Moon Light 5

 自然な動作で『月光』を引き寄せ、次のページをめくる。目次を超えて本文に。表情の消えた佳蘭が一心不乱に読みふける。明らかに異様な雰囲気で、思わずそれに飲み込まれそうになるも、一つ気合いを入れて佳蘭の手から『月光』を奪い取った。

「なに勝手に進めてんだ。俺のだぞ」

 そう言ったと同時に佳蘭に押し倒された。薄いカーペットに頭をぶつけ「ぐぇ」と蛙みたいな声が漏れる。そのままマウントポジションを取られた。

「ジャマシナイデ」

 明らかにイッた声と瞳。白く細い指が俺の首を掴み、万力のように締め上げてくる。痛みと苦しさで思考がトぶ。身体に力が入らない。このままじゃ佳蘭に殺されると、なんとか右腕を動かす。佳蘭の身体に触ることが出来た。ずしりと体重をかけてくるマウントポジションをなんとか返そうと力を籠める。カスリと綿でも掴んだような感触。不意に首を絞めつけてきた力が緩んだ。

「なにすんのよヘンタイ‼」

 平手打ちが俺の頬に飛んだ。バチンと派手な音が鳴る。鋭い痛みが走るが、アドレナリンのお陰で気にならない。全身の力を総動員して佳蘭を吹き飛ばす。

「きゃあ!」

 佳蘭の悲鳴。けどそんなの関係なくて、咳き込みながら怒鳴り声をあげる。

「なにしやがんだテメェ!」

 ゲホゴホと咳が収まらない。血流やら空気やら、滞っていた物が流れ出す感覚。佳蘭はキッと俺を睨みつけるも、咳き込む俺の姿を見て心配そうに目尻を下げる。

「だ、大丈夫…?」

「テメェがやったんだろ⁉」

 俺を殺しかけた元凶に向かって怒鳴りつける。ようやく呼吸も落ち着いてきた。人を殺しかけた癖に何を白々しい。狼狽える佳蘭を睨みつける。

「…? え? 私がやったの…?」

「は? 何言ってんだ? いきなり人の首絞めやがって。覚えてねぇとは…」

 言いながら思い当たる節があって思わず言い澱む。あの時の佳蘭は尋常じゃなかった。異様な雰囲気で、もしかして無意識で記憶がない…?

 佳蘭は小声でボソボソと呟いている。何を言っているのかと耳を澄ましてみれば「嘘…」とか「こんなあっさり…。あり得ない」なんてことばかり。俯き考え込んでいた佳蘭が顔を上げる。

「情報が足りなさすぎる。ねぇ高戸。この本について知っていること教えてくれる?」

「なんでテメェに教えなきゃなンねぇんだよ」

「高戸も見たでしょう。あの怪物を。私たちは怪異に囚われた。この後は一手のミスが取返しのつかない事態に発展しかねない。些細なことでも情報が欲しいわ」

 オカルト全開の佳蘭の言葉。けれどもその視線は真剣そのもので…。思わずごくりと生唾を飲み込む。俺自身オカルトそのものは結構信じてる方の人間だ。それに『月光』を開いた時に見えたおぞましい怪物。あれが俺だけの勘違いじゃなくて佳蘭も見えた現実リアルだということがわかって。気が付けば殺されかけたことも忘れて口を開いていた。

「ダチの形見なんだ。自殺する前に最期に読んでいたのがこの『月光』で…」

「なるほど。この本を読み切ると私たちも同じ結末を辿りそうね」

「は? いやたかだか本だろ? 読んだら死ぬってありえないだろ」

「普通はね。けれどもこれはもう既に怪異よ。さっきの私を見たでしょう? 本当にごめんなさい。でもあれは私の意思じゃないわ」

 佳蘭の言葉に「やはりか」なんて感想が出てくる。同時にふつふつと湧き上がってくる疑問。

「なあ久留主佳蘭。お前は一体なんなんだ?」

「私は魔女。お婆様からその瞳と知識を受け継いだ本物の魔女よ」

 彼女の宝石のような碧い瞳が妖しく輝く。思わず気圧されたように何度目かの固唾を飲み込む。そしてそれが気に食わなくて噛みつくように声を上げた。

「魔女ってなんだよ!」

「言葉の通りよ。まあファンタジックな魔法は使えないけどね。霊能力者みたいなものって思ってくれたらいいわ」

「で、その魔女さんに聞きたいんだが、この本読んだら死ぬってどういうことだよ」

「幽霊や呪いってものは残留思念によるもの。多分高戸にも経験あるんじゃない? 他人の感情に引きずられるってこと」

「ああ。確かにな」

 明るく笑顔な奴と一緒にいるとこっちも楽しくなるように。カッカと怒ってる奴とだとイライラしてくるように。佳蘭の言葉に覚えがありすぎて思わず頷いてしまった。

「世界に染み込むほどの想い。それが人に与える影響は甚大なものがあるわ。さっきの私を見たからわかるでしょう? そして残留思念に支配された状態のことを私たちは怪異に囚われたと呼ぶわ」

「なるほどな。現状はわかった。で、どうしたらこの怪異から解放される?」

 ようはどっかの誰かのクソデカ感情に、今俺たちは支配されてると。んでこの本を読むと、そのクソデカ感情に影響されて死んじまうということらしい。まあそれには納得がいった。重要なのはこれからどうすればいいのかってことだ。

「怪異から逃れるには二つ。一つは思念を祓い落とす方法。とはいえ今回これは使えないわね」

「なんでだよ」

「簡単よ。私が怪異に囚われたからよ」

「は?」

 佳蘭の言葉に思わず呆気に取られる。いやいやなんで佳蘭が怪異に囚われたら使えなくなるんだ?

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