第29話 変わった名前

結局、朝まで歩き続けた。

歩く理由は無かったが、立ち止まる理由も無かった。


午前5時53分。


いつもだったら、起きてラジオをボーッと聞いている時間だ。


自分がどこにいるのか分からなくなっている。そもそも東京がどうかも怪しい。

さすがに腹が減ってきた。


しかし、こんな時間に空いている店はないだろう。コンビニで適当に何か買うか。

辺りを見渡すと、丁度コンビニが50メートルほどの距離にあった。

歩きすぎて、感覚が無くなっている足を惰性で動かす。


俺は一般市民の例に漏れず、コンビニ大好き人間なのだが、いつも買う種類は決まっていた。

パンがおにぎり、カップ麺にお菓子。

美味しいのは分かっているし、値段もお手頃なので、たまには冒険してみようと別のコーナーに行くのだが、結局知っている商品を買う。


しかし、一晩歩き続けた脳は、普段しないセレクトをする。

麻婆豆腐丼、炒飯、オムライス、トマトと鶏肉のソテー、ザーサイサラダ。

食べ切れるかは考えなかった。


店員さんに温めてもらっている最中、気まずいのでスマホを見る。

特に見たいものもないのにとりあえずスマホを触ってしまう自分も、それなりに依存していると感じていると、「・・・先生?」と声が聞こえた。


どうやら、店員さんが発した言葉らしい。

しっかり目を合わせる。

若い女性の店員さんだ。少し長い黒髪が似合っている。


「えっと・・・」

見覚えはある。

どこで見たっけか。


先生と呼ぶってことは、学校関連なのだろうか、心当たりが見つからない。


「ごめんない。あの、電車で・・・あの、助けて下さった・・・」

「ああ」


そんなこともあった気がする。

4月下旬の朝の通勤時、痴漢している馬鹿を駅員さんに突き出したことがあった。

その時は、痴漢おじさんの印象が強かったので、被害者の女の子の顔はあやふやだが、あの娘がそうらしい。


「お礼を言いたかったんですけど、先生、いつも忙しそうだったから」

「ん?うちの生徒?」

「え?あ、はい」


店員さん・・・うちの生徒は、改まった顔でこう言う。

「1年3組の黒咲苺です」

「黒崎一護?」

「あ、えっと、字は違うんですけど、まあ、そうです」


俺らの世代ではたまらない大ヒット漫画の主人公の名前と同じだ。

「はい。両親があの漫画の大ファンで・・・」

恥ずかしそうな黒崎一護、じゃなくて黒咲苺。

こりゃ大変な名前をもらったものだ。


俺も変わった名前を両親からもらったが、俺が気に入ってるので、不満はないが、漫画のキャラクターの名前をつけられるってのは、思春期の女子からしたら、グレても仕方ないくらいの恥ずかしさだろう。

だから、この時間にコンビニでバイトする不良になったのだろうか。

黒髪ロングだけど。


「私もあの漫画大好きで、一護と同じ名前なのが嬉しくて・・・」

めっちゃ良いやつだった。


その時、扉が空いて客が入ってきたので、邪魔しちゃいけないと、さっさと退散しようとしたら、その客が「黒咲さん、お疲れ様。もう上がって良いよ」と声をかけた。

「あ、はい」

俯いて答えた黒咲苺は、俺を見る。


「あの・・・5分だけ・・・」

待ってろってか。

「分かった」


食べきれない弁当を押し付ける要員をゲットした。

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