呪いと魔女 8

 田畑と加藤が帰り、静かになった自室で煙草を吹かす。いつもだったら徹マンと洒落込んでいるところだが、明日の朝に予定があると日付が変わる前に帰らせた。

 勝負の余韻に浸るように紫煙を吐き出す。近年稀にみる大敗。アイツらと結構な数麻雀を打ってきたが、過去最悪の負け方だった。

 短くなった煙草を灰皿に押し付けながら、テーブルの上に置かれた趣味の悪いキーホルダーに視線を向ける。二人を帰らせた用事ってのはコイツのことだ。明日の朝十時にコイツを持って、佳蘭と駅前で落ち合う。例の如く理由は教えてくれなかった。

 そろそろ寝るかとベッドへ向かおうとした時だった。スマホの着信音が、静かになった部屋の中で鳴り響く。誰だよこんな時間に。適当な奴だったらそのまま切ってやる。うっとおし気にスマホの画面を見て、溜息一つ電話に出た。

「久しぶりだな、かなで」

「カズくんも久しぶり」

「ちょっと待ってろ。今イヤホン用意すっから」

 無造作に置かれた小さな黒いケースから、ワイヤレスイヤホンを取り出し耳に付ける。ピロンと電子音と共に接続された。

「悪い。もう大丈夫」

「うん」

 多分かなでの奴、電話の向こうでにへらっと笑っているだろう。いつもの小動物みたいな笑顔で。思わずズキリと胸の奥が痛む。

「また彼氏の話か?」

「そうそう! 聞いてよカズくん。アイツってばヒドいんだよ」

 こんな時間にかなでから電話がかかってくる時は大体彼氏の愚痴だ。構ってくれないやら、贈られたプレゼントが気に食わないとかの不満が出るわ出るわ。その一つ一つに優しく応えていく。

「あーあ。カズくんならこんなことないのに……」

「バーカ。かなでのこと一番想ってるのはアイツだろ」

 寂しそうに悲しそうに、かなでは微笑む。電話口で互いの表情なんて見えやしない。だが俺にはかなでがどんな顔をしているのかわかる。わかってしまう。

「うん……。遅くまでゴメンね。おやすみカズくん。またね」

「おやすみ。じゃあな」

 電話を切る。あえて俺は「また」という言葉を使わなかった。掻き毟りたくなる様な胸の痛み。堪らなくなって煙草に火を付けた。感情と一緒に紫煙を吐き出す。渦を巻く様に天井まで伸びて、溶けるように消えていった。

 日付が変わり、大分過ぎた。一瞬明日起きられるか不安になるが、まあスマホでアラームかけりゃ問題ないだろと思い直す。休みの日にアラームかけたくないから、早めに寝るつもりだったが仕方ない。かなでだけは特別だ。アイツに頼られたら、俺は出来る限りそれに応えなければならない。俺高戸和也のクソガキ時代の最後にして最大のやらかし。本気で惚れた相手がいるにも関わらず、あの時のクソガキだった俺はかなでと付き合ってしまった。罪と言うには軽すぎて、けれども俺が償わなければならないやらかし。

 あの時のことを思い出す。放課後、俺たちしかいない中学の校舎裏。恥ずかしそうに頬を赤く染め、かなでは意を決して口を開く。

『好きです! 付き合ってください!』

『……。いいぜ。付き合うか、俺たち」

 しばしの沈黙。ちょっと考えて俺はオーケーを出した。それに安心したのか、かなでは目尻に涙を滲ませながら嬉しそうに微笑む。

 かなでとなんで付き合うことにしたのか。別に大した理由なんてない。同じクラスでどんなやつか大体わかってるし、なによりそこそこ可愛かった。ガチでその程度の理由しかない。

 小学生といえば殆どの人が子供というイメージを持つだろう。なら中学生は? 確かにまだ子供。子供だが大人の世界がどういったものかわかり始める時期だ。

 無限の可能性と知らないからこそ生まれる自分への絶対感。勘違いから生まれるその感覚は、エゲつない残虐性に繋がっていく。そして思春期特有の、エロに対する好奇心と欲望。その全てをかなでにぶつけた。互いの家で。学校で。公園で。電車で。クソガキじみた嗜虐性とオトナの欲望は、かなでを歪めた。歪めてしまった。

 フゥーッと仰ぎ最後の一口を楽しむ。そのまま短くなった煙草を灰皿へと押し付けた。そして欠伸と共にゆっくりとベッドへ向かうと横になる。

 別に女を自分色に染め上げたなんざ大したことじゃない。ただそれは本気で惚れた相手にするべきだ。クソガキが、それの意味することもわからず調子に乗ってするべきじゃない。なんでクソガキだった俺がこんな風に思うようになったのか。きっかけは鉄平から借りた一冊の本だった。

『これ、高戸に貸すよ』

 いつもどおり読んで、感動のあまり涙を流す羽目になった。それは恋に狂った一人の男の物語。女の愛を得るために男は全てを捧げる。金も仕事も地位も名誉も。そうして男は女からの愛を得た。ただそれは女からすれば体のいい遊び相手に向ける愛情でしかなかった。結局男は捨てられ、失意のうちにこの世を去る。成功が約束されていた男が、全てを投げ打って手にしたのは一時だけの甘い逢瀬と、男の墓の前で女が流した一粒の涙だけだった。

 読了後俺は男に同情して涙を流し、ふとかなでの顔が頭に浮かんだ。自然消滅に近い形で終わったアイツとの関係。考えてみればこの本の男女逆にしたようなもんじゃね?

 あの時の急速に思考が冷えていく感覚は、忘れることはないだろう。物語の登場人物に向けた感情が、全部自身に返ってくる。同時に自分がどれだけ幼いクソガキで、やらかしてしまったのかを理解した。

 スマホに充電ケーブルを挿し、部屋の電気を消す。ゆっくりと意識が落ちていく感覚。最後に考えるのはかなでのこと。アイツが俺に連絡してくるのは、頼りたいからだ。一番に、一番にかなでのことを考えてくれる男。本当に頼るべき相手がいれば俺に連絡することはない。それまでは、俺がアイツの面倒をみていく。いつかかなでから俺という存在が忘れ去られることを願いながら……。

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