Moon Light 4

 不意に黙り込んだ俺を見て、不思議そうに見つめてくる佳蘭。気持ちを入れ替えるようにマルメンを一口吸い、上を見上げて紫煙を吐き出した。

「大切なダチの、なんなのよ?」

「譲るわけにゃあいかないが、一緒に読むってんなら話は違うぜ」

 佳蘭の疑問に答えず、こいつの青い瞳を真っ直ぐ見つめながら提案する。もし本当にこの本に鉄平の自殺の原因が隠されているのなら、俺はこれを必ず読まなければならない。俺が読んでいる時に隣で一緒に読むっていうんなら、まあいい。文句はない。

「まあ、それでいいわ。ねえ高戸。この辺でどこか落ち着けるとこない? ホールでもいいけど、折角の読書なんだから、もう少し静かな所がいいわ」

「の前に名前くらい言えよ。他人ひとに名乗らせといて自分は名乗らないっていうのは違えだろ」

「それもそうね。私の名前は久留主佳蘭くるすからん。大嶋教授の研究内容に興味があって、時々この大学に顔を出してるの」

 加藤から聞いて大体のプロフィールは知ってる。だがこういうのは直接聞くもんだ。

 聞きたいことが聞けた俺は、三分の一になった煙草を灰皿に投げ入れると立ち上がった。

「ついてこいよ。いいとこあるぜ」

 そう言って俺が向かったのはサークル棟。安っぽいプレハブ建築の階段を上って二階へ行く。

「どこ行くつもり?」

「映像部の部室だよ」

「へえ。高戸って映像部だったんだ」

「違えよ」

 一部屋二部屋三部屋目。俺の目的の場所。映像部の部室に辿り着いた。リュックから皮のキーケースを取り出し、鍵穴に突っ込むとガチャリと回す。

「映像部じゃないんだっら、どうして部室の鍵なんて持ってるのよ」

「昔賭け麻雀でブン取った」

 佳蘭は胡乱な目つきから一転、呆れたと言わんがばかりに首を振る。まあ入手の経緯が経緯だけにこの反応はわかる。昔映像部の部長が酒飲みながら、俺に賭け麻雀を吹っかけてきた。こちとら十年打ってるんだ。素面ならまだしも舐めんじゃねぇとレートをぶち上げてクシャボコにしてやった。負け金を払えないからって泣きついてきた映像部の部長が、金の代わりに部室の合鍵を差し出してきたってわけだ。講義の空き時間にたむろ出来る場所が欲しかったところだった俺は、それで許してやることにしたのが事の経緯。あまりやる気がないのか、部員は活動日以外は部室に寄り着くこともない。佳蘭から落ち着ける場所と言われて真っ先に浮かんだのがここだった。

 興味深そうにきょろきょろ部屋の中を見渡す佳蘭を尻目に、さっさと靴を脱ぎ部室に入る。部室は前回と変わってない。部屋の隅にはテレビ局なんかで使われてそうなビデオカメラと、もふもふの集音器とよくわからない機械。その傍には編集用のデスクトップパソコンと周辺機器が置いてある。勿論俺たちの私物も置いてある。加藤が持ち込んだ漫画に、レンタルビデオ屋で売ってるような安っぽいテレビと二昔前のゲーム機。決して綺麗とは言えないが、人を連れて来ても恥ずかしくないくらいの整理整頓がされている。

 俺はつかつかとカーペットの上を進み、途中座布団を二枚掴むと中央に置かれたちゃぶ台に座る。そうして入口で尻込みしている佳蘭に声をかけた。

「ほら。さっさと来いよ」

 佳蘭はしずしずと靴を脱ぎ、俺が用意した座布団の上に座る。さっきまでと違って、借りてきた猫みたいで少し面白い。とはいえ緊張している人間が近くにいるのは居心地がいいもんじゃない。あえて足を崩してちゃぶ台に肘をつき、だらけた姿を晒す。そんな俺を見て緊張がほぐれたのか、佳蘭の顔から硬さが抜ける。頃合いかと思った俺は、ちゃぶ台の上にくだんの本『月光』を置いた。

「じゃあ読むぞ」

「そうね。読みましょう」

 思わずごくりと固唾を飲み込む。こうしていざ読もうとしてもやっぱり気が進まなくて、けれども佳蘭の手前読むしかなくて。ええいままよと辞書のような硬い表紙を開いた。

 最初の1ページ目は真っ白で、次のページをめくろうと指をかけた時だった。くらりと刹那の眩暈。一瞬世界が歪んだ気がする。そして何も書かれていない空白のページに、なにかおぞましい怪物が見えた気がした。

 パラパラ漫画に一枚だけ別の絵が差し込まれたようなほんの一瞬で、見間違えただけな気がするも、粟立った鳥肌があれが現実であると訴えてくる。怪物の姿はわからない。あまりに一瞬で、どんな姿をしていたのか脳に刻み込まれる前にそれが消えたからだ。ただそれがあまりにおぞましい姿をしていたということだけはわかる。

「おい。さっきの見えたか?」

 俺だけの勘違いかもしれないと確認のために佳蘭に声をかける。視線を向けると、焦点があってなくどこかぼうとした表情。不審に思い「おい」と声をかけようとして、不意に伸ばされた佳蘭の右手に反応できなかった。

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