Moon Light 8

「マジよ。といっても一つは関係ないことだけどね。私の疑問が解消されただけよ。この本に悪意は含まれてない」

「悪意が含まれていない? それが一体なんだってんだよ」

「こういった呪いの本の類いにはほぼ確実に悪意が含まれているわ。それもそうよね。人に害を与える以上そこに悪意はある。それに世界に刻み込むほどの強い感情なんて悪意が大半よ。だから私たちはまずヒトの悪意に対して強固な防御壁を構築する」

「ところがどっこいこの『月光』にはそれが含まれてない。だから無防備にそれを受けちまったってところか?」

「そうね。勿論悪意がないってだけじゃなく、他にも様々な要因が隠されているわ。けれども一番のメインをそれで潰された」

 佳蘭からしてみれば想定外もいいところだろう。なにせ鉄板で抑えておかなければならない所を簡単に突破されたんだ。ここで問題なのが、それに対応出来るかどうかだ。

「無理ね。あまりにレアケースすぎるし、わからない部分が多すぎる。この状態じゃ碌な防御壁なんて構築出来ないわ」

 まるで俺の心を読んだかのような佳蘭の言葉に、やっぱりかという感想しか出てこない。佳蘭がいう防御壁がどういったもんか詳しくはわからないが、パソコンでいうファイアウォールに近いものを感じる。そんなもの簡単にできるわけがない。だからこそ続く佳蘭の言葉に驚いてしまった。

「だけどこの本が人を狂わすメカニズムの一部はわかった。これが二つ目ね」

「マジか⁉」

 思わずテンションが上がった。仕組みがわかれば逆算して対策が打てる。この本を安全に読むために必要な、大きな一歩。

「二つの要素が絡み合ってこの怪異は成り立っている。一つはページそのものに仕掛けられたもの。特殊なインクで描かれたなにか。それ以外にも沢山。これらが人を狂わせる」

「なあ。一つ疑問なんだが、それが見えるお前ならわかる。でも俺みたいに見えない人間にも影響あるんか?」

「サブリミナル効果って知ってる?」

「ああ。あれね…」

 流石の俺だってその言葉くらい聞いたことある。あれだ。認識できない出来事が、人に与える影響のことだったかな。有名なところでは映画の一コマにポップコーンを食べている絵を一枚だけ入れた話だ。それによって映画館のポップコーンの売り上げが伸びたという。けれどもそれは…。

「あくまで都市伝説。実際はサブリミナル効果に科学的裏付けはないっていうぜ」

「そうね。けれども日本では自主規制という形で。外国では禁止されている所もあるわ。もしサブリミナル効果に意味がないんだったら、禁止する必要はないんじゃない?」

「……。確かにな」

「大袈裟に誇張された効果はないと思うわ。けれども完全に否定することは出来ない。僅かながらでも影響を与えるわ」

 佳蘭の言葉を聞き流しながら、その視線は彼女の両手の『月光』に吸い寄せられるように。沈黙するように閉じられた茶色の表紙。段々と世界と自分が離れていくような不思議な感覚に陥る。瞬きと瞬きの間。勘違いと思ってしまうような、意識と意識の隙間に入り込む様に『月光』の表紙が茶色から青に変わり茶色に戻った。

 思わず目を擦り、もう一度まじまじと『月光』を見つめる。けれども表紙は茶色のままで、変な所なんて一切ない。今日になってしょっちゅう起こる奇妙な錯覚。まさかと思うが、俺も見えないインクで描かれたものが見えたりするのだろうか。佳蘭じゃあるまいし、俺は変な眼なんて持ってるわけがないからあり得ない。…あり得ないと思うが、だったらこれはなんなのだろうか。

「高戸。貴方も何か見えるのね」

「いや。単なる勘違いだな多分」

 すっと細められた佳蘭の瞳が観察するように俺を見つめていて。だからこそわかったんだろう。とはいえ自分が佳蘭と同じように見えるということが認められなくて、勘違いという言葉で誤魔化そうとする。けれどもそれは佳蘭によってすぐに否定されてしまった。

「いえ。見えているわよ、確実に。こういったのは勘違いの狭間で見えるものよ」

「そういうものなのか…? いや、俺にお前みたいな力はねーぞ」

「関係ないわ。波長さえ合ってしまえば見えてしまう。まあもっともこの『月光』に限って言えば、そういう問題じゃないけれども」

「どういうことだ?」

「この本の文章力は異常よ。そしてその異常さこそが、この本の狂気を支えるもう一つの柱」

「文章力だぁ⁉」

 思わず大きな声が漏れ出た。文章力という急にオカルトとと関係無さそうな要素が出てきて少しビビる。読むというより見るといった表現くらいでしか、この『月光』という本を読めていない。それでも佳蘭が言うほどの異常さを感じなかった。

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