獄宙に囚われる 1
鉄平との思い出なんて、実はそう多くはない。同じクラスだった時もあったが、俺は教室内で騒がしくしている方の人間だったし、鉄平は静かに本を読んでいる方が好きなタイプだった。小学校でも中学でも学校じゃロクに話しもしなかった。それこそ漫画か小説読みたくなったら呼び出して、読ませたいものがありゃ呼び出される。そんな関係で、その日もそうだった。
中学の夏休み、それも夜の十時も過ぎたような夜更けだった。俺は公園のベンチでスマホを弄っている。元々昼間でもあまり人がいない小さな公園だ。こんな時間なら猶更人は寄り着かない。中坊同士の待ち合わせ場所としちゃこれ以上ない。
そろそろスマホも飽きてきた。一向に来る気配のない待ち人に苛立ち貧乏揺すりを始める。いい加減遅いと電話かけようと思っていた時だった。
ざりりと地面を靴で踏みしめる音。視線を向けると俺の待ち人、有馬鉄平が不機嫌そうな顔でこっちに歩いて来ていた。
「おせーぞ」
「何時だと思ってるよ。こんな時間に呼び出すなっての」
ドカリと鉄平にしては乱暴な動きで俺の隣に座る。この距離になってようやく気が付いたが、少し髪が濡れている。大方風呂から上がってすぐに来たんだろう。流石の俺もちょいと悪いなとは思う。まあ思うだけだが。
「で、例のブツは、持ってきたんだろうな?」
「持ってきたよ、ほら」
差し出された紙袋を受け取り、俺も持ってきていた紙袋を鉄平に返す。鉄平の紙袋も俺の紙袋も中身は漫画本。まあ俺たちの関係ならこれ以外ない。
いつも通り鉄平からのこれ読んでみろ。渡されたのはラブコメ漫画だった。あまり好きなジャンルじゃないから正直興味が薄かった。しばらく放置していて、暇すぎて気まぐれに読み始めたのが数時間前。面白さに止まらなくなって、早く続きを読ませろと鉄平に連絡して今に至る。
「まああの展開じゃ、続き気になってしょうがないよな。わかるわかる」
「まさかお前、わざとあの巻で止めたのか?」
「悪かったって。だからこうしてちょっと無理して来てるじゃん」
悪戯が成功したようにケラケラ笑う鉄平に、思わずイラっとくる。コイツの手の平でコロコロされているようで癪に障るが、実のところそう悪い気はしていなかった。ただそれを鉄平に悟られるのは嫌で、誤魔化すように最近になって吸い始めた煙草を取り出し一本咥える。
「……。一応言う。やめなそれ」
「うるへー」
本当に嫌そうな、しかめっ面での鉄平の忠告。それを俺は笑って軽く流して火を付ける。オトナになった今になって思えば、この忠告は鉄平の俺に対する義理や友情といったものだったのだろう。けれども当時の俺はそんなこと気が付きもしなかった。
「それにしてもお前って珍しいよな」
「なにが?」
「俺が煙草吸ってるのセンコーにチクるわけでもなけりゃ、俺から一本貰って自分も吸うわけでもねえ。普通どっちかだろ?」
「別に先生に言ったところでおれにメリットなんてないだろ。それに煙草なんて大人になったら普通に吸えるしね」
鉄平のあまりに至極真っ当な言葉。当時の思春期反抗期真っ盛りの俺からすればガチで面白くない。とはいえその不満を口にするのはダサい気がして、代わりに煙を吐き出した。
「まあそれに多分おれじゃ吸ったの隠し通せないから。やったらバレるなバレたら責任取れ。煙草吸っての停学反省文コンボなんかごめんだよ」
「なんだよその、やったらバレるなって。随分面白え感じの言葉じゃねぇか」
「まあおれのモットーみたいなものかな」
「へぇ……」
やっぱ鉄平の奴は面白い。俺らくらいの年でモットーなんて持ってるやついねぇぞ。さっきまでの不満はどこへやら。ついでに俺もと、考えてみることにした。
「……。だったら俺はやるならバレるな絶対に、だな」
「なんだよそれ。完全犯罪じゃん」
そう言って鉄平は楽しそうに笑う。即興で考えたにしてはよく出来たと思っている俺のモットー。その本質を一発で言い当てられ、思わず口元が綻ぶ。
勿論俺は煙草を教師や親から隠し通す気満々だ。服用の消臭スプレーを小さな容器に移し替えてポケットに忍ばせてある。オマケにガムもあるから匂い対策は完璧だ。絶対にバレやしない。悪さってのはいかにバレないように工夫するのかってのも面白さの一つだ。
「嫌だよ。完全犯罪失敗して新聞で高戸の顔見るの」
「ばーか。俺がそんなヘマするかよ。それにバレないって確実に言えなきゃやらないしな」
「そうだね。高戸はそういう奴だよね」
鉄平は愉快そうにカラカラ笑っている。何がそんなに面白いのかわからんが、こっちも妙に楽しくなってくる。お互い冗談だとわかっている上での言葉による小競り合い。フッと鉄平は真剣な眼差しに変わる。
「まあ冗談はさておき高戸は新聞に載るようなことはしないだろうけどね」
「なんでそんなこと言えるんだよ」
「ほら、高戸ってクズじゃん? 自分が続き読みたいからっておれをこんな時間に呼び出すし、煙草まで吸ってる。まごうことなきクズだよ。だけどおれは高戸のプライドの高さだけは信用している。だからお前は人の道から外れるようなダサいことはしないし、出来ないよ」
顔が赤くなってる気がする。こういう、人が恥ずかしくなっちまうようなことをさらりと言ってのけるのが鉄平という奴だった。短くなった煙草を踏んで消火し、照れ隠しのヘッドロックをかます。
今の今まで忘れていた、なんでもない鉄平との日常の記憶。
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