Moon Light 10

 佳蘭が語ったページに見えないインクで描かれた何か。『月光』という本を巡る怪異の、根幹を成す要素の一つ。おそらくこいつが案内人となって、没入感という言葉だけでは済まない異界とも言えるところまで導かれる。そして…。

「異界へと辿り着いた以上、現実世界へと戻れない…」

「怪異を打ち破らない限りね。それにしても意外。高戸って見た目のわりに頭いいのね」

「ケッ。勉強はできねーよ。ただこいつの出来は悪くねーのさ」

 そう言って人差し指で側頭部をトントンと叩く。実際頭の回転は中々のモンだと思っている。それに中学の頃なんか鉄平の影響で勉強にのめり込んだ時期もある。もっともクソ担任が願書出し忘れたせいで、高校受験失敗してからは萎えて、それから殆ど勉強なんてしなくなったがな。なんて過去の栄光に縋っても虚しいだけだ。自嘲気味に口元を歪めると、佳蘭はそんな俺に気がついていないのかググっと伸びをした。

「いい気分転換になったわ。お陰でもう少し読み進められそう」

「なあ。本当にそれしか手がないのか? 確か内容を知ればいいだけだろ。例えば俺とお前が交互に読んで、その内容を教え合うとかでもいいんじゃないのか」

「気持ちはありがたいけど、高戸が読むのだけは遠慮願いたいわ。単純な話よ。私が暴走しても高戸は止められる。けど逆は無理でしょう?」

「確かにな」

 思わず納得してしまった。昔バカやってた奴のお約束として、俺もそれなりの場数を踏んだことがある。それに高校の頃は剣道部でバリバリやっていた。あの時は不意打ちでマウントポジション取られたのが不味かっただけ。ああなるとわかっていたら、流石にあの時みたいな無様なことにはならない。今だったら暴走した佳蘭を取り押さえれる自信しかない。

 ちらりと佳蘭の腕へと視線を向ける。白くすっきりとした細腕。これじゃあ無理だ。俺が暴走したら佳蘭じゃ止められない。なんだったら殺しちまうことだって。

「もしこの本を安全に読むんだったら簡単よ。ページと文字を切り離せばいいだけ。けどそんなこと不可能だわ。紙のページを傷つけず文字だけ抜き取るなんてことが出来たら、それこそ魔法よ魔法よ」

「ページから文字だけを抜き出す…?」

 やれやれと言わんがばかりに首を振る佳蘭を尻目に、思わず考え込む。何かが引っかかるのだ。確かに文字だけ抜き取るなんて、そんなこと…。

「あ」

 不意に閃いた答え。思わず声が漏れ出た。急いで部室を見回し、目当ての物を見つけ、安心すると同時に笑いが漏れ出た。

「な、なによいきなり。気でも狂った?」

「いや、魔法ってあったんだなって思ってな」

「は? 本当に大丈夫?」

「スキャナーだよスキャナー。それ使えばページから文字だけを抜き出せるだろ」

 俺の言葉にハッとした表情を浮かべる佳蘭に、思わずにやける。さっき俺が探したのが、パソコンの周辺機器の一つプリンター。最近のプリンターは、俺のガキの頃とは考えられない程、安価で高性能だ。昔はそれこそプリント機能しかなかったのに、今じゃコピーやスキャナーまで搭載されてる。そのくせ数万円から、安いと一万円を切るくらいのお値段で買えたりするから技術の進歩ってやつは恐ろしい。

 数年前にスキャナーで取り込んだ漫画の違法アップロードが問題になったことがある。結果として法規制が強化され、違法サイトは軒並み潰された。一人の漫画好きとして、この問題を、結果も含めて追っていたからよく覚えている。だからこそ導くことが出来たアンサー。

「なるほど。確かにそれならページと文字とを切り離せる。何万画素か詳しいことはわからない。けれども確実に言えるのは、パソコンのモニターに見えないインクで描かれた何かは映らない。高戸の言った通りあったわね、魔法」

 にやりと笑う佳蘭。その顔からはさっきまであった固さが取れていた。それはつまり、この方法が正解なのだということを如実に表していて…。すっと立ち上がり、パソコンの前に移動すると、電源を入れる。

「さっさと取り掛かろうぜ。何時間かかるかわかったもんじゃねぇ」

「そうね。始めましょうか」

 安っぽい横開きの部室の扉を全開にして、そこの地べたに座り込む。ポケットから煙草とライターを取り出し、ぷはぁと一服。数時間ぶりのニコチンは、無性にうまかった。

 新しいページを開き、それをスキャナーにかける。パソコンに送られる画像データ。地味で淡々とした退屈極まりない作業。わざわざ二人同時にやる程の作業じゃない。前半は俺が。大体三分の二ほど終わった時点で佳蘭と交代した。

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