呪いと魔女 10
*
ICカードをタッチして駅の改札を出る。休日の昼間なだけあって嫌になるほど人で溢れ返っていた。この人込みの中からたった一人の人間を探すことを考えると流石にげんなりする。この前の喫茶店で連絡先を交換したことを思い出し佳蘭へ電話をかけた。
「今改札通ったところだ。どこにいる?」
「そうね。そのまま真っ直ぐ歩いてくれればいいわ」
いやどこだよ、なんて心の中でツッコミを入れながら言われた通り進んで行く。面倒だから通話は切らない。そんな俺の懸念は一瞬で杞憂に終わった。スマホを片耳に当て柱に寄り掛かる久留主佳蘭は、映画のようにサマになっていた。
「時間ギリギリね」
「うるせーよ。間に合ったからいいだろ別に」
「そうね。わたしもこれ以上は言わないわ」
べーつに遅刻したわけじゃないんだ。ぐだぐだうるせーよ。思わず半眼で佳蘭を睨みつけるも、澄ました顔でまるで堪えた様子はない。
「一応聞くけれどもアレ、忘れてないわよね?」
「忘れてねーよ。ホラ」
目的すら知らされていない中、唯一佳蘭からの指示。ポケットの中から趣味の悪いキーホルダーを取り出して見せる。かつて板橋が持っていたこれを持って来いということだけ。
「で、今日は一体何をするんだ? いい加減教えてくれたっていいだろ」
「全てが終わった時に話すわ。取り敢えず海に行きましょう」
「は? 海、だぁ?」
海水浴には季節的にまだ早い。それにここから海まで行けないことはないが、あまりにも唐突すぎて意味が分からん。頭痛がしてきて思わず頭を抱えた。
「なんでそんな所行くんだよ。もっと言うならどうやって行くつもりだ? タクシーでも使うか?」
「馬鹿ね。そんなのタクシー代がいくらかかると思っているの? バスでいいじゃないバスで」
「さいで」
ここからバスで海まで行こうとしたら、どれだけ時間かかると思ってんだよ、馬鹿じゃねぇの。思わず内心で悪態をつく。文句こそ出るが、それでも佳蘭の言うことに従うことにした。それだけの信頼がコイツにはある。
「さっさと行こうぜ。時間がもったいねえ」
「そうね、行きましょう」
確かバスターミナルへは北口の方向だったはず。突然のことで時刻表なんぞ調べてないが、まあ適当でいいだろう。佳蘭は足許のピクニックバスケットを持つと俺と一緒に歩き出した。
駅からバスターミナルまではものの数分で着いたがそこからが面倒だった。なんせ乗り場が十八番まである。どれが海へ行くバス乗り場なのか、調べるのに大分手間取った。ようやく七番乗り場だとわかり、急いで向かうも着いた時には既にバスは出発していた。
「あーチクショウ。ツイてねぇな!」
「そりゃあ時刻表調べてもいないし、あれだけ手間取れば当然よ。次のバスが来るまで二十分くらいでしょ? そんなのすぐだわ」
言うが早いか佳蘭は備え付けのベンチに座ると文庫本を取り出し静かに読み始める。その様子があまりにも堂々としすぎてて毒気が抜かれた。肩を落とし溜息一つ吐くと佳蘭の隣にドカリと座り込む。暇潰しの鉄板スマホを取り出し、そういやログインボーナス受け取ってなかったとソシャゲを開く。ソシャゲのいい所は何も考えない脳死状態で出来ることだ。
ふわぁと思わずクソデカい欠伸が出た。少しでも気を抜くと睡魔の奴が襲い掛かってくる。ソシャゲの脳死プレイなんてやってりゃ猶更だ。
頭痛とまではいかないものの妙に頭が重い。嫌になるほどハッキリした夢を見た後は大体こうだ。眠っているのに意識が残っていてスッキリしない。おかげで一発目のスマホのアラームを突破。念のための最終防衛ラインで起きられたから良かったものの、佳蘭との待ち合わせにはギリギリ。おまけに睡魔を抑えるため変に気を張っているせいで、今日の俺は沸点が低い。
また欠伸が出た。まだかよ長いな、なんて思っていると俺たちが待っている七番乗り場にバスが停まった。スマホをポケットに仕舞い立ち上がる。
「待ちなさい。それじゃないわよ」
「は?」
「よく見なさい。わたしたちの乗るバスはこの次よ」
落ち着いてしっかり見ると、確かに俺たちの乗らなきゃいけないバスと路線番号が違う。目の前で停まってるバスに乗っても海に行くことは出来ない。佳蘭が声をかけなかったらこのバスに乗って変な場所に着いてたかもしれない。同じ乗り場で行先が違うバスが来るの罠だろコレ。
「すまん助かった」
「気にしなくていいわよ」
礼を言うと佳蘭は本から目を外すことなく答えた。フーッと大きく息を吐き出すとドカリとベンチに座り直す。少しだけ眠気が飛んだ。流石にスマホを弄る気にはならない。腕を組み大人しく待つことにした。
流石に駅ほどじゃないにしろ休日のバスロータリーはそれなりに人がいる。何人もの人が俺たちの前を通り過ぎ、幾台ものバスが走り抜けていった。別に見ていて楽しいものじゃないが、不快というわけじゃない。淡々と眺め続けていると、ようやく一台のバスが俺たちの前に停まった。
「来たわね。それじゃあいきましょうか」
「ああ」
流石に二回目はない。路線番号も確認した。時間も時刻表ぴったり。間違いなくこのバスだ。本を仕舞いピクニックバスケットを持った佳蘭と一緒に乗り込む。しばらくして出発した。
海開きのシーズンには若干早い。車内は俺たちしかいない閑散としたものだった。適当に後ろの方の二人席に並んで座った。俺が通路側で佳蘭が窓側。
流石にバスではないが、大学のツレと海へは何度か行ったことがある。ゆったりバスで揺られることを考えればざっと一時間半から二時間の
「悪い眠いわ。ちと仮眠取るから着く頃起こしてくれ」
「いいわよ。おやすみなさい」
ポケットからウォークマンを取り出しプレイリストを漁る。適当に落ち着いた曲ばかりのリストをピックした。腕を組み目を瞑る。イヤホンから流れるゆったりとしたバラードと、心地よいバスの揺れが眠りの世界へと誘う。一曲終わるより先に俺の意識は暗闇に落ちていった。
何もない暗闇の空間に、俺とかなでが二人きりで佇む。あの頃と違って茶色に染め上げられた髪は、あの頃と同じでふわふわしている。熱に浮かされたように潤んだ瞳と赤く染まった頬。誘うようにかなでは俺の腰に腕を回す。
「……好き。カズくん好き」
服越しに感じる熱い吐息。かなでという存在が地肌に染み込む様な、甘く痺れる感覚。肉欲的な情動に突き動かされ、かなでを抱きしめそうになるも、僅かに残った理性がそれを拒否する。
「……。ダメだろ。それはダメだ」
かなでの肩をぐっと掴み引き離す。このまま流されるようにかなでを抱いたら絶対に後悔する。あんな苦い思いはもう嫌だ。
「どうして? どうしてカズくん。ねえどうしてカズくん。どうしてあたしを拒絶するの? ねえどうして? どうしてどうしてどうしてどうして……」
かなでは壊れたように「どうして」を繰り返す。俺の知っているアイツからは考えられない異様な雰囲気。背筋に冷たいものが走る。まるで縋るように俺の左手首を掴まれた。思わずかなでの顔を見下ろし、気が付いた。
「誰だテメェ」
かなでじゃない。かなでじゃなくてよく似た誰か。いつからだ? 確かにさっきまではかなでだったはず。いや、本当にそうか? まさか俺がそう思っていただけで最初からかなでじゃなかった? グルグルと爆速で絡まり続ける思考。同時に恐怖という感情が俺を支配する。
左手首を掴まれている。振りほどこうとするも力が強すぎる。無理だ。引き剝がせない。クソ! なんだこれチクショウ。
最早かなでとは似ても似つかない見知らぬ女が迫る。光の消えた黒すぎる両目とニタリと歪む口。全身の毛穴が開くような強烈な怖気。逃げようと藻掻くも掴まれた左手が万力のように締め上げてきて振りほどけない。クソ! 来るな! 来るんじゃねぇ! チクショウ! やめろ! やめてくれ‼
頭にゴツンという衝撃で目が覚めた。いきなりで現実に理解が追い付かない。あの女はどこいった⁉ つーかここどこだ? 何してたんだっけ?
周囲を見回し、ここが海へ向かうバスの中だということを理解し、大きく溜息をついた。なんだ夢か。いや、よく考えりゃかなでがあんなよくわからない女に変わったりとか夢意外ありえない。それにしても昨夜からいやにかなでが夢に出てきやがる。なんでだ?
「大分うなされてたから、まだ早いけど起こしたわ」
「いや、悪いなスマン」
膝の上のピクニックバスケットと閉じた文庫本。おそらくあの文庫本で頭を殴られたのだろう。もうちょい優しく起こせと思ったが、まあそれは口にしないでおく。
「随分と殊勝ね。大丈夫?」
「ウルセェよ。ちと昨夜から嫌な夢を見続けててな」
誰もいないことをいいことに前の席から顔を出すように寄り掛かる。バスの外を見ることが出来るだけの余裕が出てきた。
穏やかな午前の田舎町。適度に車通りがあるもののせわしないわけじゃない。少しだけ時間がゆっくり進んでいるような気すらしてくる。まだ海は見えてこない。ざっと残り十五分くらいだろうか。確かに起こすには少しばかり早い。
ふと視線を感じ隣を見ると、佳蘭が俺を見つめていた。すっと目を細め、どこか非難するような目つき。俺何かやったか?
「高戸って意外に遊んでいるのね」
「は?」
「こっちの話。少し想定外だった……違うわね。わたしの想定が甘かっただけ。気にしないでちょうだい」
いやいや。自分でいうのもなんだが、こちとら不良大学生だぞ。んなもん遊んでるに決まってるじゃねぇか。
「今あなたはかなり危険な状態よ。けど安心してちょうだい。わたしがいる以上安全よ。せいぜいちょっと怖い思いをするくらいね」
「いや、危険な状態って意味わからねぇんだが」
「わからなくて当然よ。まだ全てを話してないんだから。ただ全部意味のあることよ。それだけは約束する」
「わかってるよ。全部必要なことなんだろ」
確かに何もかもがわからない。俺が今どういった状態なのか。何故今海に向かっているのか。それでも俺の直観が、これは俺が経験しなけれなばならないことだと告げていた。少なくとも、俺がこの先も『月光』という本を持ち続けるためには。
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