方が可能性高そうなのよね」

「なにが、あったんだよ」

「竹中さんから面白い話を聞けたの。オカルトサークルの宝の話。その宝を使ったものは不幸に見舞われるという」

「なあ。その宝ってまさか」

「わたしも怪しいと思ってもう少し詳しく聞いてみたの。竹中さんが言うにはその宝の正体は本なんじゃないかってことだったわ。使う、つまり読んでしまった者は自殺という不幸に見舞われる。十中八九その正体は「月光」という呪われた本で間違いないわ」

 一瞬麻薬のことが頭から吹っ飛び、佳蘭の方へと身を乗り出す。俺たちの当初の目的である鉄平がどうやって「月光」を手に入れたのか、それに王手がかかったも同然の情報だった。

「で、誰が、いやもしくはどこにあったんだよ「月光」は」

「サークルメンバーから一人秘密の守り人が選ばれる。その秘密の守り人が宝を守り次代に引き継ぐ。当代の秘密の守り人はわからないそうよ」

「つまりその秘密の守り人とやらが「月光」を持っていたと」

「竹中さんの話を聞く限りそういうことになるわね」

「なるほどな」

 つまりあのサークルメンバー五人の内誰か一人が秘密の守り人で、鉄平に「月光」を渡した犯人ということになる。オカルトサークル内部に絞った俺たちの方針は間違っていなかったということだ。

 五人の内、二人は確実に除外していい。佳蘭に秘密の守り人のことを漏らした竹中と、鉄平が麻薬に関わっていることを教えてくれた桃生の二人だ。仮にこいつらが秘密の守り人だとすると、取った行動が色々とおかしい。あくまで当事者じゃないからこそ、竹中は世間話の一つとして佳蘭に秘密の守り人のこと漏らしたに違いない。そうじゃなければただただ自分で暴露しただけだ。桃生に関してもそうだ。もしあいつが秘密の守り人なら鉄平の自殺の原因がわからないはずがない。

「もしこの秘密の守り人と麻薬が関係していた場合、有馬さんが売人だったと考えた方が無理がないわ」

 その言葉に確かにと納得こそしたが、それを言葉にすることはない。頭じゃわかっているが心がそれを拒否していた。

「とはいえわたしたちはまだ全ての謎を解いたわけじゃない。物語は最後まで読まなければ結末がわからないように、この先どんな真相が待ち受けているのかはわからないわ」

「わかっている」

 ここまでのやりとりで少しだけ、落ち着きを取り戻してきた。佳蘭の言う通りまだ答えは出ていない。鉄平が麻薬をやっていたのかはたまた売人だったのか。あくまで関わっているだけだから、ただ巻き込まれただけという希望的可能性もある。秘密の守り人もそうだ。この二つが関係しているのかすらわからない。

「報酬は貰っていないとはいえ、今回の調査はわたしにとっては仕事。最後までやり通すわ。秘密の守り人、わたしは長瀬くんだと思う。小説を書いてるみたいだから「月光」を引き継いでいてもおかしくないわ。明日は彼を中心に調べるつもりよ」

 長瀬。ああ、あの神経質そうな奴か。どんなもの書いてるかは知らんが、確かに小説書いてるような奴なら「月光」も大事にするだろう。佳蘭の言う通り秘密の守り人として選ばれていても不思議じゃない。ただどうもしっくりと来ない。言葉に出来ない、ざらつきのようなものがどうしても付き纏う。

 気が付けばじっと俺を見つめる佳蘭の青い視線。真剣なそれに固唾を飲み、俺の身体は自然と強張っていた。

「わたしも失念していたけどね。高戸の話を聞いて思い知ったわ。人が死んでいる以上、これは一つの事件であり、相応の闇が潜んでいるってことに。おそらくここから先は、見たくないものや知りたくないことが明らかになるかもしれない。高戸和也さん、そのことは覚悟してちょうだい」

「——ああ」

 そうとしか、答えられなかった。わかっている。佳蘭の奴がわざわざ俺をフルネームで呼んだ意図も理解はしている。この調査を始めた時の俺はそんな覚悟なんてなくて、言っちまえばそれは今だって同じだ。だから動揺し、これだけ荒れている。佳蘭の言葉にもあんな雑な返答しか出来ない。

 これから先、有馬鉄平という一人の人間の死について、更に踏み込むことになる。その結果がどんなものだろうと、俺は知らなければならない義務がある。だが理性と感情は別なように、わかってはいるがその覚悟が定まらない。もどかしさに唇を噛み締める。一歩踏み込む勇気が、今は欲しかった。


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