呪いと魔女 11

 次の目的地を伝える車内アナウンス。佳蘭は静かにボタンを押した。「次、停まります」どうやら適当に佳蘭と話している間に結構な時間が経っていたらしい。いつだって待つのは長くて行動すれば短い。しばらく経って到着し、俺たちはバスを降りた。

 バス停からゆっくり歩道を行き交差点へ。この信号を渡れば海水浴場、つまり俺たちの目的地である海だ。赤信号で佳蘭と並んで待つ。

 ふわぁとデカい欠伸が出た。車通りの多い大通り。行き交う車の喧騒が遠のいていく。視界がぼやける。確かに見えているのに霞んでなにもわからない。信号が青に変わった。後ろにいる女がトンと背中を押す。ああ、そうだ行かないと。つんのめるように一歩踏み出し、そうして俺は——。

「ぐえっ」

 服の襟首を掴まれ、蛙の潰れたような声が出た。

「よく見なさい! まだ赤よ」

 佳蘭の言葉で霞んでいた視界に色が戻る。十数メートル先の歩行者用信号機は確かにまだ赤で、車通りは激しい。あのまま進んでいたらと思うとゾッとする。

「悪い。マジ助かった」

「言ったでしょう。わたしがいる以上安全よ」

 今更になって冷や汗が出てきた。深呼吸するように大きく息を吐き出す。なんで俺は赤信号と青信号を見間違えるなんてバカやらかしたんだ? いや、待て待て。それよりも確かに背中を押された。あれが一歩踏み出すきっかけになったのは事実。

 思わず後ろを振り向くも誰もいない。あぶねぇだろ! と怒鳴り散らかしてやろうと思っていただけに肩透かしを食らう。

「なぁ。さっきまで俺の後ろに誰かいなかったか?」

「いないわよ。最初からわたし達だけ。それより信号変わったわ。行きましょう」

 言うが早いかスタスタと佳蘭は颯爽と進み始める。慌てて俺も置いて行かれないよう歩き始めた。

「いやいや絶対誰かいたぞ。あの時間違いなく俺は後ろにいる女に背中押されたし」

「いないわ。気のせいよ」

 流石に腑に落ちない。確かにあの時俺は信号を見間違えた。だが一歩踏み出すきっかけになったのは、後ろにいた女からの一押しだった。だからこそあの時後ろに誰もいなかったはありえない。信号を渡り終える。一歩先を行く佳蘭が唐突に立ち止まり振り返った。

「そもそも高戸はずっと前を向いていたじゃない。後ろに誰かいたとして、どうしてそれが女だってわかったの?」

 佳蘭の言葉に思わず固まる。全く頭になかったが、言われてみれば確かにそうだ。なんでいるかどうかすらわからない人間を女だと思ったのか。

 だだっ広いだけの芝生の公園。ここを突っ切れば海水浴場に着く。散歩している奴すらもいない寂しい公園を無言で歩く。

 流石にピースが揃ってきた。わからないなりに見えてくるものがある。海まであと少し。辿り着けば全てがわかると思うが、それでも思わず考え込んでしまう。

 しゃりりと靴が砂浜に沈み込む感覚。穏やかな潮風がさわりと頬に触れる。波の音が静かに響いていた。波打ち際に俺と佳蘭は並んで立つ。

「で、海に着いたけどどうすんだ?」

「あのキーホルダー出せる?」

 ああやっぱりな。静かに納得しつつポケットからあの趣味の悪いキーホルダーを取り出す。なんとなくこれが今俺に起こっている現象の原因だってことは薄々気づいていた。

「それを思いっきり海に投げ捨てなさい」

 気づいていたが、流石にこの言葉は想定外だった。元を正せば板橋とかいうオッサンのもの。別に愛着あるわけでもないし、何より俺の趣味じゃない。野球のピッチャーのように振りかぶって、けれども投げることが出来ず右手を下ろした。

「大丈夫。高戸はそれを捨てれるわ」

 キーホルダーを握る右手にそっと添えられた左手。驚き思わず佳蘭の顔を見つめる。吸い込まれそうな青いまなこ。佳蘭の持つ魔女の瞳。

 肩でするようにフゥーッと大きく息を吐き出した。そうしてもう一度振りかぶると、海に向かってキーホルダーをブン投げる。金属製のキーホルダーは勢いよく空を飛び、ポチャンと遠くの海に落ちた。

「お疲れ様。これでようやく全てを話すことが出来るわ」

「で、俺に何が起こってんだよ」

「高戸が見ていた悪夢も、ここに来るまでに起こった不運も。全て呪いによるものよ」

 どこか頭の片隅にあったのだろう。呪いという佳蘭の言葉がスッと俺の中に入って来た。呪いという言葉なんて小学生同士がふざけて言うくらいのもの。可能性の一つとして頭にはあったが、佳蘭が言うまで納得出来なかった。

「あのキーホルダーが呪いのアイテムだった。で、それを捨てたことで、俺にかけられた呪いは解かれた、でいいのか?」

「これ以上悪くなることはないわ。ただ影響は残っている。それを今から取り除くのよ」

「なにすんだ? 板橋にやったみたいに変な呪文でも唱えるのか?」

 俺の言葉に佳蘭はおかしそうにクスリと笑う。軽く馬鹿にされたようで、少しだけイラっときた。

「ああ、あの時のあれね。あんなものテキトーよテキトー。聖書とか讃美歌から、それっぽい感じの選んで口にしただけ。意味なんてないわ」

「は? マジで意味わかんねぇ」

「わたしは魔女よ。僧侶じゃあるまいし、聖書の言葉で呪いを解くなんて出来ないわ。それに呪文を唱えて魔法を使うなんて物語の世界だけよ」

 そういえば前に佳蘭が同じようなこと言っていたな。ファンタジックな魔法は使えないと。ただそれが事実だとして、あの時板橋に向かって呪文を唱えた時、俺は確かに世界が割れるような音を聞いた。あれは一体なんだったのだろうか。

「高戸があの時何を感じたのかはわからない。けれどもそれは気のせいよ。順を追って高戸にもわかるよう全てを話すわ。けどこんな場所じゃなくて、ね」

 ピクニックバスケットを軽く上げ、ウィンクしながら佳蘭は楽しそうに笑う。時間もそろそろ正午に差し掛かる頃だ。昼飯にちょうどいいだろう。

 朝会った時から思っていたが、突っ込むことはなかったピクニックバスケット。おそらく佳蘭は最初からこの展開を考えていたのだろう。どことなく掌で転がされてる感が凄いが、まあそこは飲み込むことにする。少し釈然としないが、それでもコイツが作った昼飯の方が気になる。颯爽と歩き出した佳蘭に溜息を吐くと置いて行かれないよう歩き出した

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