第46話 ありがとう

佐藤と最後にしっかり話したのはいつだったか。

黒咲苺の下駄箱を掃除した時だったっけ?


そうなると、2ヶ月は経っている。


高校生は、2ヶ月も話さないと「仲のいい友達」から外されるシビアな世界で生きている。

でも、俺はもう高校生ではないし、俺達は友達じゃない。教師と生徒だ。


卒業したら、会うことがなくなる程度の関係。


だから、走ってまで佐藤を追っている今の俺は、割に合わないことをしている。


8000円のルールを決めてみたけど、安藤の言う通り、守れている自信がない。


いつだって動く言い訳を探している。


今回は、黒咲苺に言われたからという言い訳がある。

感謝だ。

やっと、佐藤と会話ができる。


「おーい!」


柄にもなく大きな声を出してしまう。

佐藤が振り向く。


何故、追ってきたのか非難するような顔をする。1人になりたかったのに、空気読めよと思っているだろうか。


でも、俺は空気を読むのが苦手だから、諦めてもらうしかない。


「近くの駅まで送る」

「・・・ありがとうございます」


心にもない感謝の言葉。


「20分くらいかな。あ、電車賃はあるか?500円くらいは必要だぞ?」

「はい。大丈夫です」


駅まで歩き出す。


缶コーヒーを渡して、お互い、無言で歩く。


近くに大学生の集団でもいるのか、高い笑い声が聞こえる。お酒の力で周りを気にすることなく笑い合っている。

俺達は、あれだけ気持ちよく笑うことを死ぬまでにできるだろうか。


「うるさいですね」

佐藤が口を開く。


「大声出してみっともない。どうせ下らないことで笑ってるんでしょう。ああなったら人間終わりですね」

本気で軽蔑した目で笑い声が聞こえる方を睨む佐藤。学校では絶対にしない目だ。


そうか。

こいつは、潔癖症なんだ。


ルールを守らない奴らが心底嫌いで、掃除して、綺麗な世の中にしたいんだ。

優秀であるか故に、周りに迷惑をかける奴を許せない。


「そうだな」


もちろん、ルールを守るのは大事だ。

ルールってのは、守らないと困るから定められている。

集団を維持するには、勝手なことをする少数も許してはいけない。


「お前は、いつもルールの中で戦ってるもんな」

佐藤は何も言わない。


「『ルールは破るためにある』とか言うけど、あれは、ただの格好つけだ。そんなわけがない。ルールを破った時点で負けている」


スポーツが良い例だ。

どれだけのスーパースターでも、ドーピングをすれば一発退場だ。


ルールがなければ、イベントは破綻する。


人生にも同じことが言える。


あれもこれもと、何でもやって成功するのは、一部の天才だけだ。


だから、俺は個人のルールを作った。


守れるかどうかはさておき、ルールが存在していると己に言い聞かせることで、行動を慎重にすることができる。


「佐藤が今までやってきたことは、法的には問題ない。巧くやったよ」

佐藤は答えない。


「俺からしたら、それで構わない。バレずにやり切ってくれたら、俺の出る幕なんてないから」

佐藤は答えない。


「俺は何にも気づかなかったし、馬場先生の件にも首を突っ込まなかった。文化祭もトラブルなく大成功。それでいこう」

佐藤は、答える。


「それは、できないよ」


「・・・」


「私自身がやったわけじゃないけど、小泉くんとカンナを意図的に動かした。それを罰する法律もあるでしょう?ルールは、最後まで守らないとね」


どこか、晴れやかな表情で俺を見る。


「二月先生。ありがとうね。文化祭に相馬くんを呼んだのも、さっきの破綻だらけのルールの話も、私が皆と卒業できるようにしてくれていたことでしょう?」


佐藤に、自首する意思があるのなら、もう俺には何もできない。


「止めてくれてありがとう。仲良くしてくれてありがとう。下らない愚痴を聞いてくれてありがとう。優衣ちゃんを助けてくれてありがとう。半年間、私をちゃんと見てくれてありがとう」


つまらない笑顔ではなく、無理矢理口角を上げた不恰好な表情の佐藤は、今まで見てきたどの姿より魅力的だった。


もし、同級生だったら・・・。


下らない。


俺は教師で佐藤は生徒だ。

そんなことを考える時点でおぞましい。一瞬でも気持ちの悪い妄想に浸りそうになった自分に嫌悪感を抱き、教師として言った。


「まあ、仕事だから」


佐藤は、ニヤリと笑う。

なんだなんだ。

さっきの表情のまま、綺麗に終わらせた方がいいぞ。


「これ、ありがとうございました」

「あー。うん」


缶コーヒーを前に出して、今更ながら例を言う。


「二月先生、あの娘には、仕事関係なくあってるでしょ?贔屓だ贔屓だ」


楽しそうに俺を責めて、空の缶コーヒーを俺に渡す。


「捨てといて下さい」

「えー」


パシリだパシリだ。


「これくらい良いでしょ」

そう言って、今度こそ佐藤は歩き出す。


「あ」


しかし、20メートルほど進んでから戻ってきた。


「駅までは、案内して下さい」

いつも用意周到な佐藤が初めて見せたスキだった。




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