第26話 シンプル
千原が庭にいた。
夏休み最終日、これから、あまり頻繁に顔を出せなくなると燈子さんに電話でお伝えした。
その日に、自室ではなく庭でぼーっとしている千原が、俺を待っていたと考えるのは、傲慢だろうか。
縁側で洗濯物をジーッと見ていた千原兄弟が俺に気づく。
「昨日、白井さんと話した」
白井さんも、リモート家庭教師の準備ができたそうで、とりあえず、顔を合わせて自己紹介するという報告は受けていた。
「いい人だね」
そう、白井さんはいい人なのだ。
「だろう」
「先生の悪口言ってたけど、それ以外はいい人だった」
ブレないなぁ。
「明日から、本格的に授業始めるってさ」
そう言って、縁側をトントン叩いて、座れと示してくる。
1人分空けて座り、俺もボーっとしてみた。
まだまだ暑いが、この庭には人を留まらせる雰囲気があり、放っておかれれば、1日中ここにいてしまいそうだ。
蝉の鳴き声しか聞こえない心地いい空間に、ドアが開く音がして参入してきた。
「良かったら、どうぞ。優衣も」
燈子さんが、スイカが乗った皿を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「・・・ありがと」
千原が照れくさそうに礼を言う。
燈子さんは、微笑で娘を見て、俺に「ゆっくりしていって下さい」と言って、室内に戻る。
スイカは、鮮度が命だ。
今でこそ、ガツガツ食べられるが、小学生の頃は『火垂るの墓』がトラウマになり、しばらく食べられなかった時期がある。
あの頃より、共感力が減ったということだろう。
それは、人間としては退行しているが、大人としては進化しているので、一概に悪いことではない。
あっという間に食べ終えて、再びボーっとしていると、千原が呟いた。
「佐藤さんから、LINEがあった」
「ほーん。なんて?」
「また、古着屋さんに一緒に行こうって」
「いいじゃん。行ってきな」
「うん」
無言。
しかし、千原が話すことを整理している時間だと分かっているので、気まずくはない。
俺はスイカの種を数えて過ごした。
「手紙には、返事書けなかったけど、LINEには返せた」
「そりゃそうだろう。手紙書くの面倒くさいんだから」
自分から佐藤に提案したくせに、この言い草だ。
恥ずかしながら、これが遊佐二月である。
千原は首を振る。
「手紙は、すごく嬉しかった。引き出しに大切に閉まってる。でも、あの時は・・・<今更>って思っちゃった」
苦しそうな表情だが、本人がその苦しみを望んでいるのであれば、無理に笑顔にさせる必要はないだろう。
「あの頃の私には、佐藤さんしかいなかったのに、私に全面的に味方してくれなかったのにって・・・。でも、あいつの血が流れてる私になんかの味方をしたら、佐藤さんの評判が下がるとも考えてて」
「あいつ、評判なんか気にしてないよ」
黙って聞くつもりだったが、口を挟んでしまった。
反省。
「それは分かってる。でも、私には血が汚れてて・・・」
「お母さんは、どうだ?」
シンプルな質問をしてみた。
「お母さんは・・・好き」
「じゃあ、それでチャラだ」
さらに、シンプルな結論を出す。
「なんで、あんなよくできた女性がそんなクズと結婚したのか分からんが、まあ、それが結婚の難しさなんだろうな。知らんけど。そのせいで、お前にいらん罪悪感とか劣等感を与えてしまったけど、お前は、あの人の血を引いてるんだぞ。しかも、かつてはお腹の中にいたんだぞ」
俯いているが、話は聞いてくれている。
「だから、まあ、まずは勉強頑張れ。数学なら俺も力になれるから」
その数学すらも、白井さんに敵わないことは、辛うじて残っている大人としてのプライドを守るため言わなかった。
「うん・・・いつか、二月先生の授業を学校で受けられるように頑張るね」
白井さんの授業との落差にガッカリされるのが決まった瞬間だった。
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